「世界を揺るがした10日間」の版間の差分
敬語の除去 |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[ファイル:Ten_Days_That_Shook_The_World_Cover.jpg|サムネイル|ボニ&リヴライト社の1919年初版]] |
[[ファイル:Ten_Days_That_Shook_The_World_Cover.jpg|サムネイル|ボニ&リヴライト社の1919年初版]] |
||
『'''世界を揺るがした10日間'''』 |
『'''世界を揺るがした10日間'''』(せかいをゆるがしたとおかかん)<ref group="note">日本語訳題は複数のバリエーションがある([[世界を揺るがした10日間#日本語版|#日本語版]]を参照)。</ref>は、[[1917年]]の[[ロシア帝国|ロシア]][[十月革命]]について[[アメリカ合衆国]]のジャーナリストで[[社会主義|社会主義者]]の[[ジョン・リード]]が執筆したルポルタージュ作品。リードは十月革命を直接経験した。リードは[[ロシア]]にいる間に多くの著名な[[ボリシェヴィキ]]の指導者を取材した。ジョン・リードはこの本を出版してすぐの[[1920年]]に死去し、[[モスクワ]]の[[クレムリン]]の壁に埋葬されている。<!---日本の片山潜も埋葬されているので、「ソ連の指導者だけ」というわけではない」---> |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
リードは[[ロシア革命]]を取材する間、社会主義者の雑誌である『マッセス』の編集を担当していた。リードは真実を書き留める誠実な記者としてロシア革命を目撃したいと述べていたにもかかわらず<ref name="preface" />、この本の序文にて「私の同情心は決して中立的なものではなかった」と述べている<ref name="preface" />(そのためこの本は[[ボリシェヴィキ]]の観点に傾倒したものとなっている)。 |
リードは[[ロシア革命]]を取材する間、社会主義者の雑誌である『マッセス』の編集を担当していた。リードは真実を書き留める誠実な記者としてロシア革命を目撃したいと述べていたにもかかわらず<ref name="preface" />、この本の序文にて「私の同情心は決して中立的なものではなかった」と述べている<ref name="preface" />(そのためこの本は[[ボリシェヴィキ]]の観点に傾倒したものとなっている)。 |
||
{{quote box|align=left|width=33%|quote=この本は私が見てきた歴史を強調した1ピースである。この本では偽り無く、ありのままにあの11月を説明した<ref group="note">当時、ロシア帝国では[[ユリウス暦]]が使用されていた。10月革命は欧米などで使用されていた[[グレゴリオ暦]]では11月に起きた。</ref>。 労働者と兵士の代表であったボリシェビキは革命によってロシアの国家権力を手に入れ、権力をソビエトの手に委ねた。|source=ジョン・リード<ref name="preface">{{cite book |last=Reed |first=John |
{{quote box|align=left|width=33%|quote=この本は私が見てきた歴史を強調した1ピースである。この本では偽り無く、ありのままにあの11月を説明した<ref group="note">当時、ロシア帝国では[[ユリウス暦]]が使用されていた。10月革命は欧米などで使用されていた[[グレゴリオ暦]]では11月に起きた。</ref>。 労働者と兵士の代表であったボリシェビキは革命によってロシアの国家権力を手に入れ、権力をソビエトの手に委ねた。|source=ジョン・リード<ref name="preface">{{cite book |last=Reed |first=John |title=Ten Days that Shook the World |origyear=1919 |edition=1st |date=1990-02-07 |publisher=Penguin Classics |isbn= 0-14-018293-4 }}</ref>}} |
||
リードがロシアに向けて出発する前、[[1917年のスパイ活動法]]が6月15日に可決された。スパイ活動法は兵士の募集を妨げる者は無条件に投獄でき、反戦感情を助長するような新聞や雑誌を郵送することを禁じる法律であった。[[アメリカ合衆国郵便公社]]はこの法律を満たさない郵便物は配送を拒否する権利が与えられ、基準を満たさない雑誌は郵送することができなかったので、公的な出版物と見なされなくなった<ref name="mott">{{cite book|last=Mott|first=Frank Luther|title=American Journalism: A History of Newspapers in the United States Through 250 Years, 1690–1940|year=1941|publisher=The Macmillan Company|location=New York}}</ref>。このため、『マッセス』は1917年の秋に[[アメリカ合衆国連邦政府]]による出版の差し止めを余儀なくされた。1917年秋は[[第一次世界大戦]]を背景とした雑誌政策の変更が拒絶された後であった。『解放者』はマックス・イーストマンと姉妹の個人の運営によって創設されたが、『解放者』はリードのロシア革命に関する記事を載せていた。このような雑誌の存続のための努力の中で、イーストマンは自身の見解について徐々に妥協するようになった<ref name="eastmanlandr">{{cite book|last=Eastman|first=Max|title=Love and Revolution: My Journey Through an Epoch|year=1964|publisher=Random House|pages=69–78|location=New York |
