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『ルージャールの書』(榎一雄)『ロジェールの書』([[飯塚一郎 (経済学者)])『ルッジェーロの書』(藤井讓治)で見出し. そのラテン語題が Tabula (<ref>+en:Jim Al-Khalili). フランス訳(en:Pierre Amédée Jaubert
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正式名称は、'''The Nuzhat al-mushtāq fi'khtirāq al-āfāq'''(世界横断を望むものの慰みの書、{{lang-ar|نزهة المشتاق في اختراق الآفاق}}、{{lang-en|the book of pleasant journeys into faraway lands}})。


『'''ルージャールの書'''』、『'''ロジェールの書'''』または『'''ルッジェーロの書'''』(Kitāb Rujār、または Kitāb al-Rujārī)は、ノルマン朝シチリア王ルージャール(仏:ロジェール、伊:[[ルッジェーロ2世]])の勅により[[中世]][[イスラーム]]の地理学者[[イドリースィー]]によって1154年に作成された[[世界地図]]・地理書{{sfnp|榎|1992|p=322}}<ref name=iizuka/>{{sfnp|藤井|杉山|金田|2007|p=40}}。西洋ではラテン語名称の『{{lang|la|Tabula Rogeriana}}』<ref name=al-khalili/>({{要出典範囲|『'''タブラ・ロジェリアナ'''』|date=2021年1月|title=Rogeriana は「ロゲリアナ」とカナ転写するはずです。}})でより知られている。
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正式名称は『Nuzhat al-mushtāq fi'khtirāq al-āfāq』(<!--世界横断を望むものの慰みの書-->『'''諸地方を旅行したいと願う人の気晴らしの書'''』{{sfnp|榎|1992|p=322}}{{Refn|group="注"|あるいは『'''世界踏破を憧れる者の楽しみ'''』<ref name=iizuka/>。}}、{{lang-ar|نزهة المشتاق في اختراق الآفاق}}{{sfnp|Jaubert tr.|1836 }}<!--{{lang-en|the book of pleasant journeys into faraway lands}})-->)だが、一般には解説テキストを《'''イドリースィーの地理書'''》<ref name=maejima/>{{sfnp|榎|1992|p=323}}、地図なら《'''イドリースィー図'''》等と呼び習わしている<ref name=ouji/>。
その本は [[アラビア語]]で書かれ、7つの[[気候帯]]に分けられ ([[2世紀]]の[[古代ローマ]]の学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の手法を踏襲している)、各部は更に10に分割され、合計70区画から構成されている(写本見開き2葉で1区画なので合計140葉となる)。地図は[[ユーラシア]]大陸全体と[[北アフリカ]]の一部を含んでいる。地図は北を底辺としている。作成されて後、[[3世紀]]の間世界でもっとも正確な地図であったとされる<ref name=harley/><ref name=Scott/>。70の区画に関する地図の説明は、物理的、文化的、政治的、社会経済的な状況を著している<ref name=harley/><ref name=bacharach>Bacharach, 2006, p. 140.</ref>。


フランス語版完訳がジョーベール([[:en:Pierre Amédée Jaubert|Pierre Amédée Jaubert]])によって刊行されている(1836年){{sfnp|Jaubert tr.|1836 }}{{sfnp|榎|1992|p=325}}。
イドリースィーは地図を作成するために個人や団体の旅行者に、彼らの世界に関する知見をインタヴューし、“矛盾は除外し、信頼できる内容や完全に同意できることだけ”を編纂した<ref name=houben/>。ルッジェーロ2世は300ポンドの重さの銀製の円盤に地図を刻印したと言われている<ref name=houben/>。イドリースィーによると、“7つの気候帯は、国々と地方、海岸、島々、湾、海、水路や河口とともに示されている”とのことである<ref name=houben/>。

