藤原春蓮

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藤原 春蓮(ふじわら の しゅんれん、生年不明 - 延暦8年7月7日789年8月2日))は、奈良時代後期の女官朝臣位階正四位下。名は春連とも表記される。

生涯[編集]

その後宮での活躍は桓武朝のみであり、天応元年11月(781年)、無位から従五位下に叙爵[1]。その後も順調に出世し、延暦8年(789年)正月の従四位下まで[2]、同じ女官の藤原勤子と足並みをそろえるかのように昇叙している。しかし、その後、後宮を退き、同年7月、散事正四位下で、美作女王と同じ日に卒去[3]

生前、春蓮は山背国相楽郡に1町、久世郡に2町の位田を有していたと記されている。ここでは位階は従四位下となっており、これらの田地は延暦9年(790年)8月、大納言藤原小黒麻呂左大臣の職田に改められている[4]

官歴[編集]

続日本紀』による

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』、巻第三十六、桓武天皇 天応元年11月20日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇 今皇帝 延暦8年正月27日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇 今皇帝 延暦8年7月7日条
  4. ^ 『類聚三代格』巻15「職田位田公廨田事」1、延暦九年八月八日太政官符

参考文献[編集]