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維新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

維新(いしん)とは、すべて改まり新しくなること[1]和訓では「これあらた」と読む。古くは「惟新」とも書いた。

語の出典

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中国の古典籍や日本の『日本書紀』など、さまざまな古文献に見える。

中国最古の詩篇『詩経』の「大雅・文王篇」に「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命(めい)は維(こ)れ新(あら)たなり)」とあり、これが最古の用例とされる。

また『書経』の「胤征篇」にも「舊染汚俗咸與惟新(旧染の汚俗は咸(みな)与(とも)に惟(こ)れ新(あら)たにせん)」とあり、「咸與惟新」は成句として魯迅の『阿Q正伝』でも使われている。

一方、日本における最古の用例は『日本書紀』である。大化2年(646年)3月の記事に、大化改新の詔に応じた皇太子(中大兄)の言葉として「天人合應厥政惟新」とあり、「天も人も合應(こた)へて、厥(そ)の政(まつりごと)惟(これ)新(あらた)なり」と訓まれている[2]

この他、大同2年(807年)に斎部広成が編纂した『古語拾遺』の跋(「方今聖運初啓。照堯暉於八洲。宝暦惟新。蕩舜波於四海」)や藤原頼長の日記『台記』の久安6年(1150年)10月2日の記事(「終日無片雲又無風。衆庶歎美。同法験惟新焉」)にも「惟新」の二文字が見える。

また幕末の論客では藤田東湖が「維新」を愛用したことが知られている。天保元年(1831年)の日記『庚寅日録』の4月21日の条には「中興維新之責実在足下(中興維新の責、実に足下にあり)」、25日の条にも「去年以来国事維新百度将復(去年以来、国事維新百度も将に復す)」とあるなど、多用と言っていい頻度で用いられていたことが裏付けられる。

語の英訳

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日本語の「維新」は英語ではrestorationと訳される[3]restorationには復古といった意味がある[4]

2012年に結成された日本維新の会は英語名称をJapan Restoration Partyとしていた[4]。2014年9月に日本維新の会と結いの党が合併して結成された維新の党は英語名称をJapan Innovation Partyとしていた。英語のInnovationは日本語訳では「革新」とも訳される[3]。さらに2016年におおさか維新の会から改名した日本維新の会Japan Innovation Partyの英語名称を引き継いでいる[5][6]

日本での使用例

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藩校・道場

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政権・政変・政治スローガンなど

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政党・政治団体

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その他の団体

文化

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ミュージシャン
スポーツ

韓国での使用例

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ベトナムでの使用例

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中国での使用例

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出典

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