== 概説 ==
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その本は [[アラビア語]]で書かれ、7つの[[気候帯]]に分けられ ([[2世紀]]の[[古代ローマ]]の学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の手法を踏襲している)、各部は更に10に分割され、合計70区画から構成されている(写本見開き2葉で1区画なので合計140葉となる){{sfnp|榎|1992|p=323}}<ref name=harley/><ref name=Scott/>。地図はユーラシア大陸をヨーロッパ西端から極東の中国東端まで、そして[[北アフリカ]]を含んでいる<ref name=ouji/>{{sfnp|藤井|杉山|金田|2007|p=40}}<ref name=al-khalili/>。地図は北を底辺としている。作成されて後、[[3世紀]]の間世界でもっとも正確な地図であったとされる<ref name=harley/><ref name=Scott/>。70の区画に関する地図の説明は、物理的、文化的、政治的、社会経済的な状況を著している<ref name=harley/><ref name=bacharach>Bacharach, 2006, p. 140.</ref>。

イドリースィーは地図を作成するために個人や団体の旅行者に、彼らの世界に関する知見をインタヴューし、“矛盾は除外し、信頼できる内容や完全に同意できることだけ”を編纂した<ref name=houben/>。ルッジェーロ2世は300ポンドの重さの銀製の円盤に地図を刻印したと言われている<ref name=houben/><ref>{{harvp|榎|1992|p=323}}<!--"ルージャール二世のために銀製の天球儀と同じく銀製の平円盤に画いた世界地図とを( 2 )製作した"-->、および文末注、p. 331:''Encyclopaedia of Islam'', 2nd ed ., III, p. 1032を引く。</ref>。イドリースィーによると、“7つの気候帯は、国々と地方、海岸、島々、湾、海、水路や河口とともに示されている”とのことである<ref name=houben/>。


イドリースィーの業績について{{仮リンク|サミュエル・パーソンズ・スコット|label=S・P・スコット|en|Samuel Parsons Scott}}は以下のコメントをしている:
イドリースィーの業績について{{仮リンク|サミュエル・パーソンズ・スコット|label=S・P・スコット|en|Samuel Parsons Scott}}は以下のコメントをしている:


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== 注釈 ==
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== 出典 ==
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;文献
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* {{citation|和書|last=榎 |first=一雄 |author-link=榎一雄 |title=アル=イドリースィー校訂本 |work=著作集|volume=3 |publisher=汲古書院 |date=1992 |url=https://books.google.com/books?id=cFQnAAAAMAAJ&q=イドリースィー |pages=320-335}}
*— 「アル=イドリースィー校訂本の刊行(海外東方学界消息-69-)」『東方學』通号 70、1985.07、151–162頁

* {{citation|和書|last1=藤井 |first1=讓治 |author1-link=藤井讓治 |last2=杉山 |first2=正明 |author2-link=杉山正明 |last3=金田 |first3=章裕 |author3-link=金田章裕|title=大地の肖像: 絵図・地図が語る世界 |publisher=京都大学学術出版会 |date=2007 |url=https://books.google.com/books?id=xpJMAQAAIAAJ&q=イドリースィー |pages=}}

* Bacharach, Jere L. (2006). ''Medieval Islamic Civilization: An Encyclopedia''. Routledge. ISBN 978-0-415-96690-0

* Harley, John Brian and Woodward, David (1992). ''The History of Cartography, Volume 2''. Oxford University Press. ISBN 978-0-226-31635-2


* Houben, Hubert (2002). ''Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West''. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-65573-6
タブラ・ロェリアナ』の写本は現在10つの写本が残っており、そのうちの5つは完全なテキストを有しており、そのうちの8つが地図を有している<ref name=harley/>。[[フランス国立図書館]]は2つの写本を蔵しており、そのうちの一つはもっとも古い1325年に遡る写本 (MS Arabe 2221) である。他の写本は1553年に[[カイロ]]で作成されたもので[[オックスフォード大学]]の [[ボドリアン図書館]]に収蔵されている (Mss. Pococke 375)。それは1692年にオックスフォードに齎された<ref>[http://www.bbc.co.uk/ahistoryoftheworld/objects/-es5mO0-QDKczuQypeWReg The Book of Roger], BBC Online.</ref>。 もっとも完全な写本は、世界地図と7つの気候帯の地図を含み、[[イスタンブール]]に保管されている<ref name=bacharach/>。


