アッシジ

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アッシジ
Assisi
アッシジの風景
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Umbria.svg ウンブリア
Blank.png ペルージャ
CAP(郵便番号) 06081
市外局番 075
ISTATコード 054001
識別コード A475
分離集落 #行政区画参照
隣接コムーネ #隣接コムーネ参照
公式サイト リンク
人口
人口 27,370 [1](2012-01-01)
人口密度 146.5 人/km2
文化
住民の呼称 assisani
守護聖人 San Rufino
祝祭日 8月12日
地理
座標 北緯43度4分0秒 東経12度37分0秒 / 北緯43.06667度 東経12.61667度 / 43.06667; 12.61667座標: 北緯43度4分0秒 東経12度37分0秒 / 北緯43.06667度 東経12.61667度 / 43.06667; 12.61667
標高 424 (184 - 1290) [2] m
面積 186.84 [3] km2
アッシジの位置(イタリア内)
アッシジ
アッシジの位置
ペルージャ県におけるコムーネの領域
ペルージャ県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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アッシジイタリア語: Assisi)は、イタリア共和国ウンブリア州ペルージャ県にある都市で、その周辺地域を含む人口約2万7000人の基礎自治体コムーネ)。

フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。フランチェスコの名を冠した聖堂やフランシスコ会関連施設は「アッシジ、フランチェスコ聖堂と関連修道施設群」として世界遺産に登録されている。

名称[編集]

日本語文献では、「アッシージ」「アシジ」とも表記される。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

ペルージャ県の中部に位置するコムーネで、スバシオ山英語版の西麓にあたる。丘陵上に築かれたアッシジの市街は、県都ペルージャから南南東へ約20km、リエーティから北へ約77km、アンコーナから南西へ約95km、首都ローマから北へ約131kmの距離にある。

自治体(コムーネ)としてのアッシジ市は、郊外部をその範囲に含み、市域面積は 186.84 km2 に及ぶ。

隣接コムーネ[編集]

隣接するコムーネは以下の通り。

Assisi 3.JPG

歴史[編集]

先史・古代[編集]

紀元前1000年ごろ、アッシジ周辺を含む、ティベレ川上流域からアドリア海にかけての地域に最初の移住者が現れた。ウンブリア人 (Umbriと呼ばれるかれらは、高台の上に要塞化した小さな集落を築いた。紀元前450年ごろには、エトルリア人がこれらの集落を徐々に奪っていった。

紀元前295年ローマ人センティヌムの戦い英語版で中部イタリアを支配下に置いた。ローマ人たちはスバシオ山麓の台地にアッシシウム(Asisium)の街を築いた。当時のローマ人の遺跡は、現在も城壁や広場(フォルム、現在のコムーネ広場 Piazza del Comune)、劇場、円形闘技場、ミネルヴァ神殿などに見ることができる。なお1997年には、当時のローマ人の村が、あたかもポンペイを思わせるような良好な状態で発掘されており、モザイクやフレスコ画で飾られた部屋が確認された。

238年、アッシジの街はルフィヌス(ルフィノ) (en司教の働きによりキリスト教に改宗した。ルフィヌスはコンスターノ( (Costano、現在はバスティーア・ウンブラ分離集落)で殉教するが、伝承によればアッシジ聖堂( (en, サン・ルフィーノ聖堂)はその墓の上に建てられたという。

中世[編集]

545年、東ゴート王国トーティラは街の大部分を破壊した。アッシジはその後ランゴバルド王国の支配下に入り、その後はフランク人スポレート公国の支配下に入った。

11世紀、この街は独立した都市国家となりギベリン(皇帝派)の立場を取ったが、このためゲルフ(教皇派)のペルージャとは激しく抗争する関係にあった。若きジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ(のちのアッシジのフランチェスコ)が捕虜となったポンテ・サン・ジョヴァンニの戦いも、こうした抗争の中の一幕である。このことをきっかけとしてフランチェスコは物乞いの中に身を置き、「小さな兄弟会」(フランシスコ会)を設立することになる。

13世紀、それまでローマ時代の城壁内に収まっていた市街は、城壁の外へと拡大する。この時代、都市は教皇領に含まれた。皇帝の要塞であったロッカ・マッジョーレは1189年に市民によって略奪されていたが、1397年に教皇使節ジル・デ・アルボルノス英語版枢機卿の命によって再建された。

アッシジはやがてペルージャの支配を受け、次いで何人かの専制君主の支配下に置かれた。ビオルド・ミケロッティ (Biordo Michelottiジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティやその後継者であるミラノ公フランチェスコ・スフォルツァ、ヤーコポ・ピッチニーノ (it:Jacopo Piccinino、ウルビーノ公フェデリーコ2世 (Federico II da Montefeltroなどである。1348年黒死病の流行は年に大きな被害を与えた。

近世以後[編集]

ピウス2世(在位: 1458年 - 1464年)の時代、アッシジは再び教皇領となった。

1569年、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ聖堂 (it:Basilica di Santa Maria degli Angeliの建設が開始された。ルネサンス期からその後の時代にかけて、アッシジは平穏に発展したことは、17世紀の邸宅(パラッツォ)群が物語る。

今日のアッシジは、この町出身の聖フランシスコの伝説に導かれた多くの巡礼者が訪れる町である。この聖人は、フランシスコ会の創設者として、またシエナの聖カタリナとともにイタリアの守護聖人として崇敬を集めている。また、鳥に対して説教を行った伝説から、多くの人々に(非キリスト者にも)自然を愛した人物として記憶されている。

1997年9月、アッシジはウンブリア州を襲った2度の大地震に見舞われ、多くの史跡も被害を受けた。しかし、復旧・復興はすみやかに行われた。主要な観光地であるサンフランチェスコ教会は、2年足らずのうちに公開を再開した。

行政[編集]

行政区画[編集]

アッシジには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Armenzano, Capodacqua, Castelnuovo, Costa di Trex, Colle delle Forche, Eremo delle Carceri, Morra, Palazzo, Paradiso, Passaggio d'Assisi, Petrignano d'Assisi, Pieve San Nicolò, Porziano, Rivotorto, Rocca San Angelo, San Damiano, San Gregorio, Santa Maria degli Angeli, Santa Maria Lignano, San Vitale, Sterpeto, Torchiagina, Tordandrea, Tordibetto

交通[編集]

道路[編集]

ペルージャ市街からバスで訪れることができる。

  • SS75
  • SS147

鉄道[編集]

1866年に開業したアッシジ駅 (it:Stazione di Assisiがある。アッシジ駅は、市街から南西へ約5km離れている。

空港[編集]

ペルージャとの中間、両市の市境にペルージャ空港 (it:Aeroporto di Perugiaがある。この空港の正式名称は「ペルージャ・サン・フランチェスコ・ダッシジ=ウンブリア国際空港」(Perugia San Francesco d'Assisi – Umbria International Airport)で、アッシジのフランシスコの名を副名称に採用している。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

アッシジを舞台にした作品[編集]

  • 脚本『真似』菊池寛(全文

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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