クロード・ベリ

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クロード・ベリ
Claude Berri
本名 Claude Berel Langmann
生年月日 1934年7月1日
没年月日 2009年1月12日(満74歳没)
出生地 パリ
死没地 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督、プロデューサー、俳優、脚本家
著名な家族 トマ・ラングマン(息子)
主な作品
ジェルミナル

クロード・ベリClaude Berri, 本名: Claude Berel Langmann, 1934年7月1日 - 2009年1月12日)は、フランス映画監督映画プロデューサー俳優。俳優から転向した、ヌーヴェルヴァーグの映画作家として知られる。

生涯[編集]

1934年7月1日、フランスの首都パリでアシュケナジムの家庭に生まれる。

1953年、19歳のとき、クロード・オータン=ララ監督の映画『Le Bon Dieu sans confession』で俳優としてデビューする。ジャン・ルノワール監督の『フレンチ・カンカン』(1954年)やアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『真実』(製作ラウール・レヴィ1960年)、クロード・シャブロル監督の『気のいい女たち』(1960年)などでの俳優としての活動を経て、1961年モーリス・ピアラ監督の短篇映画『Janine』で脚本家としてデビューする。翌1962年には、自らも演出に乗り出し、短篇映画『Le Poulet』(撮影ギスラン・クロケ)で監督としてデビューした。同作は初プロデュース作でもある。

ジャン=リュック・ゴダールを『勝手にしやがれ』で世に出したヴェテラン映画プロデューサージョルジュ・ド・ボールガールが、1963年、新人によるオムニバス映画を製作することになり、気鋭の若手5人のひとりに選ばれた。『キス! キス! キッス!』(旧題『接吻! 接吻! 接吻!』)がその作品だが、他の4人の監督はベルトラン・タヴェルニエジャン=フランソワ・オーデュロイシャルル・L・ビッチトゥブラン=ミシェルであった。翌1964年も同様のオムニバス『La chance et l'amour(偶然と恋愛)』につづけて起用される。

1966年、製作会社「レン・プロデュクション」を設立する。同社設立、第一作は監督としての長篇映画デビューを飾った1967年の『老人と子供』である。同作を第17回ベルリン国際映画祭に出品、金熊賞にノミネートされたほか同映画祭で3つの賞を受賞、世界的に名が知られることとなった。同社は翌1968年、設立第二作としてモーリス・ピアラ監督の『裸の幼年時代』を製作、ピアラを長編映画監督としてデビューさせた。

1968年、「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」の映画監督ヤン・ニェメツによるいわゆる「プラハの春」のドキュメンタリー映画『プラハのためのオラトリオ Oratorio for Prague』を、ベリの妻の弟であるジャン=ピエール・ラッサムとともにプロデュースし、ラッサムを映画プロデューサーとしてデビューさせた。同作は、チェコスロヴァキア国内で発禁処分を受けたが、西側の人間であるベリらがプロデュースしていたおかげで、ニェメツの捉えたソ連による軍事介入の決定的映像が侵略映像のストックとして、無数の国際報道機関に使われた。

1988年第41回カンヌ国際映画祭コンペティションの審査員をつとめる。2003年9月から、ヌーヴェルヴァーグを生んだフィルム・アーカイヴ、シネマテーク・フランセーズの理事長に就任。名誉理事長はジャン=シャルル・タケラ。最新作『Trésor』の撮影中だった2009年1月12日、脳卒中のため急死した。監督としての最後の作品は、フランスでベストセラーになったアンナ・ガヴァルダの小説を原作にした映画『幸せになるための恋のレシピ』(2007年)。

監督作品[編集]

参加監督ベルナール・T・ミシェルベルトラン・タヴェルニエジャン=フランソワ・オーデュロイシャルル・L・ビッチ、クロード・ベリ
参加監督クロード・ベリ、シャルル・L・ビッチ、エリック・シュランベルジェ、ベルトラン・タヴェルニエ

プロデュース作品[編集]

外部リンク[編集]