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[[File:DDDunn.jpg|thumb|ドナルド・ダック・ダン]]
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'''ドナルド・ダック・ダン''' (Donald "duck" dunn,[[1941年]][[11月24日]] - [[2012年]][[5月13日]])はアメリカ合衆国のベーシスト。アイルランド系アメリカ人、[[テネシー州]][[メンフィス]]出身。左利き。1960年代から活動する[[ジェームス・ジェマーソン]]と並び称されるソウルミュージックの伝説的プレイヤー。ミドルネームの"ダック"はあだ名。
'''ドナルド・ダック・ダン''' (Donald "duck" dunn,[[1941年]][[11月24日]] - [[2012年]][[5月13日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ベーシスト]][[アイルランド系アメリカ人]]、[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]出身。[[左利き]]。1960年代から活動する[[ジェームス・ジェマーソン]]と並び称される[[ソウルミュージック]]の伝説的プレイヤー。ミドルネームの"ダック"はあだ名。
1992年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]のメンバーとして[[ロックの殿堂]]入り。
1992年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]のメンバーとして[[ロックの殿堂]]入り。


来日中の2012年5月13日に東京都内で死去<ref>[http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E1E2E3958DE3E6E2E7E0E2E3E09191E2E2E2E2;at=ALL ドナルド・ダック・ダン氏が死去 米国のベーシスト 都内で] 日本経済新聞 2012年5月14日</ref>。70歳没。
来日中の2012年5月13日に東京都内で死去<ref>[http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E1E2E3958DE3E6E2E7E0E2E3E09191E2E2E2E2;at=ALL ドナルド・ダック・ダン氏が死去 米国のベーシスト 都内で] [[日本経済新聞]] 2012年5月14日</ref>。70歳没。


== 概要 ==
== 概要 ==
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70年代にスタックスを離れてからは現在まで[[フレディ・キング]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[デュアン・オールマン]]、[[ロッド・スチュワート]]、[[リヴォン・ヘルム]]、[[トム・ペティ]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[忌野清志郎]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ニール・ヤング]]等のレコーディングやバンドに参加している。<br />
70年代にスタックスを離れてからは現在まで[[フレディ・キング]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[デュアン・オールマン]]、[[ロッド・スチュワート]]、[[リヴォン・ヘルム]]、[[トム・ペティ]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[忌野清志郎]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ニール・ヤング]]等のレコーディングやバンドに参加している。<br />
また、パーマネントバンドとしては[[ブッカー・T&ザ・MG's]]、[[ブルース・ブラザーズ]]で活動。
また、パーマネントバンドとしては[[ブッカー・T&ザ・MG's]]、[[ブルース・ブラザーズ]]で活動。

== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[1941年]][[11月24日]]、[[テネシー州]][[メンフィス]]に生まれる。10歳のときにウクレレを手にし、小学6年生のときに同地に引っ越してきた[[スティーヴ・クロッパー]]と知り合いになる。<br />
[[1941年]][[11月24日]]、[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]に生まれる。10歳のときに[[ウクレレ]]を手にし、小学6年生のときに同地に引っ越してきた[[スティーヴ・クロッパー]]と知り合いになる。<br />
16歳のときにベースを手にしスティーヴやテリー・ジョンソンらとザ・ロイヤル・スぺーズというバンドを結成し、57年頃から活動。のちにこのバンドはマーキーズと名を変え[[スタックス・レコード]]に出入りするようになる。<br />
16歳のときに[[ベース]]を手にしスティーヴやテリー・ジョンソンらとザ・ロイヤル・スぺーズというバンドを結成し、57年頃から活動。のちにこのバンドはマーキーズと名を変え[[スタックス・レコード]]に出入りするようになる。<br />
64年頃、スタックスのハウスバンド、[[ブッカー・T&ザ・MG's]]に[[ルイ・スタインバーグ]]の後釜として参加、76年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。<br />
64年頃、スタックスのハウスバンド、[[ブッカー・T&ザ・MG's]]に[[ルイ・スタインバーグ]]の後釜として参加、76年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。<br />
70年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、[[ロッド・スチュワート]]や[[ザ・バンド]]の[[リヴォン・ヘルム]]、[[レオン・ラッセル]]等のセッションに参加するようになり、78年にはTV番組[[サタデー・ナイト・ライブ]]の企画から生まれたバンド、[[ブルース・ブラザーズ|ザ・ブルース・ブラザーズ]]にスティーヴと共に加わり80年、98年に公開された映画にも出演。<br />
70年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、[[ロッド・スチュワート]]や[[ザ・バンド]]の[[リヴォン・ヘルム]]、[[レオン・ラッセル]]等のセッションに参加するようになり、78年にはTV番組[[サタデー・ナイト・ライブ]]の企画から生まれたバンド、[[ブルース・ブラザーズ|ザ・ブルース・ブラザーズ]]にスティーヴと共に加わり80年、98年に公開された映画にも出演。<br />
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90年、[[メンフィス]]から[[フロリダ州]][[パルメットー]]に引っ越す。<br />
90年、[[メンフィス]]から[[フロリダ州]][[パルメットー]]に引っ越す。<br />
92年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]として[[ボブ・ディラン]]の30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として[[忌野清志郎]]のアルバム「Memphis」に参加、[[日本武道館]]でのライブにも出演している。<br />
92年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]として[[ボブ・ディラン]]の30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として[[忌野清志郎]]のアルバム「Memphis」に参加、[[日本武道館]]でのライブにも出演している。<br />
90年代後期に喉頭癌を患うも回復。<br />
90年代後期に[[喉頭癌]]を患うも回復。<br />
00年代からは主に[[ニール・ヤング]]のツアーやレコーディング、スタックスのレビューライブや[[ブッカー・T&ザ・MG's]]でのライブ等で活動。<br />
00年代からは主に[[ニール・ヤング]]のツアーやレコーディング、スタックスのレビューライブや[[ブッカー・T&ザ・MG's]]でのライブ等で活動。<br />
この頃Dupree'sSyndromeという遺伝子病を患う。
この頃Dupree'sSyndromeという[[遺伝子病]]を患う。