リードがロシアに向けて出発する前、[[1917年のスパイ活動法]]が6月15日に可決された。スパイ活動法は兵士の募集を妨げる者は無条件に投獄でき、反戦感情を助長するような新聞や雑誌を郵送することを禁じる法律であった。[[アメリカ合衆国郵便公社]]はこの法律を満たさない郵便物は配送を拒否する権利が与えられ、基準を満たさない雑誌は郵送することができなかったので、公的な出版物と見なされなくなった<ref name="mott">{{cite book|last=Mott|first=Frank Luther|title=American Journalism: A History of Newspapers in the United States Through 250 Years, 1690–1940|year=1941|publisher=The Macmillan Company|location=New York}}</ref>。このため、『マッセス』は1917年の秋に[[アメリカ合衆国連邦政府]]による出版の差し止めを余儀なくされた。1917年秋は[[第一次世界大戦]]を背景とした雑誌政策の変更が拒絶された後であった。『解放者』はマックス・イーストマンと姉妹の個人の運営によって創設されたが、『解放者』はリードのロシア革命に関する記事を載せていた。このような雑誌の存続のための努力の中で、イーストマンは自身の見解について徐々に妥協するようになった<ref name="eastmanlandr">{{cite book|last=Eastman|first=Max|title=Love and Revolution: My Journey Through an Epoch|year=1964|publisher=Random House|pages=69–78|location=New York}}</ref>。 |
||
ロシアを発って1918年の4月に[[ノルウェー]]のクリスチャニア(現・[[オスロ]])から帰途につく中、2月23日以来[[アメリカ合衆国国務省]]によってアメリカに旅立つことかロシアに戻ることのどちらかを禁止された。リードのトランクの中の革命に関する記事やノート(ビラ、新聞や演説も含む)は税関の職員によって取り上げられた。税関の職員はリードが過去8 |
ロシアを発って1918年の4月に[[ノルウェー]]のクリスチャニア(現・[[オスロ]])から帰途につく中、2月23日以来[[アメリカ合衆国国務省]]によってアメリカに旅立つことかロシアに戻ることのどちらかを禁止された。リードのトランクの中の革命に関する記事やノート(ビラ、新聞や演説も含む)は税関の職員によって取り上げられた。税関の職員はリードが過去8か月の間にロシアでどのような活動を行っていたのか4時間ほど尋問した。[[マイク・ゴールド]]はリードが[[マンハッタン]]に到着したことを目撃しており、「法務省の職員の群れが彼から服や荷物を剥ぎ取り、彼を激しく尋問していた。リードは船の中で食中毒になっていた。この尋問は苦痛なものであった」<ref name="goldaccount">{{Cite journal|last=Gold|first=Michael|date=1940-10-22|title=He Loved the People|journal=The New Masses|volume=|issue=|pages=8–11}}</ref>と振り返っている。1918年の真夏に自宅に帰るまでの間、リードは革命の鮮明な印象が徐々に消えていくことを心配しており<ref name="dukevivid">{{cite book|last=Duke|first=David C.|title=John Reed|year=1987|publisher=Twayne Publishers|isbn=0-8057-7502-1|page=41|location=Boston}}</ref>、政府によって取り上げられて返却を拒否された新聞を取り返すことに苦戦した。 |
||
リードは7 |
リードは7か月後の11月まで資料を取り戻すことが出来なかった。リードが本を書くために一人でいる間、マックス・イーストマンはシェリダン・スクエアの中央でジョン・リードとの会談を思い起こした。 |
||
{{quotation|彼が世界を揺るがした10日間を昼夜を問わず10日以上書き続けている。彼はやつれて、髭も剃らず、肌は油切って、全く寝ていなかったので、彼の姿は半狂乱で顔はじゃがいもの様で、夜の作業が終わるとコーヒー一杯のために降りてきた。 |
{{quotation|彼が世界を揺るがした10日間を昼夜を問わず10日以上書き続けている。彼はやつれて、髭も剃らず、肌は油切って、全く寝ていなかったので、彼の姿は半狂乱で顔はじゃがいもの様で、夜の作業が終わるとコーヒー一杯のために降りてきた。 |
||
18行目: | 18行目: | ||
