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[[エリザベス1世]]の宰相初代[[バーリー男爵]][[ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵)|ウィリアム・セシル]]には長男[[トマス・セシル (初代エクセター伯爵)|トマス]]<small>(1542–1623)</small>と次男[[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート]]<small>(1565–1612)</small>という二人の息子があったが、父の政治的な立場は次男ロバートが引き継ぎ、ロバートは[[エリザベス朝]]末から[[ステュアート朝]]初期にかけて宰相を務めた{{sfn|ヒバート|1998下巻|p=205-206}}。
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以降ロバートの男系男子によってソールズベリー伯爵位は継承されていき、[[仍孫]]の7代ソールズベリー伯[[ジェイムズ・セシル (初代ソールズベリー侯爵)|ジェイムズ]]<small>(1748-1823)</small>の代の[[1789年]][[8月25日]]にソールズベリー侯爵に叙せられた<ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1634.htm#i16332 |title= James Cecil, 1st Marquess of Salisbury |accessdate= 2015-03-22 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
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2018年12月30日 (日) 04:55時点における版

ソールズベリー侯爵
Cecil
創設時期1789年8月10日
創設者ジョージ3世
貴族グレートブリテン貴族
初代ジェイムズ・セシル(7代ソールズベリー伯)
現所有者ロバート・ガスコイン=セシル(7代ソールズベリー侯)
相続人エドワード・ガスコイン=セシル(クランボーン子爵)
相続資格初代侯爵の直系嫡流の男系男子
付随称号ソールズベリー伯爵(1605年)、クランボーン子爵(1604年)、エッセンドンのセシル男爵(1603年)

ソールズベリー侯(英:Marquess of Salisbury)は、イギリス侯爵位の一つ。グレートブリテン貴族

前身のソールズベリー伯爵位は過去に5回創設されている。ソールズベリー侯爵位は7代ソールズベリー伯(第5期)ジェイムズ・セシル1789年に叙せられたのに始まる。ソールズベリー侯として最も有名なのは、19世紀末から20世紀初にかけて3度イギリスの首相を務めた3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。2015年現在の当主は7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシルである。

歴史

セシル家前

ソールズベリー伯の爵位には複雑な歴史がある。この称号は12世紀の半ばにパトリック・ドゥ・ソールズベリーのために創設された。この称号は女系相続を経て代々継承され、5代目のアリス・ド・レィシーまで続くが、1322年にアリスの夫であるランカスター伯トマスが従弟のイングランドエドワード2世に対する反逆罪で処刑されると、彼女もソールズベリー伯の爵位を返上することになった。

1337年、ソールズベリー伯は国王エドワード3世の寵臣でスコットランドとの戦闘で功のあったウィリアム・モンタキュートのために再創設された。この爵位は後にモンタキュート家と姻戚関係を結んだネヴィル家に引き継がれ、1428年に第4代ソールズベリー伯トマス・モンタキュート百年戦争におけるオルレアン包囲戦で戦死すると娘婿のリチャード・ネヴィルが第5代ソールズベリー伯となった。やがて1460年に同名の息子でウォリック伯でもあったリチャード・ネヴィルが継承するが、この時期イングランド国内で薔薇戦争が勃発し、1471年にリチャード・ネヴィルが戦死すると、その爵位と所領は敵方であるヨーク家に没収される。

1472年、ソールズベリー伯は国王エドワード4世の弟クラレンス公ジョージに与えられた。クラレンス公がリチャード・ネヴィルの長女イザベル・ネヴィルの夫であることを法的根拠としたのである。しかしイザベルの妹アン・ネヴィルがクラレンス公の弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)と結婚すると、この広大なリチャード・ネヴィルの遺産をめぐって兄弟の対立が激化する。1476年にイザベルが死ぬと形勢はクラレンス公にとって不利になり、結局1478年にクラレンス公は反逆罪で処刑される。

クラレンス公の後ソールズベリー伯を継いだのは、グロスター公とアン夫妻の息子でクラレンス公の甥に当たるエドワード・オブ・ミドルハムである。彼は父が1483年に国王リチャード3世に即位したのでプリンス・オブ・ウェールズになるが翌1484年に急死、爵位も消滅する。この爵位は1485年、エドワードの同名の従兄でクラレンス公の息子のエドワード・プランタジネットが継承する。しかし同年に即位したテューダー朝ヘンリー7世ロンドン塔へ投獄・監視されたエドワードは1499年に反逆罪で処刑される(爵位が正式に消滅したのは1504年)。ソールズベリー伯は1513年にエドワードの姉マーガレット・ポールが復活させたが、彼女も1539年に反逆罪にかけられ剥奪されてしまう(マーガレット本人は2年後の1541年に処刑)。

セシル家

ソールズベリー侯爵セシル家本邸ハットフィールド・ハウス

エリザベス1世の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシルには長男トマス(1542–1623)と次男ロバート(1565–1612)という二人の息子があったが、父の政治的な立場は次男ロバートが引き継ぎ、ロバートはエリザベス朝末からステュアート朝初期にかけて宰相を務めた[1]

