ジェームス・トンプソン (レーサー)

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ジェームス・トンプソン(2006年・BTCC)

ジェームス・トンプソンJames Thompson 、1974年4月26日 - )は、イギリス出身のカーレースドライバーである。

ツーリングカーを舞台に活躍しており、イギリスツーリングカー選手権(BTCC)において2度のチャンピオン獲得経験を持ち、2007年現在はアルファ・ロメオから世界ツーリングカー選手権(WTCC)に参戦している。

経歴[編集]

イングランドノース・ヨークシャー州ヨーク出身。

イギリス・フォーミュラ・ボクスホール(1992年・ランキング4位)、イギリス国内のツーリングカー選手権のひとつであるサルーン・カップ(1993年・チャンピオン)を経て、1994年にイギリスツーリングカー選手権への参戦を始めた。

BTCC[編集]

初年度はプジョー・405を駆ってプライベーターとしての参戦であったが、いきなりプライベーター部門のチャンピオンとなる。この活躍は自動車メーカーをバックに持つファクトリーチームの目に留まり、翌年はボクスホールと契約を交わす。

1995年は、ポールポジションを2回獲得した他、スラクストンにおけるレースでBTCC史上最年少となる21歳での初優勝を遂げた。翌1996年は車種がボクスホール・キャバリエからボクスホール・ベクトラへと変更となった。結果としては1勝を挙げるにとどまったが、オールトンパークにおけるこの優勝は、レースのラスト2周の時点では5位だったトンプソンが、前を行くロベルト・ラヴァーリアリカルド・リデルの接触事故による脱落、ヨアヒム・ヴィンケルホックのスピン、アラン・メニュのクラッシュに助けられたことによって得たものであるため、ファンの記憶に残るものとなっている。

1997年にホンダに移籍し、アコードを駆り、4勝を挙げ年間ランキング3位となった1998年を筆頭に、2000年まで同チームにおいて毎年1勝以上を挙げる活躍を見せた。

2001年にボクスホールに復帰、この年ランキングを再び自己最高の3位とすると、翌年には念願の初タイトルを獲得。ボクスホール復帰後は、チームメイトのイヴァン・ミュラーと激しいタイトル争いを毎年繰り広げ、2003年はミュラーに遅れを取り2位に終わるが、翌2004年は自身2度目のタイトルを獲得した。

WTCC[編集]

2003年と2004年はBTCCに参戦する傍らヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)にもアルファ・ロメオからスポット参戦し、両年とも1勝ずつ挙げたが、ETCCは2004年限りで幕を下ろし翌年から世界ツーリングカー選手権(WTCC)に生まれ変わることとなったため、トンプソンはBTCCからWTCCへの移籍を決意する。

「前年のBTCCチャンピオン」という肩書きで2005年のWTCCに参戦し、その開幕戦の第2レースを優勝で飾ったが後が続かず、結局この年は開幕戦の1勝のみで終え、ランキング9位、アルファ・ロメオ勢4人の中で最下位という不本意な結果を残した。

2006年はセアトに移籍し、同時にBTCCにもセアトから復帰し、全10戦(30レース)中6戦(18レース)でステアリングを握った。結果、全戦参戦したWTCCではランキング8位、セアト勢6人の中で3番手(ポイントは同じくセアトのリカルド・リデルと同点)、対してBTCCでは10戦中6戦しか参戦していないにも関わらずランキング6位を得、1戦あたりの獲得ポイントでは同じセアトのジェイソン・プラト(年間ランキング2位)を上回る勢いであった。

2007年はセアトからアルファ・ロメオ(N・テクノロジー)に戻り、WTCCを戦った。この年の同チームはすでにアルファ・ロメオからのフルワークスサポートは失いセミワークス体制であり、かつてツーリングカー選手権タイトルを複数獲得しているアルファロメオ・156も性能的に陳腐化しツーリングカーレースにおける最後の年となったが、トンプソンはスペインで開催された第3戦で第1レース、第2レースともに優勝するなどし、最終戦までタイトル争いに踏みとどまり、最終的にランキング3位という結果を得た。

2008年もN・テクノロジーチームに残留するが、同チームとアルファ・ロメオとの関係が一時切れるため、ホンダ・アコード・ユーロRを駆ることとなる。

外部リンク[編集]