私が彼の状態を強調していると思いますか。彼が小さな部屋であまり良く分からない言語で書かれた新聞を天井にまで積み上げて、小さく使い古した辞書と記憶と権利を手に入れるための決意と見事な想像力で2,3週間の間に書き上げた作品とと比べてアメリカの文学にはあまり優れた功績がない。しかし私が今無条件に言いたい事はあの朝の彼の喜びに満ちた狂気の目である。彼は偉大な本を書き上げた。そして彼はこの本をこのように名付けた。「世界を揺るがした10日間」と! |
私が彼の状態を強調していると思いますか。彼が小さな部屋であまり良く分からない言語で書かれた新聞を天井にまで積み上げて、小さく使い古した辞書と記憶と権利を手に入れるための決意と見事な想像力で2,3週間の間に書き上げた作品とと比べてアメリカの文学にはあまり優れた功績がない。しかし私が今無条件に言いたい事はあの朝の彼の喜びに満ちた狂気の目である。彼は偉大な本を書き上げた。そして彼はこの本をこのように名付けた。「世界を揺るがした10日間」と! |
||
<ref name="heroesbook">{{cite book |title= Heroes I Have Known: Twelve Who Lived Great Lives |last=Eastman |first=Max |
<ref name="heroesbook">{{cite book |title= Heroes I Have Known: Twelve Who Lived Great Lives |last=Eastman |first=Max |year=1942 |publisher=Simon and Schuster |location=New York |pages= 223–4}}</ref>}} |
||
== 評価 == |
== 評価 == |
||
25行目: | 25行目: | ||
アメリカの外交官、歴史家で、[[封じ込め|封じ込め政策]]の父として知られる[[ジョージ・ケナン]]は[[共産主義]]に共感しなかったにも関わらず、この本を賞賛して、次のように述べている。 |
アメリカの外交官、歴史家で、[[封じ込め|封じ込め政策]]の父として知られる[[ジョージ・ケナン]]は[[共産主義]]に共感しなかったにも関わらず、この本を賞賛して、次のように述べている。 |
||
「リードによるロシア革命の説明は文学の力と洞察力と詳細の展望によってこの時代を記録し、誰もがこの出来事を忘れたときに思い出させるだろう。」ケナンは眩しいほどの誠意と純粋な[[理想主義]]はアメリカ社会からの意図しない信用を勝ち取り、リード自身はこの利点を理解しなかったものの、この信用がリードを守ったと見なしている<ref name="kennan">{{cite book|last=Kennan|first=George Frost|title=Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917–1920|year=1989|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-00841-8|pages=68–69 |
「リードによるロシア革命の説明は文学の力と洞察力と詳細の展望によってこの時代を記録し、誰もがこの出来事を忘れたときに思い出させるだろう。」ケナンは眩しいほどの誠意と純粋な[[理想主義]]はアメリカ社会からの意図しない信用を勝ち取り、リード自身はこの利点を理解しなかったものの、この信用がリードを守ったと見なしている<ref name="kennan">{{cite book|last=Kennan|first=George Frost|title=Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917–1920|year=1989|publisher=Princeton University Press|isbn=0-691-00841-8|pages=68–69|origyear=1956}}</ref>。 |
||
1999年3月1日、[[ニューヨーク・タイムズ]]紙は[[ニューヨーク大学]]のジャーナリスト作品ランキング100位の中で<ref group="note">このリストは20世紀にアメリカで出版された作品に限る。</ref>『世界を揺るがした10日間』を7位に挙げている<ref name="nytreport">{{cite news|title=Journalism's Greatest Hits: Two Lists of a Century’s Top Stories|newspaper=The New York Times|date=1999-03-01|url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9407E3D6123CF932A35750C0A96F958260&n=Top/Reference/Times%20Topics/Organizations/N/New%20York%20University|accessdate=2007-11-17|first=Felicity|last=Barringer}}</ref><ref name="nyulist">{{cite web|url=http://www.nyu.edu/classes/stephens/Top%20100%20page.htm|title=The Top 100 Works of Journalism|accessdate=2007-11-17|publisher=New York University}}</ref>。ミッチェル・ステファンズはこのランキングの編集長であったが、以下のようにこの判定の理由を説明している。 |
