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'''JABA東京スポニチ大会'''(じゃば とうきょうすぽにちたいかい)は、[[日本野球連盟 (社会人野球)|日本野球連盟]]関東地区連盟が主催する[[社会人野球]]のトーナメント大会である。 |
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毎年3月に行われ、社会人野球シーズンの幕開けを告げる大会となっている。他の[[地区連盟主催大会]]は地名をつけて単に「○○大会」と呼ばれるが、この大会は協賛である[[スポーツニッポン]]新聞社の名前をつけて「東京スポニチ大会」又は「スポニチ大会」と呼ばれる。なお主催新聞のスポニチは、社会人の2大ビッグタイトルである「[[都市対抗野球大会]]」・「[[社会人野球日本選手権大会]]」と並ぶ'''「社会人野球三冠大会」'''と紹介する場合がある。 |
毎年3月に行われ、社会人野球シーズンの幕開けを告げる大会となっている。他の[[地区連盟主催大会]]は地名をつけて単に「○○大会」と呼ばれるが、この大会は協賛である[[スポーツニッポン]]新聞社の名前をつけて「東京スポニチ大会」又は「スポニチ大会」と呼ばれる。なお主催新聞のスポニチは、社会人の2大ビッグタイトルである「[[都市対抗野球大会]]」・「[[社会人野球日本選手権大会]]」と並ぶ'''「社会人野球三冠大会」'''と紹介する場合がある。 |
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*第11回(1956年)鹿児島鉄道管理局 |
*第11回(1956年)鹿児島鉄道管理局 |
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*第12回(1957年)鐘化カネカロン |
*第12回(1957年)鐘化カネカロン |
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*第13回(1958年)日本鋼管 |
*第13回(1958年)[[日本鋼管野球部|日本鋼管]] |
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*第14回(1959年)日本生命 |
*第14回(1959年)日本生命 |
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*第15回(1960年)日本鋼管 |
*第15回(1960年)日本鋼管 |
2011年11月27日 (日) 17:58時点における版
JABA東京スポニチ大会(じゃば とうきょうすぽにちたいかい)は、日本野球連盟関東地区連盟が主催する社会人野球のトーナメント大会である。
毎年3月に行われ、社会人野球シーズンの幕開けを告げる大会となっている。他の地区連盟主催大会は地名をつけて単に「○○大会」と呼ばれるが、この大会は協賛であるスポーツニッポン新聞社の名前をつけて「東京スポニチ大会」又は「スポニチ大会」と呼ばれる。なお主催新聞のスポニチは、社会人の2大ビッグタイトルである「都市対抗野球大会」・「社会人野球日本選手権大会」と並ぶ「社会人野球三冠大会」と紹介する場合がある。
出場チーム数
従来は前述の通り、社会人野球シーズンの幕開けを華々しく飾る大会として、地区連盟主催大会では最多の32チーム(1995年は第50回を記念して36チームが出場)がトーナメント方式で優勝を争っていたが、2002年に日本野球連盟の、「(企業チーム減少の現状に鑑み)地区連盟主催大会の出場チームは24以下とする」との方針から24チームとなり、さらに2007年には22チームに減少した。ところが、日本野球連盟がこの方針を一部大会について緩和する方針を示したことから2008年には29チームに戻った。
2010年から、日本選手権対象大会の試合形式を統一することとなり、チーム数は16チームに減少され、大会も予選リーグ・決勝トーナメント併用となった。
2007年から日本選手権選考大会の一つとなり、優勝チームは同大会出場が決まる。
開催球場
現在主に使用されている球場は下記の3球場。
(2011年は神宮、大田スタジアム、QVCマリンが使用された。)
過去に使用されていた球場
歴代優勝チーム
- 第1回(1946年)いすゞ自動車
- 第2回(1947年)横浜金港クラブ
- 第3回(1948年)愛知産業
- 第4回(1949年)小口製作所
- 第5回(1950年)全藤倉
- 第6回(1951年)日本生命
- 第7回(1952年)八幡製鉄
- 第8回(1953年)大昭和製紙
- 第9回(1954年)全鐘紡
- 第10回(1955年)日本生命
- 第11回(1956年)鹿児島鉄道管理局
- 第12回(1957年)鐘化カネカロン
- 第13回(1958年)日本鋼管
- 第14回(1959年)日本生命
- 第15回(1960年)日本鋼管
- 第16回(1961年)日本石油
- 第17回(1962年)日本石油
- 第18回(1963年)東芝
- 第19回(1964年)いすゞ自動車
- 第20回(1965年)日立製作所
- 第21回(1966年)日本石油
- 第22回(1967年)日鉱日立
- 第23回(1968年)日本生命
- 第24回(1969年)河合楽器
- 第25回(1970年)日本通運
- 第26回(1971年)日本生命
- 第27回(1972年)三協精機
- 第28回(1973年)熊谷組
- 第29回(1974年)東芝
- 第30回(1975年)熊谷組
- 第31回(1976年)電電東京
- 第32回(1977年)東芝
- 第33回(1978年)大昭和製紙
- 第34回(1979年)東芝
- 第35回(1980年)熊谷組
- 第36回(1981年)東芝
- 第37回(1982年)日本石油
- 第38回(1983年)東芝
- 第39回(1984年)プリンスホテル
- 第40回(1985年)日本鋼管
- 第41回(1986年)熊谷組
- 第42回(1987年)日本通運
- 第43回(1988年)日本石油
- 第44回(1989年)プリンスホテル
- 第45回(1990年)熊谷組
- 第46回(1991年)日本石油
- 第47回(1992年)NTT東海
- 第48回(1993年)日立製作所
- 第49回(1994年)日本石油
- 第50回(1995年)日本石油
- 第51回(1996年)東芝
- 第52回(1997年)日本生命
- 第53回(1998年)日本通運
- 第54回(1999年)東芝
- 第55回(2000年)日産自動車
- 第56回(2001年)JR東日本
- 第57回(2002年)日産自動車
- 第58回(2003年)東芝
- 第59回(2004年)東芝
- 第60回(2005年)JR東日本
- 第61回(2006年)日産自動車
- 第62回(2007年)JR九州
- 第63回(2008年)新日本石油ENEOS
- 第64回(2009年)新日本石油ENEOS
- 第65回(2010年)富士重工業
- 第66回(2011年)JX-ENEOS・NTT西日本[1]
- ^ 決勝戦1回途中、東北地方太平洋沖地震が発生しノーゲーム。両チーム優勝となった。