「毛沢東選集」の版間の差分
en:Selected Works of Mao Tse-Tung 2020-11-21T01:17:43版を訳出 |
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2021年2月28日 (日) 18:26時点における版
店頭にディスプレイされた毛沢東選集(1968年4月) | |
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著者 | 毛沢東 |
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原題 | 毛泽东选集 |
訳者 | 外文出版社 |
出版社 | 人民出版社年 |
出版日 | 1960年 |
巻数 | 5巻 |
毛沢東選集 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 毛澤東選集 |
簡体字: | 毛泽东选集 |
拼音: | Máozédōng Xuǎnjí |
日本語漢音読み: | もうたくとうせんしゅう |
英文: | Selected Works of Mao Tse-Tung |
毛沢東選集(もうたくとうせんしゅう)は、1926年から1957年までの毛沢東の著作物を集めた全5巻の著作集である。1951年以降、順次人民出版社から出版された。
1949年から1957年までの著作物を含んだ第5巻は、華国鋒の指導の下で出版されたが、その後、「イデオロギー的に誤りがある」として出版・流通が停止された[1][2]。
文化大革命の10年間(1966年 - 1976年)に、人民出版社は870種類の『毛沢東全集』(第1巻から第4巻まで)を出版し、総計3億2500万部の文庫本と255万部のハードカバーの中国語版を制作した。また、『毛沢東全集』は14の言語に翻訳されている[3] 。
歴史
1945年の中国共産党第7回全国代表大会の後、毛沢東思想は中国共産党の指導思想の一部となった[4]。国共内戦の間、共産党の支配下にあった各地域では、地域ごとに非公式な毛沢東著作集が出版されていた。その種類は21種類と推定されている[5]。
1951年、毛沢東がソ連を訪問した際、ヨシフ・スターリンは毛沢東に著作集を出版することを提案した[4]。1950年5月、中国共産党中央政治局は、劉少奇を委員長とする「毛沢東選集編纂委員会」の設立を正式に決定した[4]。実際の編集作業は陳伯達が中心となって行われ、胡喬木と田家英が補佐した。編集された原稿は全て毛沢東自身が修正し、出版の許可を与えた[4]。
内容
公式に出版されている全5巻の選集には、1926年から1949年までの毛沢東の重要な著作物のほとんどが収録されている。選書の各巻には、各巻に収録されている各選書の歴史的背景を参照するための詳細な注釈が付されている[6]。
巻数 | 収録範囲 | 刊行年月日 | 収録著作数 |
---|---|---|---|
第1巻 | 1925年-1937年 | 1951年10月12日 | 17 |
第2巻 | 日中戦争前期 | 1952年4月10日 | 40 |
第3巻 | 日中戦争後期 | 1953年4月10日 | 31 |
第4巻 | 戦争終了から中華人民共和国建国まで | 1960年9月30日 | 70 |
第5巻 | 1949年-1957年 | 1977年3月 | 70 |
第1巻
第1巻は、1926年から1936年に抗日戦争(日中戦争)が勃発するまで中国の革命的内戦に関連した著作物17編が収録されている[7]。1951年10月12日に人民出版社から出版された。価格は15,000人民元[注釈 1]で、20万部印刷された[1]。
第2巻
第2巻は、毛沢東の哲学的著作『矛盾論』から始まり、対日戦争の初期の1937年から1938年までに執筆した著作40編を収録している[8]。1952年4月10日に人民出版社から正式に出版・配布され、価格は25,000元だった[注釈 1][1]。
第3巻
第3巻は、日本と中国国民党の両方に対する軍事戦略を論じた著作物を取り上げ、抗日戦争末期の1939年から1940年までの間に発表された著作から抜粋した31編を収録している[9]。1953年4月10日に人民出版社から正式に出版・配布され、価格は15,000元だった[注釈 1][1]。
第4巻
第4巻は、1945年の日中戦争終戦から1949年の中華人民共和国建国までの間に毛沢東が執筆した全70編の著作を収録している[10]。1960年9月30日に人民出版社から正式に出版・配布され、価格は1.4元だった[1]。
第4巻の出版後、中国共産党中央委員会は毛沢東著作翻訳室を設置し、全4巻の『選集』を様々な外国語に翻訳して出版した。その後、この翻訳室は共産党中央委員会文献翻訳部へと発展した。
4巻分冊の版のほかに、全4巻を1冊にまとめた版もある。
第5巻
第4巻刊行直後には、建国以降の文章をまとめた第5巻が計画された。しかし毛沢東自身は、建国以降の著作や演説は、選集のそれ以前の巻に収録されたものに比べてまだ少ないと感じ、時期尚早であるとして第5巻の制作に反対した[1][11]。
第5巻には、中華人民共和国後の1949年から1957年までの著作70編が収録されている。1977年4月15日に人民出版社から正式に出版・配布され、価格は1.25元であった。
この巻の編集には、その間の文化大革命と毛沢東自身の第5巻の出版への反対により、10年の歳月を要した。華国鋒は第5巻の出版を主張した[11]。
非公式版
毛沢東の生涯全ての著作物を集めた『毛沢東全集』は、これまでに一度も刊行されたことがない[12]。
インド共産党毛沢東主義派がインドで第6巻から第9巻までを制作し、シカンダラーバードのクランティ出版とハイデラバードのSramikavarga Prachuranaluによって出版された[13]。中国共産党は、『毛沢東選集』の他の巻を承認も推奨もしていない。
脚注
注釈
- ^ a b c ハイパーインフレーションにより、このような高額の値段となっている。1955年にデノミネーションが行われ、価格は1万分の1となった。
出典
- ^ a b c d e f “Sources and Early Printing History of Chairman Mao's "QUOTATIONS"”. bibsocamer.org. Bibliographical Society of America. 2019年11月27日閲覧。
- ^ Adler, Sol. "A Talk on the Translation of Volume V of Chairman Mao's Selected Works." 中国翻译 1 (1980): 6.
- ^ “How Much Did Mao Zedong, Deng Xiaoping, and Jiang Zemin Get Paid for Their Publications?”. ChinaScope Magazine, September 2005 (Updated 8 February 2008), article by Jiao Guobiao. 2019年11月26日閲覧。
- ^ a b c d “《毛泽东选集》编辑出版始末”. CPC People News. CPC News (2013年12月5日). 2019年11月27日閲覧。
- ^ 著 海萍 , 张云燕 编 著.单 的 书 单. :: 新华 出版社. 2014.12: 208. ISBN 978-7-5166-1255-2.
- ^ Tse-Tung, Mao (1954). Selected Works Volume 3. New York: International Publishers
- ^ Zedong, Mao (1965). Selected Works of Mao Tse-Tung Volume 1. Peking: Foreign Language Press
- ^ Zedong, Mao (1965). Selected Works of Mao Tse-Tung Volume 2. Peking: Foreign Language Press
- ^ Zedong, Mao (1965). Selected Works of Mao Tse-Tung Volume 3. Peking: Foreign Language Press
- ^ Zedong, Mao (1965). Selected Works of Mao Tse-Tung Volume 4. Peking: Foreign Language Press
- ^ a b “《毛泽东选集》第五卷编撰秘闻”. news.ifeng.com (2013年12月12日). 2019年11月27日閲覧。
- ^ Wilkinson, Endymion (2018) Chinese History: A New Manual
- ^ Grice, Francis (2018). The myth of Mao Zedong and modern insurgency. Springer. p. 50. ISBN 9783319775715 2019年11月27日閲覧。
関連項目
外部リンク
- Selected Works of Mao Tse-Tung at Theory China