コミッショナー (日本プロ野球)
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日本プロフェッショナル野球組織のコミッショナーは、日本のプロ野球における最高責任者であり、かつ最高の権限を有する。社団法人日本野球機構においては会長である。
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[編集] 概要
野球協約においては、次のように定められている(抄録)。
- 第6条(任期及び身分)
- コミッショナーの任期を3年とし、再任を妨げない。コミッショナーは本人の申し出によるほか、その意に反して任期中に解任されない。
- 第8条(職権)
- (1)コミッショナーは、日本プロフェッショナル野球組織を代表し、これを管理統制する。
- (2)コミッショナーが下す指令、裁定、裁決ならびに制裁は、最終決定であって、この組織に属するすべての団体と個人を拘束する。
- 第9条(指令、裁定および裁決)
- (1)指令 コミッショナーは、野球最高の利益を確保するために、この組織に属する団体あるいは個人に指令を発することができる。
すなわち、コミッショナーは極めて強大な権力を有する者であり、その裁決は絶対的なものである。これは、戦争が終結してプロ野球が再開するに当たって、選手の引き抜き合戦が過熱しすぎたのを憂慮した占領軍が、球団関係者の話し合いで最高の権力を有する者を選出させ、その裁決に従うことで球界の自治を促したところに端を発する。しかし実際野球協約を厳密に解釈すればコミッショナーは司法官としての権限のみ保持しており上記のような権限を発動するには無理がある。
コミッショナー職が空席の場合は、プロ野球実行委員会(各球団オーナーまたは球団社長1名ずつにより構成される)が代行機関を設置することになっている(野球協約第7条)。
[編集] 歴代コミッショナー
1951年の現行制度施行以降、歴代のコミッショナーは以下の通り。ただし、現行制度になる前に正力松太郎・読売ジャイアンツオーナーが同様の職務を行っていた時期があった。
- 福井盛太(1951年4月~1954年4月/元検事総長)
- 井上登(1956年1月~1962年1月/元最高裁判所判事)
- 内村祐之(1962年5月~1965年4月/元東京大学総長)
- 宮沢俊義(1965年8月~1971年3月/元東京大学法学部教授[1])
- 大濱信泉(1971年5月~1976年2月/元早稲田大学総長)
- 金子鋭(1976年7月~1979年2月/元富士銀行相談役)
- 下田武三(1979年4月~1985年3月/元最高裁判所判事)
- 竹内壽平(1985年5月~1988年6月/元検事総長)
- 吉國一郎(1989年3月~1998年3月/元内閣法制局長官)
- 川島廣守(1998年3月~2004年1月/元内閣官房副長官、セ・リーグ会長)
- 根來泰周(2004年2月~2007年1月/元東京高等検察庁検事長、公正取引委員会委員長[2])
- 加藤良三(2008年7月~/元駐米大使)
[編集] 批判
日本のコミッショナーはアメリカ(メジャーリーグ)のコミッショナー同様、オーナー等球団経営者の承認を受けて就任するものであるが、アメリカのコミッショナーは就任と同時に球団経営者とは一線を画して30球団の共存のために強大な権力を振るうのに対し、日本のコミッショナーは概して球団経営者側の顔色を伺いながら権限を行使しているといわれる。
戦後プロ野球で一番コミッショナーが権限を発揮したのではないかと言われているのが第6代の金子であり、いわゆる「江川事件」の収束を図るため、江川と巨人との契約を無効とした上で、阪神タイガースに一旦入団させた上で巨人にトレードさせたこと程度である(しかしこの「強い要望」により、コミッショナーの権威が失墜したのも事実である)。
いわゆる2004年のプロ野球再編問題で、第11代の根来が「自分には権限がない」等消極的な発言を繰り返して批判を浴び、一時辞意を表明する事態に至った。
[編集] 改革
2004年のプロ野球再編問題を受け、「日本にもメジャーリーグ並みの権限を有し、実際に行使できるコミッショナーを待望する」という声が強まった。
これに呼応して根来コミッショナーの下にプロ野球有識者会議が設置され、コミッショナー権限の司法的機能から行政的機能への移行、セパ両リーグ事務局のコミッショナー事務局への統合など、『野球組織の「中央集権化」「責任体制の確立」[3]』を提言。これを受け、2008年秋を目途に提言の実現に向けた野球協約の改正作業が行われている。

