アレクサンドラ・フォン・ハノーファー (1882-1963)

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ハノーファー王女/メクレンブルク=シュヴェリーン大公妃アレクサンドラ

アレクサンドラ・フォン・ハノーファー・ウント・クンバーラント(Alexandra von Hannover und Cumberland, 1882年9月29日 - 1963年8月30日)は、ハノーファー王国の王族の子孫。ハノーファー王女およびカンバーランド公女、グレートブリテンおよびアイルランド王女、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公女。全名はアレクサンドラ・ルイーゼ・マリー・オルガ・エリーザベト・テレーゼ・ヴェラAlexandra Louise Marie Olga Elisabeth Therese Vera)。ハノーファー王太子エルンスト・アウグストの次女で、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ4世の妃となった。

1882年9月29日エルンスト・アウグストとその妃であったデンマーククリスチャン9世の王女テューラの間に第3子として、オーストリア=ハンガリー帝国オーバーエスターライヒ州グムンデンで生まれた。

子女[編集]

1904年にフリードリヒ・フランツと結婚。2人の間には5子が生まれた。

なお、長男フリードリヒ・フランツは子供がなく、次男クリスティアン・ルートヴィヒには娘しかいなかったため、メクレンブルク=シュヴェリーン大公家の男系は2001年に断絶した。

結婚式でのアレクサンドラとフリードリヒ・フランツ