エイス・オブ・ベイス

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Ace of Base
2010年、トロントにて
基本情報
出身地  スウェーデンヨーテボリ
ジャンル ダンス・ミュージック
テクノ
ユーロポップ
アダルト・コンテンポラリー・ミュージック
活動期間 1987年 - 現在
レーベル Playground Music (Scandinavia)
Universal (Europe & Australia)
EMI (Japan)
Sony BMG (Americas & Japan)
公式サイト Official website
Official MySpace
メンバー ヨーナス・バーグレン
(Jonas Berggren (Joker))
ウルフ・エクバーグ
(Ulf Ekberg (Buddha))
クララ・ハグマン
(Clara Hagman)
ジュリア・ウィリアムソン
(Julia Williamson)
旧メンバー マリーン・バーグレン
(Malin "Linn" Berggren)
イェッニー・バーグレン
(Jenny Berggren)

エイス・オブ・ベイスAce of Base)はスウェーデンヨーテボリ出身の音楽グループ。 ヨーナス・バーグレン(Jonas Berggren ニックネームはJoker、1967年3月21日-)、マリーン・バーグレン(Malin Berggren ニックネームはLinn、1970年10月31日-)、イェッニー・バーグレン(Jenny Berggren ニックネームはJenny、1972年5月19日-)、ウルフ・エクバーグ(Ulf Ekberg ニックネームはBuddha、1970年12月6日-)の兄姉妹と友人一人から構成されている。

女性2人のヴォーカルに男性2人というメンバー構成と、スウェーデン出身という共通点から、ABBAとよく比較される。

1990年代前半に「All That She Wants」が大ヒットして一躍有名になり、デビューアルバム「Happy Nation/The Sign」(地域によってタイトルが異なる)は全世界で2300万枚を売上げ、トップスターの仲間入りをした。 曲調はレゲエテクノをミックスさせた、ポップで親しみやすいダンスミュージック。

来歴[編集]

ヨーナスが友人2人とともに組んでいたテクノバンドに、リンとイェッニーの姉妹がヴォーカルとして参加。友人2人が脱退した後、1990年にウルフが加わり、グループ名をエイス・オブ・ベイスとした。グループ名を考えたのはヨーナスで、『スタジオの王様』という意味である。

当初、本国スウェーデンのレコード会社9社にデモテープを持ち込んだものの見向きもされなかったため、デンマークのレコード会社メガ・レコード(Mega Records)と1990年に契約。この件について、後に「僕らを認めなかったプロデューサーが『エイス・オブ・ベイスをけった男』として有名になった」とヨーナスは述べている。(朝日新聞 1996年5月26日記事)

1992年にシングル「Wheel Of Fortune」でデビューし、プロデューサーにスウェーデンのDJであるデニズ・ポップ(Denniz Pop)を迎えてリリースしたセカンドシングル「All That She Wants」が大ヒット。全英シングルチャートならびフジテレビで深夜に放送されていた音楽番組BEAT UK』でもNo.1を獲得。続く「The Sign」、「Don’t Turn Around」もヒットし、1st アルバム「Happy Nation/The Sign」は全世界で2300万枚を売上げて各国で賞を獲得し、最も売れたデビューアルバムとしてギネスブックに載った。

1995年夏にはイェーテボリで開かれた世界陸上の開会式に地元代表のアーティストとして出演し、「Lucky Love」を披露。この時ウルフは腎臓結石を患っており、出演するかどうかが危ぶまれたが、結局は激痛に耐えて出演し、終演後病院へ運ばれた。同年、2nd アルバム「The Bridge」をリリースし、世界各地に本人たちが実際にプロモーションを行った成果もあって500万枚を売り上げる。また、同年、映画『007 ゴールデンアイ』の主題歌候補として「ゴールデンアイ」(詞も曲も異なる)を歌うが、最終選考でティナ・ターナーに敗れた[1]

