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=== テーセウスとヒッポリュテー ===
=== テーセウスとヒッポリュテー ===
同じくアポロドーロスの「摘要(エピトメー)」によると、ヘーラクレースのアマゾーン遠征に参加した[[テーセウス]]がひとりのアマゾーンをさらった<ref>『ギリシア神話』E.1.16-17, E.5.1-2</ref><ref>ヒュギーヌスでは、ヘーラクレースがヒッポリュテーから女王の帯を奪い取り、そのとき捕虜にしたアンティオペーをテーセウスに譲ったとしている。</ref>
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さらわれたアマゾーンの名は一般に[[アンティオペー]]とされるが、メラニッペーまたはヒッポリュテーあるいはグラウケーとする説もある<ref>アポロドーロスは、「シモーニデスによれば」ヒッポリュテーであるとしている。</ref>。このため、アマゾーンの大軍が[[アテーナイ]]に押し寄せ、アレースの丘に陣取った。アマゾーンたちの指揮を執ったのは、アンティオペーの姉妹の[[オーレイテュイア]]で、[[スキュティア]]人と同盟したという<ref>ロバート・グレーヴス『ギリシア神話』第100話「テーセウスとアマゾーンたち」</ref>。4ヶ月間に及ぶ激戦の結果、アテーナイが勝利した。
さらわれたアマゾーンの名は一般に[[アンティオペー]]とされるが、メラニッペーまたはヒッポリュテーあるいはグラウケーとする説もある{{efn2|アポロドーロスは、「シモーニデスによれば」ヒッポリュテーであるとしている。}}。このため、アマゾーンの大軍が[[アテーナイ]]に押し寄せ、アレースの丘に陣取った。アマゾーンたちの指揮を執ったのは、アンティオペーの姉妹の[[オーレイテュイア]]で、[[スキュティア]]人と同盟したという<ref>ロバート・グレーヴス『ギリシア神話』第100話「テーセウスとアマゾーンたち」</ref>。4ヶ月間に及ぶ激戦の結果、アテーナイが勝利した。


このアマゾーンとテーセウスとの間に[[ヒッポリュトス (神話)|ヒッポリュトス]]が生まれた。しかし、後にテーセウスが[[ミーノース]]の娘[[パイドラー]]と結婚したとき、彼女は他のアマゾーンたちとともにテーセウスを襲った。彼女はこの戦闘でテーセウスに殺された、あるいはアマゾーンたちの襲撃を知ったテーセウスの仲間が急いで扉を閉め、屋内で彼女を殺したともいう。別の説では、彼女はテーセウスの側についてアマゾーンたちと戦って死んだ、または[[ペンテシレイア]]が誤ってヒッポリュテーを殺したともされる。
このアマゾーンとテーセウスとの間に[[ヒッポリュトス (神話)|ヒッポリュトス]]が生まれた。しかし、後にテーセウスが[[ミーノース]]の娘[[パイドラー]]と結婚したとき、彼女は他のアマゾーンたちとともにテーセウスを襲った。彼女はこの戦闘でテーセウスに殺された、あるいはアマゾーンたちの襲撃を知ったテーセウスの仲間が急いで扉を閉め、屋内で彼女を殺したともいう。別の説では、彼女はテーセウスの側についてアマゾーンたちと戦って死んだ、または[[ペンテシレイア]]が誤ってヒッポリュテーを殺したともされる。
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== イーピトスの妻 ==
== イーピトスの妻 ==
ヒュギーヌスは、ナウボロスの子[[イーピトス]]([[アルゴナウタイ]]のひとり)の妻としてヒッポリュテーの名を挙げている<ref>『ギリシャ神話集』第97話「トロイアに出征した戦士、船の数」</ref>。このヒッポリュテーとアマゾーンの関係は不明である。イーピトスの子に[[スケディオス]]と[[エピストロポス]]がある。二人は[[ヘレネー]]への求婚者であり、船40艘を率いて[[トロイア戦争]]に参戦した<ref>『イーリアス』第2歌517-526行では[[ポーキス]]から、ヒュギーヌスでは[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]から参加したとされる。</ref>。スケディオスは[[ヘクトール]]に討たれた<ref>『イーリアス』第17歌304-311行</ref>。
ヒュギーヌスは、ナウボロスの子[[イーピトス]]([[アルゴナウタイ]]のひとり)の妻としてヒッポリュテーの名を挙げている<ref>『ギリシャ神話集』第97話「トロイアに出征した戦士、船の数」</ref>。このヒッポリュテーとアマゾーンの関係は不明である。イーピトスの子に[[スケディオス]]と[[エピストロポス]]がある。二人は[[ヘレネー]]への求婚者であり、船40艘を率いて[[トロイア戦争]]に参戦した{{efn2|[[ポーキス]]から、ヒュギーヌスでは[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]から参加したとされる。<ref>『イーリアス』第2歌517-526行</ref>}}。スケディオスは[[ヘクトール]]に討たれた<ref>『イーリアス』第17歌304-311行</ref>。


== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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2019年8月20日 (火) 08:38時点における版

