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現在、クラブチームの[[茨城ゴールデンゴールズ]](茨城GG)に所属する。また、同球団の問い合わせ先が設けられている芸能事務所・[[佐藤企画]]にも所属している。 |
現在、クラブチームの[[茨城ゴールデンゴールズ]](茨城GG)に所属する。また[[タレント]]として、同球団の問い合わせ先が設けられている芸能事務所・[[佐藤企画]]にも所属している。 |
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== 来歴・人物 == |
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大学入学時には、父親に「彼氏を作らないこと」を約束させられている。「女子も[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]に出られるよう、([[日本高等学校野球連盟|高野連]]の)ルールを変えたい」と言っている。古閑は野球経験者であり、その点においても先輩である。[[2009年]][[7月7日]](日本時間)、[[セーフコ・フィールド]]で[[シアトル・マリナーズ]]対[[ボルチモア・オリオールズ]]との試合において始球式を行った。 |
大学入学時には、父親に「彼氏を作らないこと」を約束させられている。「女子も[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]に出られるよう、([[日本高等学校野球連盟|高野連]]の)ルールを変えたい」と言っている。古閑は野球経験者であり、その点においても先輩である。[[2009年]][[7月7日]](日本時間)、[[セーフコ・フィールド]]で[[シアトル・マリナーズ]]対[[ボルチモア・オリオールズ]]との試合において始球式を行った。 |
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TV出演時には |
TV出演時には[[ユニフォーム]]姿で登場することがある。 |
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* [[ドラGO!]]([[テレビ東京]]) - 同じ事務所の[[東貴博]]とペアで出演 |
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2014年2月18日 (火) 21:21時点における版
茨城ゴールデンゴールズ 選手兼任監督 #1 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市東区 |
生年月日 | 1986年11月14日(37歳) |
身長 体重 |
153 cm 48 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 二塁手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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片岡 安祐美(かたおか あゆみ、1986年11月14日 - )は、日本の女子野球選手(内野手)、監督。
現在、クラブチームの茨城ゴールデンゴールズ(茨城GG)に所属する。またタレントとして、同球団の問い合わせ先が設けられている芸能事務所・佐藤企画にも所属している。
来歴・人物
レコード会社のエイベックスと個人スポンサー契約を結んでおり、練習試合では「エイベックス片岡」という登録名で出場する事もある。背番号は「1」だが、「はじめて」と読む(ゴールデンゴールズ最初の選手の意)。ユニフォームのバックネームは「AYUMI」(「KATAOKA」のものもある)。
ゴールデンゴールズでは主に代打や守備固めで出場している。
2002年からは4年連続で女子野球日本代表に選出され、2003年は大会初本塁打(ランニング)を記録。2005年もオーストラリア・ゴールドコーストで開催される女子野球世界大会の日本代表に選出された。2008年第3回ワールドカップ女子野球の女子野球日本代表に選出された。
2009年3月22日の第3回東京マラソンに出場し自身初のフルマラソンにチャレンジ。 フジテレビの番組チャレンジランナーとして出場し、目標タイムの4時間30分を大幅に上回る4時間11分で完走(NET-TIME4時間8分)。 雨と強風の中、終始安定したペースでガードランナーと最後まで力走した。
