市橋長利

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市橋長利
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正10年(1513年
死没 天正13年3月13日1585年4月12日
改名 長利→壱斎(法名)
別名 九郎左衛門
官位 壱岐
主君 斎藤道三義龍龍興織田信長信忠羽柴秀吉
氏族 市橋氏
父母 父:市橋利尚
正室:前田利昌
長勝林右衛門左衛門

市橋 長利(いちはし ながとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将美濃国福束城主。

当初は斎藤道三義龍父子に仕えていた。義龍の死後は龍興に仕え、織田信長による美濃攻めが始まると美濃斎藤氏に従って織田氏と戦った。しかし次第に織田方が優位となり、永禄6年(1563年)には信長に通じて美濃の諸豪族の調略に務めた。信長の美濃平定後は信長直属の側近として近江国浅井氏との同盟(濃江同盟)交渉をはじめ、伊勢国北畠家攻めや浅井家攻めなどに従った。

信長が嫡男の信忠に家督を譲ると信忠直属の武将となる。天正8年(1580年)に剃髪して壱斎と号した。本能寺の変では明智光秀に呼応せず織田方となり、羽柴秀吉が台頭すると秀吉に従って天正12年(1584年)2月に河内国交野郡星田庄や美濃池田郡などの所領を安堵された。

天正13年(1585年)3月13日に死去。享年73。跡を長男の長勝が継いだ。