「東日本橋」の版間の差分

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'''東日本橋'''(ひがしにほんばし)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]の[[地名]]で、旧[[日本橋区]]の[[地域]]内である。
'''東日本橋'''(ひがしにほんばし)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]の[[地名]]で、旧[[日本橋区]]の[[地域]]内である。


[[郵便番号]] 103-0004
[[郵便番号]]は、103-0004である。


== 概要 ==
== 概要 ==
通りを挟み、西側は東京都内でも屈指の[[問屋街]]、東側は主に[[オフィス]]や住宅が立ち並ぶ地域で、日本橋地域内でも上位の人口を誇る。
通りを挟み、西側は[[問屋街]]、東側は主に[[オフィス]]や住宅が立ち並ぶ地域で、日本橋地域内でも上位の人口となっている。


古今交通の要所として栄え、[[江戸]]の街屈指の[[歓楽街]]であった。歴史的名所も数多く残る。
古今交通の要所として栄え、[[江戸]]の街の[[歓楽街]]であった。歴史的名所も数多く残る。


== 地理 ==
== 地理 ==
日本橋地域の北東に位置し、[[台東区]]([[浅草橋]]・[[柳橋 (神田川)|柳橋]])・[[墨田区]]([[両国 (墨田区)|両国]])との区境にあたる。
日本橋地域の北東に位置し、[[台東区]]([[浅草橋]]・[[柳橋 (神田川)|柳橋]])・[[墨田区]]([[両国 (墨田区)|両国]])との区境にあたる。
; [[川|河川]]・[[橋]]
* [[隅田川]]
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== 歴史 ==
;[[川|河川]]・[[橋]]
[[1971年]]([[昭和]]46年)[[4月]]の住居表示の実施により、下記7町がひとつになり東日本橋が成立
*[[隅田川]]
**[[両国橋]]
*[[神田川 (東京都)|神田川]]
**[[浅草橋]]
**[[柳橋 (神田川)|柳橋]]


[[明治|明治時代]]までは[[薬研堀 (東京都)|薬研堀]]があり、その大川口には元柳橋が架けられていた。[[古典落語]]などに度々登場する伝統的な区域である。
==歴史==
[[1971年]]([[昭和]]46年)[[4月]]の住居表示の実施により、下記7町がひとつになり東日本橋が誕生

[[明治時代]]までは[[薬研堀 (東京都)|薬研堀]]があり、その大川口には元柳橋が架けられていた。[[古典落語]]などに度々登場する伝統的な区域である。


近代以前の「両国」は隅田川西岸のこの地域を指していた。詳しくは[[両国 (墨田区)#中央区側の両国(日本橋両国)|中央区側の両国]]を参照。
近代以前の「両国」は隅田川西岸のこの地域を指していた。詳しくは[[両国 (墨田区)#中央区側の両国(日本橋両国)|中央区側の両国]]を参照。

2011年6月18日 (土) 01:28時点における版

日本 > 東京都 > 中央区 > 東日本橋

東日本橋(ひがしにほんばし)は、東京都中央区地名で、旧日本橋区地域内である。

郵便番号は、103-0004である。

概要

清洲通りを挟み、西側は問屋街、東側は主にオフィスや住宅が立ち並ぶ地域で、日本橋地域内でも上位の人口となっている。

古今交通の要所として栄え、江戸の街の歓楽街であった。歴史的名所も数多く残る。

地理

日本橋地域の北東に位置し、台東区浅草橋柳橋)・墨田区両国)との区境にあたる。

河川

歴史

1971年昭和46年)4月の住居表示の実施により、下記7町がひとつになり東日本橋が成立。

明治時代までは薬研堀があり、その大川口には元柳橋が架けられていた。古典落語などに度々登場する伝統的な区域である。

近代以前の「両国」は隅田川西岸のこの地域を指していた。詳しくは中央区側の両国を参照。

旧町名

現1丁目
  • 日本橋村松町、日本橋若松町、日本橋矢ノ倉町、日本橋薬研堀町、日本橋米沢町
現2丁目
  • 日本橋両国
現3丁目
  • 日本橋橘町

地域

教育
所轄の警察署・消防署

観光

名所旧跡

交通

鉄道
バス
道路

外部リンク

Template:中央区 (東京都)の町名