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* [[1969年]]の[[市町村議会|釧路市議会]]議員選挙で初当選して1期務めた後、[[1973年]]の釧路市長選挙に出馬するも当時の[[革新自治体]]の雄・[[山口哲夫]]に惜敗。
* [[1969年]]の[[市町村議会|釧路市議会]]議員選挙で初当選して1期務めた後、[[1973年]]の釧路市長選挙に出馬するも当時の[[革新自治体]]の雄・[[山口哲夫]]に惜敗。
* [[1977年]]に再度の釧路市長選挙で初当選。以後5期連続当選。
* [[1977年]]に再度の釧路市長選挙で初当選。以後5期連続当選。
* 市長在任中は「快適都市」を標榜し、[[工場誘致条例]]を廃止し[[福祉]]重視の山口哲夫[[革新]]市政時代に立ち遅れていた、[[道路]][[舗装]]、[[下水道]]整備、木造校舎の鉄筋化、地区会館の増設など都市[[インフラストラクチャー|インフラ]]整備のスピードアップに尽力した。
* 市長在任中は「快適都市」を標榜し、[[工場]]誘致条例を廃止し[[福祉]]重視の山口哲夫[[革新]]市政時代に立ち遅れていた、[[道路]][[舗装]]、[[下水道]]整備、木造校舎の鉄筋化、地区会館の増設など都市[[インフラストラクチャー|インフラ]]整備のスピードアップに尽力した。
* [[ラムサール条約]]会議を[[釧路湿原]]で名高い釧路に誘致、また全国初の[[一部事務組合]]方式による[[釧路公立大学]](国立道東医科大学誘致断念後、市立大学設置を模索し国内初の方式による[[大学]])の開設などで知られる。
* [[ラムサール条約]]会議を[[釧路湿原]]で名高い釧路に誘致、また全国初の[[一部事務組合]]方式による[[釧路公立大学]](国立道東医科大学誘致断念後、市立大学設置を模索し国内初の方式による[[大学]])の開設などで知られる。
* 5期目の任期途中の1996年、[[新進党]][[比例北海道ブロック]]の1位候補として衆議院議員に初当選。
* 5期目の任期途中の1996年、[[新進党]][[比例北海道ブロック]]の1位候補として衆議院議員に初当選。

2016年2月4日 (木) 13:11時点における版

鰐淵 俊之 (わにぶち としゆき、1936年11月1日 - 2005年3月28日)は、日本政治家。元衆議院議員(1期)、元釧路市長(5期)。

略歴

関連項目