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高木貞久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高木貞久
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正11年(1583年
別名 丞介、彦左衛門
戒名 寂照院殿大道無楽大居士
主君 斎藤道三織田信長信孝
氏族 美濃衆西高木家
父母 樋口三郎兵衛
養父:高木貞次
高木貞次
貞家貞利貞秀貞西貞友
田中喜兵衛室、今尾氏室
養子:高木貞俊
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高木 貞久(たかぎ さだひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将美濃衆西高木家2代。

生涯

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美濃国駒野城主・高木貞次の婿養子として家督を継ぐ。斎藤道三の家臣であり、西美濃三人衆安藤守就に属した。後年、織田信長に従い、今尾城主に転出する。天正10年(1582年本能寺の変後は織田信孝に仕えたが、翌年信孝も没すると駒野に隠居し、同年に死去した。

長男の貞家は父に先立って死去したが、その遺児の貞俊が北高木家、次男の貞利が西高木家、五男の貞友が東高木家と称して美濃衆を形成した。

系譜[1]

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  • 生母不詳
    • 四男:高木貞西
    • 長女:田中喜兵衛の妻
    • 次女:今尾氏の妻

出典

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  1. 大久保休吾 編『養老郡志』1925年、104-105頁。doi:10.11501/1020314