ジェイムズ・ヘンダーソン・ダグラス

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ジェイムズ・ヘンダーソン・ダグラス

ジェイムズ・ヘンダーソン・ダグラス(James Henderson Douglas, 1899年3月11日 - 1988年12月24日)は、アメリカ合衆国官僚フーヴァー政権およびルーズベルト政権で財務次官補、アイゼンハワー政権で空軍次官国防副長官を務めた。

生涯[編集]

1899年にアイオワ州シーダーラピッズで誕生し、イリノイ州レイクフォレストで成長した。家庭は非常に裕福であり、父親はクエーカーオーツカンパニーの共同創設者であった.[1]

プリンストン大学に入学後、1918年にアメリカ陸軍で少尉として任命を受けた。ジョージア州キャンプ・ハンコックに配属の後、第一次世界大戦末までヨーロッパでの活動部隊に参加。終戦後はプリンストン大学に復帰し、1920年に学士号を取得。続いてケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジで1年過ごした。その後ハーバード大学で法学を学び、1924年に法学士号を取得[1][2]

弁護士業[編集]

1925年にイリノイ州の弁護士協会から認可を受けて開業弁護士となり、法律事務所ウィンストン・ストローン・アンド・ショウに加入。1926年、実業家としての活動機会を求めて弁護士業を辞し、投資銀行フィールド・グロア・アンド・カンパニーに参加[1][2]

フーヴァー政権末期、オグデン・ミルズ財務長官は大統領に対してダグラスを財務次官補に推薦した。ダグラスは1932年2月に財務次官補に就任し、続くルーズベルト政権でも留任。しかしながら金融政策に関してルーズベルト大統領と不一致を見せ、1933年6月に辞任。連邦政府を離れた後は、金融政策市民委員会を設立してルーズベルト大統領の財政計画に対抗[1]

1933年末、ダグラスはイリノイ州へ戻り、シカゴで弁護士業を再開し、法律事務所ガードナー・カートンに参加。1934年に上級パートナーとなり、組織名をガードナー・カートン・アンド・ダグラスに改称。後にフィラデルフィアを基盤とする法律事務所ドリンカー・ビドル・アンド・リースと統合[3]

第二次世界大戦中は陸軍航空隊に所属。南アメリカアフリカヨーロッパアジアの各地で任務に当たり、3年半の活動の中で少佐から大佐まで昇進した。在軍中の大部分を陸軍航空隊の上級職で過ごし、航空輸送軍団英語版副司令官や航空訓練軍団司令官を務めた。第二次世界大戦の功績により殊勲章を受章[1][2]

戦後は再びシカゴのガードナー・カートン・アンド・ダグラスで上級パートナーとして弁護士業を再開。1953年3月にアイゼンハワー政権で空軍次官として指名を受けるまで経営を続けた[2]

アイゼンハワー政権[編集]

ダグラスはドワイト・アイゼンハワー政権において主たる軍事顧問の1人であった。1953年から1957年まで空軍次官を務めた後、1957年3月に第5代空軍長官として任命を受けた。ダグラスは空軍士官経験を有した初の長官であった[2]

空軍長官としてダグラスは、空軍士官学校の設立を支援[4]陸軍称揚章に代わる空軍称揚賞の表彰授与を承認[5]ソビエト連邦による1957年10月のスプートニク1号打ち上げに際しては、その経過とアメリカとしての対応について大統領に助言を提供。またウィリアム・ミッチェル陸軍准将に対する1925年の軍法会議判決について再確認を実施。ミッチェル准将が公に上長を攻撃した事実は確かに有罪であると述べたが、ミッチェルによる空軍力の重要性についての提唱は秀逸であったとも指摘した[1]

ダグラスは1959年末まで空軍長官を務めた。1960年1月、前任の急死により空席のままとなっていた国防副長官のポストにダグラスが就任。1961年1月のアイゼンハワー政権終了まで国防副長官を務めた[1]。1961年1月18日、アイゼンハワー大統領はダグラスに対して、アメリカへの顕著な功績を讃えて大統領自由勲章を授与した。この表彰に関しては、「国家の安全保障に多くの貢献」と言及され、また「自国への健全な判断、賢明な指導、および偉大な献身」「善良な政府の原則のための、確固たる不屈の献身」との評価を受けた。

晩年[編集]

国防省を離れた後、ダグラスは再びシカゴで弁護士業を再開。アメリカン航空、マーチ・アンド・マクレナン、シカゴ・タイトル・アンド・トラスト、メトロポリタン生命保険の各社で取締役を務めた。またシカゴ大学理事を55年間に渡って務めた。ダグラスの法曹界および政界における長い経歴に対して、プリンストン大学レイクフォレスト大学グリンネル大学から名誉法学博士号を授与された。1988年2月24日にイリノイ州レイクフォレストにおいて、癌により死去[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h "James H. Douglas Jr. Dead at 88; Served Presidents and the Military", New York Times, 28 February 1988.
  2. ^ a b c d e United States Air Force senior executive biography, "James H. Douglas", Air Force Link, Air Force Historical Studies Office, 17 February 2008.
  3. ^ "A History of Leadership and Innovation", Drinker Biddle, Gardner, Carton & Douglas web-site, www.drinkerbiddle.com, 17 February 2008.
  4. ^ "James H. Douglas Jr., 88, lawyer, ex-Air Force chief", Chicago Sun-Times, Chicago, Illinois, 25 February 1988.
  5. ^ Callander, Bruce D., "A Short History of Medals", Air Force Magazine, Vol. 86, No.12, Washington, D.C., December 2003.
公職
先代:
ロスウェル・L・ギルパトリック
アメリカ合衆国空軍次官
1953年3月3日 - 1957年4月30日
次代:
マルコム・マッキンタイアー
先代:
トマス・ソヴリン・ゲイツ
アメリカ合衆国国防副長官
1959年12月11日 - 1961年1月24日
次代:
ロスウェル・L・ギルパトリック