アマゾーンと戦うヘーラクレース、紀元前530 - 520年ごろのアッティカの黒絵式壺絵(ルーヴル美術館所蔵)

ヒッポリュテー古希: Ἱππολύτη, Hippolytē)は、ギリシア神話に登場するアマゾーンの女王である。長母音を省略してヒッポリュテとも表記される。ヒッポリュテーが持つアレースの帯が、ヘーラクレースの「12の功業」のうち9番目の課題の対象となった。

ヒュギーヌスでは、ヒッポリュテーはアレースとアマゾーンの女王オトレーレーの娘とされる[1]

神話

以下は主としてアポロドーロスに基づく[2]。ヒッポリュテーはテルモードーン河岸に居留するアマゾーンたちを支配していた。彼女は第一人者の徴として、アレースの帯を持っていた。

エウリュステウスの娘アドメーテーがこの帯を欲しがったため、ヘーラクレースは勇者を募り、船で小アジア黒海のほとりに向かった。このとき、イオラーオステラモーンペーレウステーセウスらがヘーラクレースに従ったという。

ヘーラクレースがテミスキューラの港に入ると、そこへヒッポリュテーがやって来て彼らの目的を尋ね、案に相違して帯を与えると約束した。これには、ヒッポリュテーがヘーラクレースを好ましく思った、またはヘーラクレースがヒッポリュテーの姉妹メラニッペーを捕虜とし、この引き渡しの交換条件として帯を要求したという説もある。この時点でヒッポリュテーはすでに帯を渡したともいう。

しかし、女神ヘーラーがアマゾーンの姿をとり、女王がかどわかされようとしていると触れ回ったため、これを聞いたアマゾーンたちが騎乗して港へかけつけてきた。武装したアマゾーンたちを見て騙されたと思ったヘーラクレースは、ヒッポリュテーを殺して帯を奪い、殺到するアマゾーンたちと戦ってこれを退けた。ヘーラクレースはティーリュンスに帰り着くと帯をエウリュステウスに渡し、エウリュステウスは娘のアドメーテーに譲った。後に、ヒッポリュテーが持っていた斧は、ヘーラクレースが奴隷として仕えたオムパレーに贈られ、リューディア紋章となった。

テーセウスとヒッポリュテー

同じくアポロドーロスの「摘要(エピトメー)」によると、ヘーラクレースのアマゾーン遠征に参加したテーセウスがひとりのアマゾーンをさらった[3][注 1]

さらわれたアマゾーンの名は一般にアンティオペーとされるが、メラニッペーまたはヒッポリュテーあるいはグラウケーとする説もある[注 2]。このため、アマゾーンの大軍がアテーナイに押し寄せ、アレースの丘に陣取った。アマゾーンたちの指揮を執ったのは、アンティオペーの姉妹のオーレイテュイアで、スキュティア人と同盟したという[4]。4ヶ月間に及ぶ激戦の結果、アテーナイが勝利した。

このアマゾーンとテーセウスとの間にヒッポリュトスが生まれた。しかし、後にテーセウスがミーノースの娘パイドラーと結婚したとき、彼女は他のアマゾーンたちとともにテーセウスを襲った。彼女はこの戦闘でテーセウスに殺された、あるいはアマゾーンたちの襲撃を知ったテーセウスの仲間が急いで扉を閉め、屋内で彼女を殺したともいう。別の説では、彼女はテーセウスの側についてアマゾーンたちと戦って死んだ、またはペンテシレイアが誤ってヒッポリュテーを殺したともされる。

系図

アイゲウス
 
オトレーレー
 
アレース
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
テーセウス
 
アンティオペー
 
ヒッポリュテー
 
ペンテシレイア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヒッポリュトス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


イーピトスの妻

ヒュギーヌスは、ナウボロスの子イーピトスアルゴナウタイのひとり)の妻としてヒッポリュテーの名を挙げている[5]。このヒッポリュテーとアマゾーンの関係は不明である。イーピトスの子にスケディオスエピストロポスがある。二人はヘレネーへの求婚者であり、船40艘を率いてトロイア戦争に参戦した[注 3]。スケディオスはヘクトールに討たれた[7]

脚注

注釈

  1. ^ ヒュギーヌスでは、ヘーラクレースがヒッポリュテーから女王の帯を奪い取り、そのとき捕虜にしたアンティオペーをテーセウスに譲ったとしている。
  2. ^ アポロドーロスは、「シモーニデスによれば」ヒッポリュテーであるとしている。
  3. ^ ポーキスから、ヒュギーヌスではアルゴスから参加したとされる。[6]

出典

  1. ^ 『ギリシャ神話集』第30話「エウリュステウスに命じられたヘーラクレースの十二の功業」
  2. ^ ビブリオテーケー』(日本語訳『ギリシア神話』)II.5.9
  3. ^ 『ギリシア神話』E.1.16-17, E.5.1-2
  4. ^ ロバート・グレーヴス『ギリシア神話』第100話「テーセウスとアマゾーンたち」
  5. ^ 『ギリシャ神話集』第97話「トロイアに出征した戦士、船の数」
  6. ^ 『イーリアス』第2歌517-526行
  7. ^ 『イーリアス』第17歌304-311行

参考文献