1999年3月1日、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙は[[ニューヨーク大学]]のジャーナリスト作品ランキング100位の中で<ref group="note">このリストは20世紀にアメリカで出版された作品に限る。</ref>『世界を揺るがした10日間』を7位に挙げている<ref name="nytreport">{{cite news|title=Journalism's Greatest Hits: Two Lists of a Century’s Top Stories|newspaper=The New York Times|date=1999-03-01|url=https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9407E3D6123CF932A35750C0A96F958260&n=Top/Reference/Times%20Topics/Organizations/N/New%20York%20University|accessdate=2007-11-17|first=Felicity|last=Barringer}}</ref><ref name="nyulist">{{cite web|url=http://www.nyu.edu/classes/stephens/Top%20100%20page.htm|title=The Top 100 Works of Journalism|accessdate=2007-11-17|publisher=New York University}}</ref>。ミッチェル・ステファンズはこのランキングの編集長であったが、以下のようにこの判定の理由を説明している。 |
||
{{quotation|このリストの第7位にある、1917年のロシアで起きた10月革命について報じたジョン・リードの著作「世界を揺るがした10日間」は、最も大きな論争を巻き起こすかもしれない。リードは党派心が強いという保守派からの批判があるのは確かだ。歴史家ならよりよい作品ができたかもしれないことにも同意する。しかし20世紀で最も重要な出来事にリードは直面し、それを書いた。著作で取り扱った出来事の重要さは我々の選考の重要な指標となった<ref name="stephens">{{cite web |first=Mitchell |last=Stephens|url=http://www.nyu.edu/classes/stephens/Top%20100%20-%20German%20page.htm |title=The Top 100 Works of Journalism in the United States in the 20th Century |accessdate=2007-11-17 |publisher=New York University}}</ref>。}} |
{{quotation|このリストの第7位にある、1917年のロシアで起きた10月革命について報じたジョン・リードの著作「世界を揺るがした10日間」は、最も大きな論争を巻き起こすかもしれない。リードは党派心が強いという保守派からの批判があるのは確かだ。歴史家ならよりよい作品ができたかもしれないことにも同意する。しかし20世紀で最も重要な出来事にリードは直面し、それを書いた。著作で取り扱った出来事の重要さは我々の選考の重要な指標となった<ref name="stephens">{{cite web |first=Mitchell |last=Stephens|url=http://www.nyu.edu/classes/stephens/Top%20100%20-%20German%20page.htm |title=The Top 100 Works of Journalism in the United States in the 20th Century |accessdate=2007-11-17 |publisher=New York University}}</ref>。}} |
||
しかし全ての評価が肯定的ではなかった。[[ヨシフ・スターリン]]は1924年にリードは[[レフ・トロツキー|トロツキー]]に関して誤解を招いていると主張した<ref>[http://www.marxists.org/reference/archive/stalin/works/1924/11_19.htm Trotskyism or Leninism?]</ref>。この本は[[赤軍]]の創設者であるトロツキーについて[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]と共同で革命を導いたと見なし、スターリンについては |
しかし全ての評価が肯定的ではなかった。[[ヨシフ・スターリン]]は1924年にリードは[[レフ・トロツキー|トロツキー]]に関して誤解を招いていると主張した<ref>[http://www.marxists.org/reference/archive/stalin/works/1924/11_19.htm Trotskyism or Leninism?]</ref>。この本は[[赤軍]]の創設者であるトロツキーについて[[ウラジーミル・レーニン|レーニン]]と共同で革命を導いたと見なし、スターリンについては2度しか言及していない。スターリンの言及の1度目はリストの中に名前が列挙されているだけであり、レーニンとトロツキーは国際的にも著名な革命家であったが、他のメンバーの活動については事実上知られてなかった<ref>Kahn, A. E. and M. Sayers. ''The Great Conspiracy: The Secret War Against Soviet Russia''. 1st ed. Boston: Little, Brown and Co., 1946. pp. 190–1.</ref>。 |
