芦沢和則

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芦沢和則
ジャンル J-POP
職業
活動期間 1988年 -
レーベル ポニーキャニオン(1988年〜1990年)
トーラスレコード(1994年〜1996年)
事務所 キックファクトリー
公式サイト キックファクトリー [1]
旧メンバー
  • JAG-TOY
  • ONA-ONA

芦沢 和則(あしざわ かずのり)は、日本の男性歌手シンガーソングライター作詞家作曲家編曲家。本名同じ。

1988年、バンドJAG-TOY(ジャグ・トイ)のボーカルとしてデビュー。その後はソロ活動やユニットでの活動と平行して、楽曲提供も積極的に行っている。

経歴[編集]

バンドデビュー〜2年半での終焉[編集]

芦沢がボーカルとソングライターを務めるバンド、JAG-TOYは、1987年開催のサンチェーン主催のコンテスト「第2回サンチェーン・ミュージック・バトルロイヤル」でグランプリを獲得した。その受賞曲「眠らないで 〜WEEKEND SHAKIN'〜[2]」(サンチェーンCMソング)で1988年1月21日ポニーキャニオン/F-LABELからシングル・デビュー。

その後も同年5月21日にセカンド・シングル「抱きしめても君は~SUMMER TIME JUNCTION~[3]」、6月21日にファースト・アルバム『SUMMER TIME JUNCTION』をリリース。9月21日には東宝配給アニメーション映画陽あたり良好!」オープニングテーマ「やさしくなんかできない」とエンディングテーマ「Remember Remember」を収録したシングルを発売。翌1989年1月21日にはニッポン放送三宅裕司ヤングパラダイス」テーマ曲「DOWN TOWN PARADISE」を発売。その後1989年11月21日発売、フジテレビ系アニメ「たいむとらぶるトンデケマン!」オープニングテーマ「夢見ればタイムマシン」とエンディングテーマ「友達に戻れない」収録シングルと、1990年7月21日「渚のボードウォーク[1]」(UNDER THE BOARDWALK「SURF’90」&ビデオ「アンダー・ザ・ボードウォーク」イメージ・ソング)のリリースを最後に解散。

JAG-TOYは僅か2年半の活動期間でシングル6枚とアルバム1枚を残したが、2022年現在でCDは全て廃盤になっており入手困難である。シングル曲の大半は大きなタイアップがついたものがあるが、オリコンチャートに登場することは少なくセールスに恵まれることがなかった。

ソロ転向〜ユニット[編集]

1994年、トーラスレコードからシングル「どうして…[2]」でソロ・デビュー。翌1995年ファースト・アルバム『フレグランス[3]』をリリース。1996年までにシングル3枚とアルバム1枚を残した。

2000年よりギタリスト・川瀬智とネオハワイアンユニット、ONA-ONAを結成。芦沢はヴォーカルとギターを担当。フラダンス・ユーザーからの要望による、踊るためのハワイアン・ミュージックとして、2002年にパイオニアLDCより「Hula Cafe Vol.1」を発売。同日にコンピレーション・アルバム「Hula Cafe Vol.2」発売。翌2003年からはMADOKA.をフィーチャリング・ボーカルに迎え、竹内まりやTBS系列ドラマ主題歌をハワイアン・アレンジでカバーした『Mariya T.ALOHA island sound cologne』をリリース。その後、2005年まで関連アルバム計6枚を立て続けに発表した。

近況[編集]

芦沢が当初より上記の自身の活動と平行して取り組んできた、アーティスト、アニメ、声優、ゲーム音楽等への楽曲提供(詳細後述)を中心としたスタイルに移行。併せて作詞・作曲・編曲からボーカル・ディレクションまでトータルで作り上げることが出来、さらに、スタジオ・ワーク、ライブ・サポート、アーティストやタレントへのヴォーカル・レッスンも数多く手がけている。

楽曲提供[編集]

アニメ・ゲーム関連[編集]

声優[編集]

アーティスト[編集]

CMソング、テレビ・ラジオテーマ曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 渚のボードウォーク | JAG-TOY”. ORICON NEWS. 2022年2月11日閲覧。
  2. ^ どうして…。 | 芦沢和則”. ORICON NEWS. 2022年2月11日閲覧。
  3. ^ フレグランス | 芦沢和則”. ORICON NEWS. 2022年2月11日閲覧。