1997年以降、リンはカメラを避けるようになり、コンサートでも物の陰になる場所、あるいはカーテンの裏側でしか演奏しなくなり、またインタビューも受けなくなる。事務所やバンドメンバーは当初、リンのこうした奇妙な振る舞いについて発言するのを避けていた。プロモーションビデオの撮影現場から姿を消してしまい、リンが出演しない形で収録されたものもあった。後に雑誌Bravoは、「この頃のリンが深刻な病を患っていた。その証拠としてドイツのテレビ番組に出演したリンの振る舞いは奇妙で終始震えていた」と書いている。一方、当時バンドメンバーは、「リンはカメラ恐怖症である」と説明していた。彼女にとって最後となったインタビューにおいて、リンは「単にバックグラウンドとして残ることが自分の願いである」と述べた。実際、彼女の願いは叶えられ、その後はアルバムジャケットをはじめあらゆる写真媒体において、「笑わず」「不幸そうに」「ぼやけた」「一際小さな」リンの写真が敢えて使われた。1998年にリリースされた3rd アルバム「Flowers/Cruel Summer」では、その不自然なジャケット写真が話題になった。1999年から2000年にかけてベストアルバム「Singles of the 90s/Ace of Base - Greatest Hits」をリリース。2002年から2003年には4th アルバム「Da Capo」をリリース。2006年、ウルフはリンがバンドを抜けたことを正式に認め、今後はいかなる形でも共に活動することはなく、トリオで活動していくと発表。また、この時点で既に10年近く、実質的に彼らがトリオの形で活動していたことも認めた。

2009年、リンに変わる新たなボーカルとしてジュリア・ウィリアムソンが加入。しかし、この加入がウルフとヨーナスの主導で決められたことにイェッニーが反発しグループと距離を置くようになる。ウルフとヨーナスはこの新体制で、新たなアルバムの制作に取りかかるが、納得のいかないイェッニーはこのアルバム制作に不参加を表明(しかし、グループからの脱退は否定)。このため、ウルフとヨーナスはイェッニーに代わるボーカルとしてクララ・ハグマンを迎え、アルバム制作を強行する。翌、2010年、この新体制でのアルバム、「The Golden Ratio」がリリース。しかし、この新体制は結局、うまく軌道に乗らず、2012年以降、グループに表だった活動は見られなくなる。2014年、この二人の新しいボーカルの正式に脱退が発表された(またこの時、2012年の時点で実質的には脱退していたと語った)。その後、活動再開に関して、ウルフは「適切な要素があれば、不可能だとは思わない」と希望的な発言をしているが、イェッニーは「(グループは)すでに解散しているし、再結成の可能性はない」とこの発言を否定している。また、ヨーナスは「(ウルフ、イェッニーと自分でのトリオの活動もそれなりに良かったと自分では思っているけど)みんな(リンを加えた)四人での活動を望んでいるんだ。でも、やっぱりそれは難しいんだよ。再結成した時のために、曲も準備してあるんだけどね」と現実的な再結成の難しさを示唆している。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

(地域によってタイトル、発売時期が異なる)

  • The Golden Ratio (2010年)

VHS[編集]

  • 1994: オール・ザット・シー・ウォンツ~ザ・ビデオ (VHS)

シングル[編集]

(第1位を記録した作品のみ)

シングル 最高位[2]
U.S.
Hot 100
U.S.
Dance
UK CAN AUT DEU FRA SWE NOR ESP
1993 "All That She Wants" 2 3 1 2 1 1 2 3 2 1
"Happy Nation" 40 6 7 1 4 6 5
1994 "The Sign" 1 13 2 1 3 1 5 2 5 1
"Don't Turn Around" 4 36 5 1 8 6 17 11
"Living In Danger" 20 1 18 4 19 23 36 15
1995/1996 "Lucky Love" 30 1 20 2 14 13 9 1 12
"Beautiful Life" 15 1 15 1 24 20 10 22 6
1998 "Cruel Summer" 10 10 - - - - - - -
Total number one hits 1 3 1 3 1 2 1 1 0 1

スキャンダル・事件[編集]

ファーストアルバムがヒットした後(1993年?)、ウルフが10代前半にネオナチ団体に所属していたことと、アルコールドラッグに手を出していたことが発覚。ウルフはこの件について釈明し、バンドは反ファシストを歌った「Happy Nation」で決別を明らかにした。

1994年4月27日には度を越したドイツ人女性ファンストーカーともいう)がバーグレン家に侵入し、寝ていたイェッニーの喉元にナイフを突きつけてイェッニーの両親と話をさせるよう要求。ナイフを取ろうとしてもみ合ったイェッニーの母親が怪我をするという事件が発生した。この女性は一週間ほど家の周りをうろついてバーグレン家をストーキングしていたようであった。

脚注[編集]

  1. ^ BBCを英語で読む「ボンド映画の主題歌になれなかった名曲たち」(6)
  2. ^ "Ace of Base; Charts & Awards; Billboard Singles"”. 2008年3月31日閲覧。

外部リンク[編集]