||
ロシア人作家のルィバコフ・アナトーリーはスターリン体制化のソ連で『世界を揺るがした10日間』が出版禁止となった経緯を詳細に述べている。「主な仕事は社会主義者の強力な体制を築くことであった。そのため強固な権力が必要だった。スターリンはレーニンと共に権力に頂点にいた。レーニンと共に彼は10月革命を導いたのだ。ジョン・リードは10月革命の歴史と違った事を述べている。そのためジョン・リードは我々には必要ない。」スターリンの死後に、この本は再出版されることが許された。 |
ロシア人作家のルィバコフ・アナトーリーはスターリン体制化のソ連で『世界を揺るがした10日間』が出版禁止となった経緯を詳細に述べている。「主な仕事は社会主義者の強力な体制を築くことであった。そのため強固な権力が必要だった。スターリンはレーニンと共に権力に頂点にいた。レーニンと共に彼は10月革命を導いたのだ。ジョン・リードは10月革命の歴史と違った事を述べている。そのためジョン・リードは我々には必要ない。」スターリンの死後に、この本は再出版されることが許された。 |
||
43行目: | 43行目: | ||
'' '''ウラージーミル・レーニン'''.<br>1919年末}} |
'' '''ウラージーミル・レーニン'''.<br>1919年末}} |
||
[[ジョージ・オーウェル]]が小説『[[動物農場]]』の紹介として書いた「報道の自由」 |
[[ジョージ・オーウェル]]が小説『[[動物農場]]』の紹介として書いた「報道の自由」(1945年)の中で<ref>George Orwell, "The Freedom of the Press, Orwell's Proposed Preface to ''Animal Farm''", online: [http://orwell.ru/library/novels/Animal_Farm/english/efp_go orwell.ru/library]</ref>、オーウェルは「[[グレートブリテン共産党|イギリス共産党]]はレーニンの紹介とトロツキーへの言及を省略した版を出版している」と批判した。 |
||
{{quotation|ロシア革命の最初の目撃談である『世界を揺るがした10日間』の作者、ジョン・リードの死によってこの本の著作権はイギリス共産党の手に渡った。イギリス共産党はこの本を後世に残すと私は信じている。数年後イギリスの共産主義者はこの本の原版を完全に破壊し、レーニンによるこの本の紹介とトロツキーの言及を削除し、原版から大きく歪められた版が出版された。}} |
{{quotation|ロシア革命の最初の目撃談である『世界を揺るがした10日間』の作者、ジョン・リードの死によってこの本の著作権はイギリス共産党の手に渡った。イギリス共産党はこの本を後世に残すと私は信じている。数年後イギリスの共産主義者はこの本の原版を完全に破壊し、レーニンによるこの本の紹介とトロツキーの言及を削除し、原版から大きく歪められた版が出版された。}} |
||
52行目: | 52行目: | ||
1967年に[[オーソン・ウェルズ]]によって同タイトルで[[リメイク]]された作品が[[グラナダ県 (スペイン)|グラナダ]]のテレビ局によって放送された。<ref>[http://trove.nla.gov.au/work/17033695?selectedversion=NBD6618071 ''Ten Days That Shook the World''] in the National Library of Australia (which apparently lists/conflates its date of acquisition with the actual year of production). It's also on You Tube in its entirety free.</ref> |
1967年に[[オーソン・ウェルズ]]によって同タイトルで[[リメイク]]された作品が[[グラナダ県 (スペイン)|グラナダ]]のテレビ局によって放送された。<ref>[http://trove.nla.gov.au/work/17033695?selectedversion=NBD6618071 ''Ten Days That Shook the World''] in the National Library of Australia (which apparently lists/conflates its date of acquisition with the actual year of production). It's also on You Tube in its entirety free.</ref> |
||
ジョン・リード自身の功績とこの本の一部は、1981年に[[ウォーレン・ベイティ]]によって『[[レッズ (映画)|レッズ]]』として映画化された。 |
|||
1982年にソ連の |