* {{cite book|ref={{SfnRef|Jaubert tr.|1836 }}|last=Idrisi |first=Muhammad al-|authorlink=:en:Muhammad al-Idrisi |translator-last=Jaubert |translator-first=P. Amédée |translator-link=Pierre Amédée Jaubert |title=Geographie d'Édrisi<!--Kitāb nuzhat al-muštāq fī iẖtirāq al-afāq: 1--> |script-title=ar:المغرب العربي من كتاب نزهة المشتاق |volume=1 |location=Paris |publisher=Imprimerie royale |year=1836 |url=https://books.google.com/books?id=JY4p5HZq-EsC&pg=PA200 |pages=198–200}}
== 脚注 ==
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* {{cite book|ref=harv|last=Scott |first=Samuel Parsons |author-link=:en:Samuel Parsons Scott |title=History of the Moorish Empire in Europe |volume=3 |location=Philadelphia |publisher=Lippincott |date=1904 |url=https://books.google.com/books?id=CjxpAAAAMAAJ&pg=PA461 |pages=}}
==文献==
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*Bacharach, Jere L. (2006). ''Medieval Islamic Civilization: An Encyclopedia''. Routledge. ISBN 978-0-415-96690-0
*Harley, John Brian and Woodward, David (1992). ''The History of Cartography, Volume 2''. Oxford University Press. ISBN 978-0-226-31635-2
*Houben, Hubert (2002). ''Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West''. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-65573-6


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2021年12月29日 (水) 12:36時点における版

『ルージャールの書』の近世の写本シチリア王ルッジェーロ2世のためにイドリースィーによって1154年に描かれた。イドリースィー図は上が南を示す[1][2]
『ルージャールの書』の近世の写本。逆さま(北を上)に表示

ルージャールの書』、『ロジェールの書』または『ルッジェーロの書』(Kitāb Rujār、または Kitāb al-Rujārī)は、ノルマン朝シチリア王ルージャール(仏:ロジェール、伊:ルッジェーロ2世)の勅により中世イスラームの地理学者イドリースィーによって1154年に作成された世界地図・地理書[3][4][5]。西洋ではラテン語名称の『Tabula Rogeriana[2]タブラ・ロジェリアナ[要出典])でより知られている。

正式名称は『Nuzhat al-mushtāq fi'khtirāq al-āfāq』(『諸地方を旅行したいと願う人の気晴らしの書[3][注 1]アラビア語: نزهة المشتاق في اختراق الآفاق[6])だが、一般には解説テキストを《イドリースィーの地理書[7][8]、地図なら《イドリースィー図》等と呼び習わしている[9]

フランス語版完訳がジョーベール(Pierre Amédée Jaubert)によって刊行されている(1836年)[6][10]

概説

イドリースィーはノルマンルッジェーロ2世の宮廷で王命により[3]、1138年頃から15年間写本の彩色と注釈の仕事に従事してきた[11][12]

その本は アラビア語で書かれ、7つの気候帯に分けられ (2世紀古代ローマの学者プトレマイオスの手法を踏襲している)、各部は更に10に分割され、合計70区画から構成されている(写本見開き2葉で1区画なので合計140葉となる)[8][12][13]。地図はユーラシア大陸をヨーロッパ西端から極東の中国東端まで、そして北アフリカを含んでいる[9][5][2]。地図は北を底辺としている。作成されて後、3世紀の間世界でもっとも正確な地図であったとされる[12][13]。70の区画に関する地図の説明は、物理的、文化的、政治的、社会経済的な状況を著している[12][14]