2010年12月12日を以って監督を勇退した萩本欽一監督の後任として、選手兼任の監督に就任した[1][2]。 なお、社会人チームとしては初の女性監督となる。引き受けた理由は「無理ですって言ったら、チームがなくなると思ったもん。チームなくなるって分かったら、そんなことはできないと思った」から[3]。ノーヒットでも1点を獲れる野球が理想だと話している[4]。
2012年3月、女子野球日本代表のトライアウトに参加。8月開幕の女子野球ワールドカップの日本代表候補に選出された[5]。
2012年4月より関東の女子野球リーグであるヴィーナスリーグに加盟するクラブチーム「サムライ」に茨城ゴールデンゴールズと掛け持ちで参加している[6]。
球歴
- 熊本市立画図小学校(軟式)
- 3年生の冬に野球を始める。約1年間はスコアを付けるマネージャー的な存在だったが、練習試合で代打で初出場していきなりライト前ヒットを打つ。それから1番三塁手のレギュラーとなり、県大会にも出場。
- 熊本市立出水南中学校(軟式)
- 熊本県立熊本商業高等学校(硬式)
- 2番二塁手になるが、高野連の規定により公式戦出場なし。女子野球世界大会では優勝を経験。
- 茨城ゴールデンゴールズ(2005年~)
- 2005年3月20日、プロ野球マスターズリーグ選抜との「球団設立記念試合」に2番二塁手でスタメン出場。第1打席は川口和久と対戦しセカンドゴロ、第2打席は北別府学と対戦しライト前に流し打つがライトゴロに終わる。
- 2005年6月4日、福岡Yahoo!JAPANドームで行われた福岡ソフトバンクホークスとの親善試合で、7回表に代打で出場。小椋真介と対戦し、キャッチャーゴロに打ち取られる。
- 2005年8月20日、こまちスタジアムで行われた「秋田社会人選抜」との試合で、津口竜一(TDK)からセンター前ヒットを打ち、公式戦初ヒットを記録。
- 2007年5月31日、プロ野球イースタン・リーグ7球団の混成チーム「フューチャーズ」との交流試合で9回に代打として出場。黒滝将人(ロッテ)からレフト前に落ちるヒットを打った。片岡がプロ選手からヒットを打ったのはこれが初めて。
- 2009年9月9日、中日ドラゴンズ2軍との交流戦(ナゴヤドーム)にて、9回表一死無走者にて代打で登場し、岩田慎司よりフルカウントからレフト前ヒットを放つ。なお、この代打をコールしたのは自軍監督の萩本欽一ではなく、なぜか対戦相手の監督辻発彦であった。辻は続けて二死後には萩本の代打もコールしている(投手岩田、投ゴロ)。
- 「サムライ」(2012年~)
。
萩本欽一との関係
片岡は萩本欽一と初めて会ったとき、萩本から「いい目をしている。こんな目に会ったのはキムタク以来だ」と言われた(萩本はこのことを小堺一機などにも語っている)。萩本は片岡に初対面のその日に夜の9時から朝の4時までぶっ続けで話しこんだ(※当時、片岡は女子高校生)。萩本の「人の目をそらさずずっと話し続ける」習慣や、「態度がなってない」などときつい言動などがあり、片岡は「正直言って毛嫌いしていた」。が、『24時間テレビ30』(日本テレビ系)のマラソンで萩本が走る姿を見て、「胸が痛くなり」、見直したという。
エピソード
大学入学時には、父親に「彼氏を作らないこと」を約束させられている。「女子も甲子園に出られるよう、(高野連の)ルールを変えたい」と言っている。古閑は野球経験者であり、その点においても先輩である。2009年7月7日(日本時間)、セーフコ・フィールドでシアトル・マリナーズ対ボルチモア・オリオールズとの試合において始球式を行った。
TV出演時にはユニフォーム姿で登場することがある。
TV
CM
- ポーラ化粧品「WHITISSIMO」(2007年)
- CM初出演。
ポスター
- 法人会(2006年 - )
- 消防団員募集ポスター(2007年)
写真集
- 『TOUCH UP!』(小学館、2008年9月)
- 漫画家・あだち充がプロデュース。
出典・脚注
- ^ “欽ちゃん電撃引退! 次期監督に安祐美指名” (日本語). スポーツニッポン. (2010年10月26日)
- ^ “欽ちゃん「片岡安祐美次期監督」発表” (日本語). 日刊スポーツ. (2010年10月26日) 2012年1月3日閲覧。
- ^ “茨城GG・片岡安祐美、監督一年目は「毎日泣きたい」”. Sports Watch (2011年9月18日). 2012年1月3日閲覧。
- ^ “二宮清純×アスリート「やさしさに包まれて」 片岡安祐美(茨城ゴールデンゴールズ監督兼内野手)”. エリエール (2011年). 2012年1月3日閲覧。
- ^ “片岡安祐美 日本代表候補入り「なでしこだけじゃない」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2012年3月5日) 2014年2月1日閲覧。
- ^ a b 片岡安祐美オフィシャルブログ「安祐美のあゆみ 〜夢ある限り、努力は無限〜」2012年4月15日より
- ^ NPO法人 女子硬式野球サムライ - 選手紹介 - 片岡安祐美