1982年にソ連の映画監督[[セルゲーイ・ボンダルチューク]]が製作した『{{仮リンク|赤い鐘|en|Red Bells}}』に大きな影響を与えた(『赤い鐘』の副題は『世界を揺るがした10日間』である)<ref>{{cite web|url=https://movies.nytimes.com/movie/158304/Ten-Days-That-Shook-the-World/overview|title=Ten Days That Shook the World (1982)|accessdate=March 31, 2012|author=Eleanor Mannikka|date=<!--none, which is why this is cite web not cite news-->|work=The New York Times}}</ref>。 |
||
共産主義者の映画脚本家であるレスターコールに1946年の作品『[[東京スパイ大作戦]]』では[[ジェームズ・キャグニー]]と[[シルヴィア・シドニー]]が演じる2人の登場人物が、作中で10日間かかる計画を共に立てているときに”世界を揺るがす10日間”という台詞を言う場面がある。 |
|||
== 日本語版 == |
== 日本語版 == |
||
日本語版のタイトルは翻訳者や版元によってバリエーションが存在する。 |
|||
*原光雄訳『世界を震撼させた十日間』[[三一書房]]、1946年 |
*原光雄訳『世界を震撼させた十日間』[[三一書房]]、1946年 |
||
*原光雄訳『世界をゆるがした十日間 <上・下>』[[岩波書店]]<[[岩波文庫]]>、1957年 |
*原光雄訳『世界をゆるがした十日間 <上・下>』[[岩波書店]]<[[岩波文庫]]>、1957年 |
2017年11月6日 (月) 15:59時点における版
『世界を揺るがした10日間』(せかいをゆるがしたとおかかん)[note 1]は、1917年のロシア十月革命についてアメリカ合衆国のジャーナリストで社会主義者のジョン・リードが執筆したルポルタージュ作品。リードは十月革命を直接経験した。リードはロシアにいる間に多くの著名なボリシェヴィキの指導者を取材した。ジョン・リードはこの本を出版してすぐの1920年に死去し、モスクワのクレムリンの壁に埋葬されている。
概要
リードはロシア革命を取材する間、社会主義者の雑誌である『マッセス』の編集を担当していた。リードは真実を書き留める誠実な記者としてロシア革命を目撃したいと述べていたにもかかわらず[1]、この本の序文にて「私の同情心は決して中立的なものではなかった」と述べている[1](そのためこの本はボリシェヴィキの観点に傾倒したものとなっている)。
リードがロシアに向けて出発する前、1917年のスパイ活動法が6月15日に可決された。スパイ活動法は兵士の募集を妨げる者は無条件に投獄でき、反戦感情を助長するような新聞や雑誌を郵送することを禁じる法律であった。アメリカ合衆国郵便公社はこの法律を満たさない郵便物は配送を拒否する権利が与えられ、基準を満たさない雑誌は郵送することができなかったので、公的な出版物と見なされなくなった[2]。このため、『マッセス』は1917年の秋にアメリカ合衆国連邦政府による出版の差し止めを余儀なくされた。1917年秋は第一次世界大戦を背景とした雑誌政策の変更が拒絶された後であった。『解放者』はマックス・イーストマンと姉妹の個人の運営によって創設されたが、『解放者』はリードのロシア革命に関する記事を載せていた。このような雑誌の存続のための努力の中で、イーストマンは自身の見解について徐々に妥協するようになった[3]。
ロシアを発って1918年の4月にノルウェーのクリスチャニア(現・オスロ)から帰途につく中、2月23日以来アメリカ合衆国国務省によってアメリカに旅立つことかロシアに戻ることのどちらかを禁止された。リードのトランクの中の革命に関する記事やノート(ビラ、新聞や演説も含む)は税関の職員によって取り上げられた。税関の職員はリードが過去8か月の間にロシアでどのような活動を行っていたのか4時間ほど尋問した。マイク・ゴールドはリードがマンハッタンに到着したことを目撃しており、「法務省の職員の群れが彼から服や荷物を剥ぎ取り、彼を激しく尋問していた。リードは船の中で食中毒になっていた。この尋問は苦痛なものであった」[4]と振り返っている。1918年の真夏に自宅に帰るまでの間、リードは革命の鮮明な印象が徐々に消えていくことを心配しており[5]、政府によって取り上げられて返却を拒否された新聞を取り返すことに苦戦した。
リードは7か月後の11月まで資料を取り戻すことが出来なかった。リードが本を書くために一人でいる間、マックス・イーストマンはシェリダン・スクエアの中央でジョン・リードとの会談を思い起こした。
彼が世界を揺るがした10日間を昼夜を問わず10日以上書き続けている。彼はやつれて、髭も剃らず、肌は油切って、全く寝ていなかったので、彼の姿は半狂乱で顔はじゃがいもの様で、夜の作業が終わるとコーヒー一杯のために降りてきた。「マックス、誰にも私がどこにいるが言わないでくれ。私は今ロシア革命の本を書いている。僕は全てのビラと新聞を小さな部屋とロシア語の辞書に起こして、昼夜通して働いている。。既に36時間目を閉じていない。私は後2週間でこの仕事をすべて終える。そしてこの本をこのように命名するー世界を揺るがした10日間とー。さようなら。私はまたコーヒーを飲む。お願いだから私がどこにいるかを誰に話さないでくれ!」
私が彼の状態を強調していると思いますか。彼が小さな部屋であまり良く分からない言語で書かれた新聞を天井にまで積み上げて、小さく使い古した辞書と記憶と権利を手に入れるための決意と見事な想像力で2,3週間の間に書き上げた作品とと比べてアメリカの文学にはあまり優れた功績がない。しかし私が今無条件に言いたい事はあの朝の彼の喜びに満ちた狂気の目である。彼は偉大な本を書き上げた。そして彼はこの本をこのように名付けた。「世界を揺るがした10日間」と!