== 死去 ==
== 死去 ==
2012年5月、コットンクラブ、ブルーノート東京での公演の為[[エディ・フロイド]]、[[スティーヴ・クロッパー]]らと来日。<br />
2012年5月、コットンクラブ、ブルーノート東京での公演の為[[エディ・フロイド]]、[[スティーヴ・クロッパー]]らと来日。<br />
9日〜12日までの全公演終了翌日、2012年5月13日朝、宿泊先のホテルで死亡しているのが発見され、同日[[スティーヴ・クロッパー]]が[[facebook]]上で公表。<ref>[https://www.facebook.com/stevecropper/posts/10150953976045586 THE OFFICIAL STEVE CROPPER FACEBOOK PAGE]</ref><br />
9日〜12日までの全公演終了翌日、2012年5月13日朝、宿泊先のホテルで死亡しているのが発見され、同日[[スティーヴ・クロッパー]]が[[facebook]]上で公表。<ref>[https://www.facebook.com/stevecropper/posts/10150953976045586 THE OFFICIAL STEVE CROPPER FACEBOOK PAGE]</ref><br />

== プレイスタイル ==
== プレイスタイル ==
シンプルなパターンプレイヤーであり、リズムに徹したプレイと時に弦を引っぱり上げる程のハードなピッキングが特徴。<br />
シンプルなパターンプレイヤーであり、リズムに徹したプレイと時に弦を引っぱり上げる程のハードなピッキングが特徴。<br />
ベースラインは1~2小節で完結していることが多く、フィルインも少ないが中音域を使うことによってメロディアスに聞こえ、耳に残るフレーズを多く残した。<br />
ベースラインは1~2小節で完結していることが多く、フィルインも少ないが中音域を使うことによってメロディアスに聞こえ、耳に残るフレーズを多く残した。<br />
フレーズには[[ペンタトニック]]を多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられる[[シンコペーション]]がドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。<br />
フレーズには[[ペンタトニック]]を多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられる[[シンコペーション]]がドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。<br />

== 使用機材 ==
== 使用機材 ==
活動初期より長く[[フェンダー]]社の58年製[[プレシジョンベース]]を使用した。このベースはネックを[[ジャズベース]]のものと替えられている。<br />
活動初期より長く[[フェンダー]]社の58年製[[プレシジョンベース]]を使用した。このベースはネックを[[ジャズベース]]のものと替えられている。<br />
00年頃よりLAKLAND社のシグネイチャーを使用いている。<ref>[http://www.basscentral.com/lakeland_usa/skyline_duck_dunn.shtml Lakland Skyline Duck Dunn]</ref><br />
00年頃よりLAKLAND社のシグネイチャーを使用いている。<ref>[http://www.basscentral.com/lakeland_usa/skyline_duck_dunn.shtml Lakland Skyline Duck Dunn]</ref><br />
その他[[フェンダー]]製のキャンディアップルの[[プレシジョンベース]]、メーカー不明の黒い[[ジャズベース]]、[[ヤマハ]]BB等の使用が確認されている。<br />
その他フェンダー製のキャンディアップルのプレシジョンベース、メーカー不明の黒い[[ジャズベース]]、[[ヤマハ]]BB等の使用が確認されている。<br />
アンプは[[アンペグ]]を主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERや[[ハートキー|Hartke]]、[[フェンダー]]ベースマンも使用している。<br />
アンプは[[アンペグ]]を主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERや[[ハートキー|Hartke]]、フェンダーベースマンも使用している。<br />
最後の公演では[[アンペグ]]SVT-VRを使用していた。
最後の公演ではアンペグSVT-VRを使用していた。

