「蟠渓駅」の版間の差分

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m 10月1日のダイヤ改正で廃止されたため、運行は9月まで。
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
* [[1940年]](昭和15年)[[12月15日]] - '''[[胆振縦貫鉄道]]'''伊達紋別駅 - 徳舜瞥駅(後の新大滝駅)間の開通に伴い、開業。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]。
* [[1940年]](昭和15年)[[12月15日]] - '''[[胆振縦貫鉄道]]'''伊達紋別駅 - 徳舜瞥駅(後の新大滝駅)間の開通に伴い、開業。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]{{R|停車場}}
* [[1944年]](昭和19年)[[7月1日]] - 胆振縦貫鉄道が[[戦時買収私鉄|戦時買収]]により国有化。路線名が'''胆振線'''に改称され、それに伴い同線の駅となる。
* [[1944年]](昭和19年)[[7月1日]] - 胆振縦貫鉄道が[[戦時買収私鉄|戦時買収]]により国有化{{R|停車場}}。路線名が'''胆振線'''に改称され、それに伴い同線の駅となる。
* [[1971年]](昭和46年)[[10月1日]] - 貨物・[[チッキ|荷物]]の取り扱いを廃止。
* [[1971年]](昭和46年)[[10月1日]] - 貨物・[[チッキ|荷物]]の取り扱いを廃止{{R|停車場}}
* 時期不詳<ref group="注" name="ekimei">1981年(昭和56年)4月時点では無人駅であった(書籍『コロタン文庫36 国鉄駅名全百科 56.4訂補版』([[小学館]]、[[1981年]][[10月]]発行)55ページより)。</ref> - 無人([[日本の鉄道駅#簡易委託駅|簡易委託]])駅化。
* 時期不詳<ref group="注" name="ekimei">1981年(昭和56年)4月時点では無人駅であった(書籍『コロタン文庫36 国鉄駅名全百科 56.4訂補版』([[小学館]]、[[1981年]][[10月]]発行)55ページより)。</ref> - 無人([[日本の鉄道駅#簡易委託駅|簡易委託]])駅化。
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]] - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる。
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]] - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる{{R|官報86}}


== 駅跡 ==
== 駅跡 ==

2021年6月12日 (土) 15:32時点における版

蟠渓駅
ばんけい
Bankei
久保内 (6.0 km)
(4.4 km) 北湯沢
所在地 北海道有珠郡壮瞥町字蟠渓
北緯42度35分6.7秒 東経141度1分35.6秒 / 北緯42.585194度 東経141.026556度 / 42.585194; 141.026556座標: 北緯42度35分6.7秒 東経141度1分35.6秒 / 北緯42.585194度 東経141.026556度 / 42.585194; 141.026556
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 胆振線
キロ程 23.1 km(伊達紋別起点)
電報略号 ハケ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1940年昭和15年)12月15日[1]
廃止年月日 1986年昭和61年)11月1日[2]
備考 胆振線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1976年の蟠渓駅と周囲約500m範囲。左下が伊達紋別方面。写真中央に駅舎、駅舎前から伊達紋別方向にゆるやかにカーブする単式ホームが白く見え、駅裏側にも側線の姿が崖の陰に隠れた形で少し見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

蟠渓駅(ばんけいえき)は、かつて北海道胆振支庁有珠郡壮瞥町字蟠渓に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線廃駅)である。電報略号ハケ。胆振線の廃線に伴い、1986年(昭和61年)11月1日に廃駅となった。

1980年(昭和55年)9月まで運行されていた、急行いぶり」の停車駅であった。

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(倶知安方面に向かって左手側)に存在した[3]。かつては相対式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎の反対側の1線は、交換設備運用廃止後も伊達紋別方の転轍機と一部の線路が撤去された状態で側線として残っていた[3]。但し、1983年(昭和58年)時点ではホームは撤去されていた[3]

無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の駅舎は一部改修され、正面の事務室部分の窓は塞がれていた[3]。駅舎は構内の北西側に位置し、高台のホームとは階段付きの通路で連絡した[3]。構内が緩くカーブしており、ホームもカーブしていた[4]

駅名の由来

当駅が所在した地名より。地名は、アイヌ語の「パンケ」(川下)に由来する。

利用状況

  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は20人[3]

駅周辺

歴史

駅跡

1997年(平成9年)時点ではホームと線路跡が残存しており、駅があった頃の雰囲気が残っていた[4]。2010年(平成22年)時点でも同様で、構内に上る階段も残存していた[6]。2011年(平成23年)時点でも同様で、伊達紋別方の築堤やホーム上の備品も残存している[7]バス停留所も設置されている。

また、1997年(平成9年)時点では駅跡より伊達紋別方に行った所にある白水川に、ガーダー橋が残存していた[4]。2010年(平成22年)時点[6]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[7]。橋傍の温泉旅館の露天風呂から良く見えるとのことである[7]

隣の駅

日本国有鉄道
胆振線
久保内駅 - 蟠渓駅 - 北湯沢駅

脚注

注釈

  1. ^ 1981年(昭和56年)4月時点では無人駅であった(書籍『コロタン文庫36 国鉄駅名全百科 56.4訂補版』(小学館1981年10月発行)55ページより)。

出典

  1. ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、858頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)92ページより。
  4. ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング1997年5月発行)41ページより。
  5. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)
  6. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)154-156ページより。
  7. ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)198ページより。

関連項目