コンテンツにスキップ

荒田八幡宮 (鹿児島市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荒田八幡宮
所在地 鹿児島県鹿児島市下荒田二丁目7-21
位置 北緯31度34分28.2秒 東経130度33分12.9秒 / 北緯31.574500度 東経130.553583度 / 31.574500; 130.553583 (荒田八幡宮 (鹿児島市))座標: 北緯31度34分28.2秒 東経130度33分12.9秒 / 北緯31.574500度 東経130.553583度 / 31.574500; 130.553583 (荒田八幡宮 (鹿児島市))
主祭神 応神天皇
神功皇后
玉依姫命
社格 旧村社
創建和銅元年(708年
本殿の様式 三間社流造
例祭 10月23日
主な神事 初牛祭(旧暦1月25日
地図
荒田八幡宮の位置(鹿児島市中心部内)
荒田八幡宮
荒田八幡宮
荒田八幡宮の位置(鹿児島市内)
荒田八幡宮
荒田八幡宮
荒田八幡宮の位置(鹿児島県内)
荒田八幡宮
荒田八幡宮
テンプレートを表示
江戸期の荒田八幡宮の絵図(三国名勝図会第三巻収録)

荒田八幡宮(あらたはちまんぐう)は鹿児島県鹿児島市下荒田二丁目にある神社。かつての鹿児島の総廟とされる。

祭神

[編集]

応神天皇神功皇后玉依姫命を祀る。

従前よりマムシ除けに利益があるとされ、社殿下の砂をお守りにする。その他、文教や海運、安産の面で篤い信仰がある。

由緒

[編集]

社伝によれば和銅元年(708年)の創祀というが、建久8年(1197年)の『建久図田帳』に「大隅正八幡宮御領鹿児島郡荒田荘」とある事から、平安時代末期に「大隅正八幡宮」(現鹿児島神宮)の荘園である荒田荘が立荘され、その守護神として同宮を勧請、同宮の分宮(わけみや)として創祀されたと見る説もある。

元亀2年(1571年大隅国より賊徒が来襲し当神社の神宝を奪ったが、海路俄に暴風がおこり舟諸共沈んだという。

四随神祠

[編集]

当宮の四方には東西南北に随神を祀る「随神祠」が置かれ、旧荒田荘時代の境界を示すと考えられ、またその地はかつて神領であったため、現在は県立高校・市立中学校・公舎といった公的敷地になっている。以前は正祭(秋季例大祭)に合わせ、「堺回り」(おさけめぐい)と称する神輿担ぎが、祭日を中心とした直近の日曜日にあったが、現在は交通事情等により境内で神輿担ぎが行われている。

  • 北随神祠 - 甲南高等学校東南角。当校は現在、全敷地が上之園町であるが、以前は北側の4割が上之園町、南側の6割が上荒田町で、この南側が荒田荘に属していた。
  • 東随神祠 - 天保山中学校東南角。鳥居は改築されている。一部のみ彩色。
  • 西随神祠 - 鹿児島市田上二丁目城ヶ平橋東南。
  • 南随神祠 - 県知事公舎東南角。

祭祀

[編集]

神事

[編集]

かつては鹿児島の宗社として栄え、流鏑馬などが行われていた。現在も年中行事として毎年10月23日に正祭があり、その直近の日曜日に御神幸祭(浜殿下り)が行われる。また、旧暦1月25日前後の日曜日には初午祭が行われ、鹿児島神宮に奉納された飾り馬が当宮に巡回する。

祠官

[編集]

宮司は鹿児島神宮宮司が兼務。

境内

[編集]

境内の大樟は鹿児島市指定保存樹林(昭和49年(1974年)3月20日指定)。

参考記述・文献

[編集]
  • 「荒田八幡宮御由来」
  • 鹿児島市観光課「荒田八幡宮」(境内案内板)
  • 豊増哲雄『古地図に見るかごしまの町』、春苑堂出版、1996年

関連項目

[編集]