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総見公武鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

総見公武鑑(そうけんこうぶかん)[1]とは、元々は「武鑑巻八」といい、寛永11年(1634年)に浅井玄卜により編纂された。織田信長の直属武将について網羅されており、当時の武将がどのような旗などを掲げていたか知ることが出来る。現在一般的に知られている総見公武鑑の名は、大武鑑を編纂した橋本博織田武鑑と区別するため便宜上名付けた[2]ものである。


[總見公武官]

(七副将)
1.信忠 - 織田信忠 /2.信雄 - 織田(北畠)信雄 /3.家康 - 徳川家康 /4.三七信孝 - 織田(神戸)信孝 /5.七兵衛信澄 - 織田(津田)信澄 /6.上野介信包 - 織田信包 /7.源五郎信(長)益 - 織田長益(有楽)

(八角将)
1.筑前守秀吉 - 羽柴秀吉 /2.惟任長秀 - 丹羽長秀 /3.柴田勝家 /4.瀧川一益 - 滝川一益 /5.佐久間信盛 /6.佐々成正 /7.惟任光秀 - 明智光秀 /8.筒井順慶

(九爪将)
1.前田又左衛門 - 前田利家 /2.荒木摂津守 - 荒木村重 /3.梁田出羽守 - 簗田広正・別喜(戸次)右近 /4.不破河内守 - 不破光治 /5.蜂谷兵庫守 - 蜂屋頼隆 /6.稲葉伊豫守 - 稲葉良通(一鉄) /7.河尻肥前守 - 河尻秀隆 /8.伊賀伊賀守 - 伊賀(安藤)守就 /9.蒲生右(左)兵衛 - 蒲生賢秀

(十二牙将)
1.阿閉淡路守 -阿閉貞征 /2.長岡兵部大輔 - 細川藤孝(幽斎) /3.毛利河内守 - 毛利秀頼 /4.九鬼右馬允 - 九鬼嘉隆 /5.高山右近 /6.中川瀬兵衛 - 中川清秀 /7.氏家左京 - 氏家直昌 /8.丸毛兵庫頭 - 丸毛兼利 /9.市橋九郎左衛門 - 市橋長利 /10.金森五郎八 - 金森長近(素玄) /11.下方左近 - 下方貞清 /12.村井長門守 - 村井貞勝

卅六飛将
1.池田紀伊守 - 池田恒興 /2.堀久太郎 - 堀秀政 /3.山田三左衛門 - 山田勝盛 /4.苗木久兵衛 - 飯羽間久兵衛・遠山友忠 /5.中川丹波守 - /6.磯野丹波守 - 磯野員昌 /7.長谷川丹波守 - 長谷川与次 /8.中條将監 - 中条家忠 /9.池田伊與守 - 池田秀氏 /10.水野監物 - 水野守隆 /11.武藤彌平兵衛 - /12.近藤山城守 - /13.織田勘解由左衛門 - 織田広良 /14.原備中守 - 原田(塙)直政 /15.鹽川伯耆守 - 塩川長満 /16.中島豊後守 - /17.山岡玉林斎 - 山岡景猶 /18.山岡美作守 - 山岡景隆 /19.飯尾隠岐守 - 飯尾尚清 /20.水野大膳 - 水野忠守 /21.水野下野守 - 水野忠政 /22.水野帯刀 - 水野忠広 /23.平井加賀守 - 平井定武 /24.長岡與一郎 - 細川忠興(三斎) /25.細川兵部大輔 - 細川藤孝(幽斎) /26.多賀新左衛門 - 多賀常則 /27.武藤惣右衛門 - 武藤舜秀 /28.長(永)原筑前守 - /29.山本山城守 - /30.石破彦一 /31.進藤山城守 - 進藤賢盛 /32.永井雅樂頭 - /33.戸田武蔵守 - 戸田勝成 /34.鹽川吉大夫 - 塩川頼運 /35.別嘉右近 - 簗田広正 /36.福田三河守 - [3]

脚注

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  1. ^ 大武鑑(橋本博 編纂)
  2. ^ 大武鑑内総見公武鑑の頁における、橋本博本人による前置き文
  3. ^ 『總見公武鑑』

外部リンク

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橋本博『国立国会図書館デジタルコレクション 大武鑑』 巻之1、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1015270/45 国立国会図書館デジタルコレクション  - 総見公武鑑が収録されている