イドリースィーは地図を作成するために個人や団体の旅行者に、彼らの世界に関する知見をインタヴューし、“矛盾は除外し、信頼できる内容や完全に同意できることだけ”を編纂した[11]。ルッジェーロ2世は300ポンドの重さの銀製の円盤に地図を刻印したと言われている[11][15]。イドリースィーによると、“7つの気候帯は、国々と地方、海岸、島々、湾、海、水路や河口とともに示されている”とのことである[11]

イドリースィーの業績についてS・P・スコット英語版は以下のコメントをしている:

"イドリースィーの編纂作業は 科学の歴史に足跡を残した。歴史的に興味深く価値のある情報だけではなく、地球上の多くの地域の記載は未だに権威がある。3世紀の間、地理学者は彼の地図を変更することなく複写してきた。ナイル河の源流の湖の場所や数値は彼の仕事のものと同じで、700年以上後のベイカー英語版スタンリーが作成したものと大きな違いは無い。著者の技術的才能は、その博学さに劣らない。 彼が王家のパトロンの為に作った銀製の天地の平面天体図は直径が6フィート近くあり、重さは450ポンドあり、一方の端には黄道星座が、他方の端には大地と水が描かれ、多様な国々が描かれている"[13][2]

『ルージャールの書』の写本は現在10つの写本が残っており、そのうちの5つは完全なテキストを有しており、そのうちの8つが地図を有している[12]フランス国立図書館は2つの写本を蔵しており、そのうちの一つはもっとも古い1325年に遡る写本 (MS Arabe 2221) である。他の写本は1553年にカイロで作成されたものでオックスフォード大学ボドリアン図書館に収蔵されている (Mss. Pococke 375)。それは1692年にオックスフォードに齎された[16]。 もっとも完全な写本は、世界地図と7つの気候帯の地図を含み、イスタンブールに保管されている[14]

注釈

  1. ^ あるいは『世界踏破を憧れる者の楽しみ[4]

出典

脚注
  1. ^ 藤井, 杉山 & 金田 (2007), p. 50.
  2. ^ a b c d Al-Khalili, Jim (2011). The House of Wisdom: How Arabic Science Saved Ancient Knowledge and Gave Us the Renaissance. publisher=Penguin. ISBN 9781101476239. https://books.google.com/books?id=aJ5zDM1KfewC&pg=PT216 
  3. ^ a b c 榎 (1992), p. 322.
  4. ^ a b 飯塚一郎大航海時代へのイベリア: スペイン植民地主義の形成 』中央公論社〈中公新書〉、1981年、57頁https://books.google.com/books?id=Xpo7dUGsiXwC&q=イドリースィー 
  5. ^ a b 藤井, 杉山 & 金田 (2007), p. 40.
  6. ^ a b Jaubert tr. (1836).
  7. ^ 前嶋一雄日持上人の大陸渡航: 宣化出土遺物を中心として』(2版)誠文堂新光社、1992年、55頁。ISBN 9784416883228https://books.google.com/books?id=99dMAAAAMAAJ&q=イドリースィー 
  8. ^ a b 榎 (1992), p. 323.
  9. ^ a b 応地利明地図は語る「世界地図」の誕生』日本経済新聞出版社、2007年、172頁。ISBN 9784532165833https://books.google.com/books?id=F7BMAQAAIAAJ&q=イドリースィー 
  10. ^ 榎 (1992), p. 325.
  11. ^ a b c d Houben, 2002, pp. 102-104.
  12. ^ a b c d e Harley & Woodward, 1992, pp. 156-161.
  13. ^ a b c Scott (1904), 3: 461–462
  14. ^ a b Bacharach, 2006, p. 140.
  15. ^ 榎 (1992), p. 323、および文末注、p. 331:Encyclopaedia of Islam, 2nd ed ., III, p. 1032を引く。
  16. ^ The Book of Roger, BBC Online.
参照文献
  • Harley, John Brian and Woodward, David (1992). The History of Cartography, Volume 2. Oxford University Press. ISBN 978-0-226-31635-2
  • Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West. Cambridge University Press. ISBN 978-0-521-65573-6

外部リンク