[6]
評価
『世界を揺るがした10日間』は1919年に出版されてから、賛否両論、様々な反応を持って受け取られた。しかしこの本は最初に出版された当時、一部の批判家はリードの政治的信念に反する批判を行ったが、全体的に好意的な評価を受けた[7]。
アメリカの外交官、歴史家で、封じ込め政策の父として知られるジョージ・ケナンは共産主義に共感しなかったにも関わらず、この本を賞賛して、次のように述べている。
「リードによるロシア革命の説明は文学の力と洞察力と詳細の展望によってこの時代を記録し、誰もがこの出来事を忘れたときに思い出させるだろう。」ケナンは眩しいほどの誠意と純粋な理想主義はアメリカ社会からの意図しない信用を勝ち取り、リード自身はこの利点を理解しなかったものの、この信用がリードを守ったと見なしている[8]。
1999年3月1日、『ニューヨーク・タイムズ』紙はニューヨーク大学のジャーナリスト作品ランキング100位の中で[note 3]『世界を揺るがした10日間』を7位に挙げている[9][10]。ミッチェル・ステファンズはこのランキングの編集長であったが、以下のようにこの判定の理由を説明している。
このリストの第7位にある、1917年のロシアで起きた10月革命について報じたジョン・リードの著作「世界を揺るがした10日間」は、最も大きな論争を巻き起こすかもしれない。リードは党派心が強いという保守派からの批判があるのは確かだ。歴史家ならよりよい作品ができたかもしれないことにも同意する。しかし20世紀で最も重要な出来事にリードは直面し、それを書いた。著作で取り扱った出来事の重要さは我々の選考の重要な指標となった[11]。
しかし全ての評価が肯定的ではなかった。ヨシフ・スターリンは1924年にリードはトロツキーに関して誤解を招いていると主張した[12]。この本は赤軍の創設者であるトロツキーについてレーニンと共同で革命を導いたと見なし、スターリンについては2度しか言及していない。スターリンの言及の1度目はリストの中に名前が列挙されているだけであり、レーニンとトロツキーは国際的にも著名な革命家であったが、他のメンバーの活動については事実上知られてなかった[13]。
ロシア人作家のルィバコフ・アナトーリーはスターリン体制化のソ連で『世界を揺るがした10日間』が出版禁止となった経緯を詳細に述べている。「主な仕事は社会主義者の強力な体制を築くことであった。そのため強固な権力が必要だった。スターリンはレーニンと共に権力に頂点にいた。レーニンと共に彼は10月革命を導いたのだ。ジョン・リードは10月革命の歴史と違った事を述べている。そのためジョン・リードは我々には必要ない。」スターリンの死後に、この本は再出版されることが許された。
2000年に保守主義の研究機関であるISI(Intercollegiate Studies Institute)は『世界を揺るがした10日間』を20世紀の本のワーストランキング50位に載せた[14]。
出版
この本が最初に出版された後、リードは1919年の秋にロシアに戻り、レーニンがこの本を読む時間を取ったと知り、大喜びした。さらにレーニンはこの本の書評を書く事に同意し、ボニ&リヴライト社による1922年版からは以下の文章が載せられた[7]。
ジョージ・オーウェルが小説『動物農場』の紹介として書いた「報道の自由」(1945年)の中で[15]、オーウェルは「イギリス共産党はレーニンの紹介とトロツキーへの言及を省略した版を出版している」と批判した。
ロシア革命の最初の目撃談である『世界を揺るがした10日間』の作者、ジョン・リードの死によってこの本の著作権はイギリス共産党の手に渡った。イギリス共産党はこの本を後世に残すと私は信じている。数年後イギリスの共産主義者はこの本の原版を完全に破壊し、レーニンによるこの本の紹介とトロツキーの言及を削除し、原版から大きく歪められた版が出版された。
映画
1928年にはセルゲイ・エイゼンシュテインによってこの本が映画化された。
1967年にオーソン・ウェルズによって同タイトルでリメイクされた作品がグラナダのテレビ局によって放送された。[16]
ジョン・リード自身の功績とこの本の一部は、1981年にウォーレン・ベイティによって『レッズ』として映画化された。
1982年にソ連の映画監督セルゲーイ・ボンダルチュークが製作した『赤い鐘』に大きな影響を与えた(『赤い鐘』の副題は『世界を揺るがした10日間』である)[17]。
共産主義者の映画脚本家であるレスターコールに1946年の作品『東京スパイ大作戦』ではジェームズ・キャグニーとシルヴィア・シドニーが演じる2人の登場人物が、作中で10日間かかる計画を共に立てているときに”世界を揺るがす10日間”という台詞を言う場面がある。
日本語版
日本語版のタイトルは翻訳者や版元によってバリエーションが存在する。
- 原光雄訳『世界を震撼させた十日間』三一書房、1946年
