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==過去の出演番組==
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===日本短波放送時代===
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*「[[ギャング・パーク]]」
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*「[[ヤロウどもメロウどもOh!]]」
*「[[ヤロウどもメロウどもOh!]]」

2014年3月24日 (月) 12:50時点における版

大橋 照子
プロフィール
本名 山本 照子
愛称 チェリー
出身地 日本の旗 日本 山口県周南市
血液型 A型
最終学歴 慶應義塾大学文学部ドイツ文学科卒
所属事務所 NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表
職歴 元日本短波放送(現・日経ラジオ社)アナウンサー
ジャンル 音楽・トーク・情報
公式サイト 大橋照子オフィシャルウェブサイト
出演番組・活動
出演中 一覧を参照
出演経歴 一覧を参照

大橋 照子(おおはし てるこ、本名:山本照子、は、フリーアナウンサー。NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表。

経歴・人物

山口県周南市生まれ。東京都立駒場高等学校慶應義塾大学文学部ドイツ文学科卒業。大学在学中にFM東京で、『ファッション・クラシック』という番組を持つ。卒業後に日本短波放送(現日経ラジオ社)にアナウンサーとして入社。公開番組『ヤロウどもメロウどもOh!』などの番組を担当し、深夜放送BCLブームに乗って「チェリーちゃん」の愛称で一躍人気DJとなった。

人気となった時期には熱狂的なファン(親衛隊)が会社の通勤に同行していた事もあり、結婚後も同行していた(本人も公認。買い物の荷物を持って同行していたファンも存在していた)。人気となった独身時代などには、幾度か週刊誌にも取り上げられたり、放送時期は不明だが、テレビのドキュメント番組でも取り上げられた事もある。

人気となった時期には、歌のレコードを発売した事もある、(SP(たんぽぽ色の飛行船/素敵な昨日),LPレコード(さくらんぼ))

その後フリーアナウンサーとなり、『ポップス・ベストテン(ニッポン放送)』、『ラジオはアメリカンTBSラジオ)』、『ルックルックこんにちは日本テレビ)』、『これキメ(文化放送)』などに出演した。

1985年から5年間、アメリカ・サンフランシスコに住み、現地で日本語放送の番組に出演していた。 また、サンフランシスコの小学校で、スピーチ教育に携わる。

帰国後はラジオたんぱの『合格いっぽん道』で復帰、1990年代後半になってTBS『ラジオはカプチーノ』などAMの番組も復活した。現在はラジオNIKKEIモバイルで『大橋照子のドキドキラジオ』という番組を担当している。また、長岡一也と共に『私の書いたポエム』を30年担当している。

TBSでドラマ化された『少しは、恩返しができたかな』(講談社)の原作本の実質的な執筆者で、企画・取材・執筆のすべてを大橋がひとりで手がけた。 松島湾遊覧船を運航している複数社のうち松島ベイクルーズの録音アナウンス(日本語&英語)を担当し、2009年9月から船内で案内放送されている。 また、バスアナウンスは、会津乗合自動車成田空港からのリムジンバス中央高速バスなど。 駅の案内アナウンスも多数。

昔からのファンとのイベント等も毎年数回開催している。(ファンが自主的に開催するイベントもあり、参加もしている。)

現在の活動

現在、「NPO日本スピーチ・話し方協会」代表理事。日本人が、人前で堂々とスピーチやプレゼンテーションなどを話せるよう、小学生から社会人まですべての世代に向けて「スピーチ教育」を実施している。

さらに、NEETや引きこもりや発達障害の若者に、社会でコミュニケーションを取る法や話し方を指導して、就職に結びつけるボランティア活動をしている。

ボランティア・グループ「一歩一歩の会」代表。老人ホームなどに朗読や放送劇で慰問に行く活動をしている。

また、「大橋照子アナの話し方教室」も開講している。

現在の出演番組

過去の出演番組

日本短波放送(ラジオたんぱ)時代

  • ギャング・パーク
  • ヤロウどもメロウどもOh!
  • 「ミュージック・アルバム」
  • 「ミュージック・アラカルト」
  • 「ふれあいスタジオ・パート2~ヤロメロコーナー~」
  • 「子門と照子のQSOジョッキー」
  • 「中央競馬実況中継」

フリー後

活字媒体への登場

  • 「普段から心を込めて」(読売新聞夕刊 東京本社版)2011年10月8日

外部リンク