「ペレストロイカ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
出典削りを修正
8行目: 8行目:


ゴルバチョフは、[[社会主義]]体制の枠内での改革を志向したが、物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。現在では、[[共産圏]]の民主化を進めるとともに[[冷戦]]を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。[[英語圏]]の国では「リストラクチャリング」<ref>{{Lang|en|restructuring}}</ref>や「リコンストラクション」<ref>{{Lang|en|reconstruction}}</ref>と訳され、1980年代後半の[[イギリス]]の[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権や[[アメリカ合衆国]]の[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権で行われた行財政改革・[[産業構造]]の転換政策あるいは[[民間企業]]の組織再編成などを指して使われた。これは、[[日本]]で[[1990年代]]後半頃から使用されている「[[リストラ]]」の語源となった単語である。
ゴルバチョフは、[[社会主義]]体制の枠内での改革を志向したが、物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。現在では、[[共産圏]]の民主化を進めるとともに[[冷戦]]を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。[[英語圏]]の国では「リストラクチャリング」<ref>{{Lang|en|restructuring}}</ref>や「リコンストラクション」<ref>{{Lang|en|reconstruction}}</ref>と訳され、1980年代後半の[[イギリス]]の[[マーガレット・サッチャー|サッチャー]]政権や[[アメリカ合衆国]]の[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権で行われた行財政改革・[[産業構造]]の転換政策あるいは[[民間企業]]の組織再編成などを指して使われた。これは、[[日本]]で[[1990年代]]後半頃から使用されている「[[リストラ]]」の語源となった単語である。

改革早々[[ウラン]]の生産量が4倍以上に膨れた<ref>Nuclear Energy Agency/ International Atomic Energy Agency, "The Red Book Retrospective" and "Uranium: Resources, Production and Demand"</ref>。終盤の[[ボリス・エリツィン#ロシア連邦大統領として|エリツィン]]時代に外国銀行の干渉を受けて官公事業が非民主的に払い下げられた。[[ロシア|ロシア連邦]]となってから、ウラン生産量は改革前の水準へ戻った。[[カザフスタン]]の分離によるものと考えられる。


[[コーカサス]]ではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、1987年半ばに[[アゼルバイジャン]]内で起こった[[ナゴルノ・カラバフ紛争]]を皮切りにこの地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない<ref name="hirose">廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ</ref>。
[[コーカサス]]ではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、1987年半ばに[[アゼルバイジャン]]内で起こった[[ナゴルノ・カラバフ紛争]]を皮切りにこの地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない<ref name="hirose">廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ</ref>。

2017年10月10日 (火) 16:02時点における版

ペレストロイカロシア語перестройкаラテン文字転写:Perestroika)は、1980年代後半からソビエト連邦で進められた政治体制の改革運動。ロシア語で「再構築(改革)」を意味する(“пере”〔ペレ〕は「再び」を意味する接頭辞、“стройка”〔ストロイカ〕は「構築」「建設」を意味する単語)。

ソビエト連邦共産党による一党独裁制が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱・実践した。あわせて進められたグラスノスチ(情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。

1987年ロシア革命70周年記念の軍事パレードの際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速(Демократия, Мир, Перестройка, Ускорение)」と書かれた大きな立て看板がグム(国営百貨店)に立てかけられ、テレビ中継でアナウンサーが読み上げた[1]。以降、ソ連国内に広く浸透していった。

ゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したが、物資の不足により高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。現在では、共産圏の民主化を進めるとともに冷戦を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。英語圏の国では「リストラクチャリング」[2]や「リコンストラクション」[3]と訳され、1980年代後半のイギリスサッチャー政権やアメリカ合衆国レーガン政権で行われた行財政改革・産業構造の転換政策あるいは民間企業の組織再編成などを指して使われた。これは、日本1990年代後半頃から使用されている「リストラ」の語源となった単語である。

改革早々ウランの生産量が4倍以上に膨れた[4]。終盤のエリツィン時代に外国銀行の干渉を受けて官公事業が非民主的に払い下げられた。ロシア連邦となってから、ウラン生産量は改革前の水準へ戻った。カザフスタンの分離によるものと考えられる。

コーカサスではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、1987年半ばにアゼルバイジャン内で起こったナゴルノ・カラバフ紛争を皮切りにこの地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない[5]

脚注

  1. ^ Soviet October Revolution Parade, 1987 Парад 7 ноябряYouTube(17分40秒あたり)
  2. ^ restructuring
  3. ^ reconstruction
  4. ^ Nuclear Energy Agency/ International Atomic Energy Agency, "The Red Book Retrospective" and "Uranium: Resources, Production and Demand"
  5. ^ 廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ

関連項目

「ペレストロイカ - それは大衆の活発で独創的な生産活動の支えである」
1988年に発行された切手
1988年に発行された、ペレストロイカとグラスノスチを宣伝する切手