阪口忠昭
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県中間市 |
生年月日 | 1951年11月7日(72歳) |
身長 体重 |
181 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト3位 |
初出場 | 1971年 |
最終出場 | 1975年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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阪口 忠昭(さかぐち ただあき、1951年11月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]直方学園高校では捕手であったが、2年生の秋に強肩を買われ投手に転向した。1967年秋季九州大会県予選北部準決勝に進むが、楠城徹のいた小倉高に7回コールド負け。翌1969年夏の甲子園福岡県予選では直方学園として初の決勝に進むが、川村博昭のいた飯塚商に0-3で敗退。打撃も良く五番打者をつとめた。
1969年ドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名を受け入団[1]。右の本格派として期待され、1971年に一軍初登板、7月には初先発を果たす。同年は主に中継ぎとして28試合に登板した。翌1972年も28試合に登板、8月からは先発ローテーションの一角として起用される。8月23日には近鉄の神部年男と投げ合い初完封初勝利を記録する。しかし1973年以降は登板機会に恵まれず、1975年限りで引退した[1]。
オーバースローからのシュート、カーブが武器だが、コントロールに難があった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1971 | 西鉄 太平洋 |
28 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 211 | 50.1 | 44 | 6 | 20 | 1 | 4 | 19 | 5 | 0 | 25 | 17 | 3.06 | 1.27 |
1972 | 28 | 13 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 | -- | -- | .200 | 313 | 70.0 | 80 | 10 | 36 | 1 | 0 | 29 | 1 | 0 | 41 | 36 | 4.63 | 1.66 | |
1975 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 25 | 4.0 | 12 | 2 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 8 | 18.00 | 3.25 | |
通算:3年 | 57 | 15 | 1 | 1 | 0 | 1 | 5 | 0 | -- | .167 | 549 | 124.1 | 136 | 18 | 57 | 2 | 5 | 51 | 6 | 0 | 75 | 61 | 4.43 | 1.55 |
- 西鉄(西鉄ライオンズ)は、1973年に太平洋(太平洋クラブライオンズ)に、球団名を変更
背番号
[編集]- 56 (1970年 - 1972年)
- 19 (1973年)
- 52 (1974年 - 1975年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 阪口忠昭 - NPB.jp 日本野球機構