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フランス学士院
フランス学士院の夜景

フランス学士院(フランスがくしいん,Institut de France)は、フランス国立アカデミーである。

現在、フランス学士院はアカデミー・フランセーズおよび4つのアカデミーで構成されている。[1]

経歴

学士院の前身となるフランス王立アカデミーは、17世紀絶対王政のもとでそれぞれ個別に設立された組織である、

などで構成されていた[2]

王立アカデミーはフランス革命によっていったん廃止され、代わりに、フランス革命後の革命歴Ⅳ年ブリュメール三日(1795年10月25日国民公会によって制定された法令(ドヌー法)に基づいて「科学・芸術国立学士院[3]」として新たに設立された[4]。3つの類(クラス)で構成され、第1類は「物理と数学の科学クラス」第2類は「モラルと政治の科学クラス」第3類は「文学と美術のクラス」であった。

「モラルと政治の科学クラス」には<感覚と観念の分析><道徳><社会科学と法学><政治経済><歴史><地理>の6部門があり、第1部門<感覚と観念の分析>に集っていた観念学派がナポレオン対し批判的になったこと、および、ナポレオンが戦争実行に「役に立たない思弁学」より役に立つ実学を求めたため、設立7年目の革命歴Ⅶ年(1803年)に「モラルと政治の科学クラス」を閉鎖し、クラスに含まれていた諸部門を廃して「アカデミー・フランセーズ」「碑文アカデミー」に分割した[5]

1805年、パレ・マザラン地区に移設。翌年1806年からフランス学士院と改称[要出典]。1810年時点では、数学と物理、仏語と仏文学、古代史と古代文字、美術の4部門があった[3]。ナポレオンによって閉鎖された「モラルと政治の科学クラス」は1832年に復活した[4][2]

その他

フランス学士院は「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」の所蔵者としても知られる。

脚注

  1. ^ フランス学士院HP
  2. ^ a b Institution”. フランス学士院. 2016年1月24日閲覧。
  3. ^ a b fr:Institut de France#Histoire
  4. ^ a b 松永澄夫『哲学史を読む Ⅱ』東信堂、2008年6月、243頁。ISBN 978-4887138360 
  5. ^ 松永澄夫(編) 編『哲学の歴史〈第6巻〉知識・経験・啓蒙―18世紀 人間の科学に向かって』<Ⅷ.観念学派とその周辺>(執筆:村松正隆)、中央公論新社、2007年6月、579(註8),pp.584-585頁。 

関連項目

外部リンク