== 脚注 ==
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[[Category:メンフィス (テネシー州)出身の人物]]
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[[Category:1941年生]]
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2012年5月19日 (土) 02:48時点における版

ドナルド・ダック・ダン

ドナルド・ダック・ダン (Donald "duck" dunn,1941年11月24日 - 2012年5月13日)は、アメリカ合衆国ベーシストアイルランド系アメリカ人テネシー州メンフィス出身。左利き。1960年代から活動するジェームス・ジェマーソンと並び称されるソウルミュージックの伝説的プレイヤー。ミドルネームの"ダック"はあだ名。 1992年にブッカー・T&ザ・MG'sのメンバーとしてロックの殿堂入り。

来日中の2012年5月13日に東京都内で死去[1]。70歳没。

概要

1960年頃よりスタックス・レコードの専属プレイヤーとしてオーティス・レディングサム&デイブウィルソン・ピケットアイザック・ヘイズエディ・フロイドカーラ・トーマスアルバート・キング等のレコーディングやツアーをサポート。
70年代にスタックスを離れてからは現在までフレディ・キングエルヴィス・プレスリーデュアン・オールマンロッド・スチュワートリヴォン・ヘルムトム・ペティボブ・ディランエリック・クラプトン忌野清志郎マディ・ウォーターズニール・ヤング等のレコーディングやバンドに参加している。
また、パーマネントバンドとしてはブッカー・T&ザ・MG'sブルース・ブラザーズで活動。

生涯

1941年11月24日テネシー州メンフィスに生まれる。10歳のときにウクレレを手にし、小学6年生のときに同地に引っ越してきたスティーヴ・クロッパーと知り合いになる。
16歳のときにベースを手にしスティーヴやテリー・ジョンソンらとザ・ロイヤル・スぺーズというバンドを結成し、57年頃から活動。のちにこのバンドはマーキーズと名を変えスタックス・レコードに出入りするようになる。
64年頃、スタックスのハウスバンド、ブッカー・T&ザ・MG'sルイ・スタインバーグの後釜として参加、76年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。
70年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、ロッド・スチュワートザ・バンドリヴォン・ヘルムレオン・ラッセル等のセッションに参加するようになり、78年にはTV番組サタデー・ナイト・ライブの企画から生まれたバンド、ザ・ブルース・ブラザーズにスティーヴと共に加わり80年、98年に公開された映画にも出演。
83年からはエリック・クラプトンのバンドに参加しツアーと2枚のアルバムでプレイし、85年のライブエイドにも出演した
90年、メンフィスからフロリダ州パルメットーに引っ越す。
92年にブッカー・T&ザ・MG'sとしてボブ・ディランの30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として忌野清志郎のアルバム「Memphis」に参加、日本武道館でのライブにも出演している。
90年代後期に喉頭癌を患うも回復。
00年代からは主にニール・ヤングのツアーやレコーディング、スタックスのレビューライブやブッカー・T&ザ・MG'sでのライブ等で活動。
この頃Dupree'sSyndromeという遺伝子病を患う。

死去

2012年5月、コットンクラブ、ブルーノート東京での公演の為エディ・フロイドスティーヴ・クロッパーらと来日。
9日〜12日までの全公演終了翌日、2012年5月13日朝、宿泊先のホテルで死亡しているのが発見され、同日スティーヴ・クロッパーfacebook上で公表。[2]

プレイスタイル

シンプルなパターンプレイヤーであり、リズムに徹したプレイと時に弦を引っぱり上げる程のハードなピッキングが特徴。
ベースラインは1~2小節で完結していることが多く、フィルインも少ないが中音域を使うことによってメロディアスに聞こえ、耳に残るフレーズを多く残した。
フレーズにはペンタトニックを多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられるシンコペーションがドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。

使用機材

活動初期より長くフェンダー社の58年製プレシジョンベースを使用した。このベースはネックをジャズベースのものと替えられている。
00年頃よりLAKLAND社のシグネイチャーを使用いている。[3]
その他フェンダー製のキャンディアップルのプレシジョンベース、メーカー不明の黒いジャズベースヤマハBB等の使用が確認されている。
アンプはアンペグを主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERやHartke、フェンダーベースマンも使用している。
最後の公演ではアンペグSVT-VRを使用していた。

脚注

  1. ^ ドナルド・ダック・ダン氏が死去 米国のベーシスト 都内で 日本経済新聞 2012年5月14日
  2. ^ THE OFFICIAL STEVE CROPPER FACEBOOK PAGE
  3. ^ Lakland Skyline Duck Dunn


外部リンク