- 原光雄訳『世界をゆるがした十日間 <上・下>』岩波書店<岩波文庫>、1957年
- 大崎平八郎訳『世界を震撼させた十日間』角川書店<角川文庫>、1972年
- 小笠原豊樹・原暉之訳『世界をゆるがした十日間』筑摩書房<筑摩叢書>、1977年
- 小笠原豊樹訳『世界をゆるがした十日間』筑摩書房<ちくま文庫>、1992年
- 伊藤真訳『世界を揺るがした10日間』光文社<光文社古典新訳文庫>、2017年
脚注
出典
- ^ a b c Reed, John (1990-02-07) [1919]. Ten Days that Shook the World (1st ed.). Penguin Classics. ISBN 0-14-018293-4
- ^ Mott, Frank Luther (1941). American Journalism: A History of Newspapers in the United States Through 250 Years, 1690–1940. New York: The Macmillan Company
- ^ Eastman, Max (1964). Love and Revolution: My Journey Through an Epoch. New York: Random House. pp. 69–78
- ^ Gold, Michael (1940-10-22). “He Loved the People”. The New Masses: 8–11.
- ^ Duke, David C. (1987). John Reed. Boston: Twayne Publishers. p. 41. ISBN 0-8057-7502-1
- ^ Eastman, Max (1942). Heroes I Have Known: Twelve Who Lived Great Lives. New York: Simon and Schuster. pp. 223–4
- ^ a b Duke, David C. (1987). John Reed. Boston: Twayne Publishers. ISBN 0-8057-7502-1
- ^ Kennan, George Frost (1989) [1956]. Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917–1920. Princeton University Press. pp. 68–69. ISBN 0-691-00841-8
- ^ Barringer, Felicity (1999年3月1日). “Journalism's Greatest Hits: Two Lists of a Century’s Top Stories”. The New York Times 2007年11月17日閲覧。
- ^ “The Top 100 Works of Journalism”. New York University. 2007年11月17日閲覧。
- ^ Stephens, Mitchell. “The Top 100 Works of Journalism in the United States in the 20th Century”. New York University. 2007年11月17日閲覧。
- ^ Trotskyism or Leninism?
- ^ Kahn, A. E. and M. Sayers. The Great Conspiracy: The Secret War Against Soviet Russia. 1st ed. Boston: Little, Brown and Co., 1946. pp. 190–1.
- ^ “50 Worst Books of the Twentieth Century”
- ^ George Orwell, "The Freedom of the Press, Orwell's Proposed Preface to Animal Farm", online: orwell.ru/library
- ^ Ten Days That Shook the World in the National Library of Australia (which apparently lists/conflates its date of acquisition with the actual year of production). It's also on You Tube in its entirety free.
- ^ Eleanor Mannikka. “Ten Days That Shook the World (1982)”. The New York Times. 2012年3月31日閲覧。