1605年5月4日にセシル兄弟はジェームズ1世より同時に伯爵位を与えた。トマスは「エクセター伯爵(Earl of Exeter)」、ロバートは「ソールズベリー伯爵(Earl of Salisbury)」にそれぞれ叙せられた[2][3]

以降ロバートの男系男子によってソールズベリー伯爵位は継承されていき、仍孫の7代ソールズベリー伯ジェイムズ(1748-1823)の代の1789年8月25日にソールズベリー侯爵に叙せられた[4]

2代ソールズベリー侯ジェイムズ(1791-1868)の代の1821年3月にガスコイン家との結婚を機に勅許を得て「ガスコイン=セシル」と改姓している[5]

3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1830-1903)は、ヴィクトリア朝後期に三度に渡って首相(在職1885-1886、1886-1892,1895-1902)を務めた。彼はボーア戦争日英同盟時の首相として知られる。彼の登場以降ソールズベリー侯爵家はイギリス政界の中心的存在となり、国際連合創設への貢献でノーベル平和賞を受賞した初代チェルウッドのセシル子爵ロバート・ガスコイン=セシル(1864-1958)(3代侯の三男)や貴族院の停止的拒否権を制限する「ソールズベリー慣行」を確立する5代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1893-1972)等を輩出する。

2016年現在の当主は7代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル(1946-)である[6][7]

初代ソールズベリー伯ロバートは、ジェームズ1世との邸宅交換でハートフォードシャーにあるハットフィールド・ハウスを手に入れ、以来現在に至るまでそこが代々の本拠である[8]

分流にロックリー男爵家が存在する。同家は2代ソールズベリー侯の三男ユースタス(1834-1921)の子イヴリン(1865-1941)が1934年にロックリー男爵に叙せられたのに始まっている[9]

現当主の保有爵位

現当主ロバート・ガスコイン=セシルは以下の爵位を保有している[6][7]

歴代当主一覧

ソールズベリー伯 第1期(1145年頃創設)

ソールズベリー伯 第2期(1337年創設)

第6代ソールズベリー伯リチャード・ネヴィル

ソールズベリー伯 第3期(1472年創設)

ソールズベリー伯 第4期(1478年創設)

ソールズベリー伯 第2期(1485年復帰)

ソールズベリー伯 第5期(1605年創設)

初代ソールズベリー伯ロバート・セシル

ソールズベリー侯(1789年創設)

第3代ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル

家系図

ソールズベリー侯爵(伯爵)セシル家(ガスコイン=セシル家)系図
 
 
初代バーリー男爵
ウィリアム
(1520-1598)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初代エクセター伯
2代バーリー男爵
トマス
(1542-1623)
 
初代ソールズベリー伯
ロバート

(1563-1612)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エクセター伯爵
エクセター侯爵家へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ソールズベリー伯
ウィリアム

(1591-1668)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クランボーン子爵
チャールズ
(1619-1660)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ソールズベリー伯
ジェイムズ

(1648-1683)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代ソールズベリー伯
ジェイムズ

(1666-1694)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ソールズベリー伯
ジェイムズ英語版

(1691–1728)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6代ソールズベリー伯
ジェイムズ英語版

(1713–1780)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
初代ソールズベリー侯
7代ソールズベリー伯
ジェイムズ

(1748-1823)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2代ソールズベリー侯
ジェイムズ

(1791-1868)
(以下ガスコイン=セシル姓)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3代ソールズベリー侯
ロバート
(首相)
(1830-1903)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ユースタス
(1834-1921)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代ソールズベリー侯
ジェイムズ

(1861-1947)
 
初代セシル子爵
ロバート
(1864-1958)
 
初代クイックスウッド男爵
ヒュー

(1869-1956)
 
初代ロックリー男爵
イヴリン

(1865-1941)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロックリー男爵家へ
 
 
 
 
 
 
 
5代ソールズベリー侯
ロバート

(1893-1972)
 
 
 
 
 
 
 
 
6代ソールズベリー侯
ロバート

(1916-2003)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代ソールズベリー侯
ロバート

(1946-)
 
 
 
 
 
 
 
 
クランボーン子爵
ロバート
(1970-)
 
 
 

脚注

注釈

出典

  1. ^ ヒバート & 1998下巻, p. 205-206.
  2. ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). "Cecil, Thomas (1542-1622)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 404–405.
  3. ^ Jessopp, Augustus [in 英語] (1887). "Cecil, Robert" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 9. London: Smith, Elder & Co. pp. 400–404.
  4. ^ Lundy, Darryl. “James Cecil, 1st Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月22日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “James Brownlow William Gascoyne-Cecil, 2nd Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2015年3月13日閲覧。
  6. ^ a b Lundy, Darryl. “Robert Michael James Gascoyne-Cecil, 7th Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2016年8月16日閲覧。
  7. ^ a b Heraldic Media Limited. “Salisbury, Marquess of (GB, 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月14日閲覧。
  8. ^ 青木道彦 2000, p. 50.
  9. ^ UK Parliament. “Sir Evelyn Cecil” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年3月13日閲覧。

参考文献

関連項目