「歩行者天国」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Tmp wikip (会話 | 投稿記録)
→‎廃止問題: 中立的観点の修正
46行目: 46行目:


==== 廃止問題 ====
==== 廃止問題 ====
このような問題から、原宿など一部の地域では歩行者天国を廃止しており、休止となった[[秋葉原]]でも地元に廃止論がある。その一方、廃止となると街の活気がなくなったり、歩道に人があふれて危険な状態となるため、地元住民からも心配の声が上がっている。実際、先に廃止された原宿では以前のような活気がなくなっている([[スポーツニッポン]]:[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080610064.html 秋葉原ホコ天 廃止か存続か…地元二分])。秋葉原の歩行者天国は、無差別殺傷事件を契機に休止していたが、2011年1月23日に再開された。同日は10万人の人がんだ<ref>2011年1月24日の東京新聞朝刊1面</ref>。
このような問題から、原宿など一部の地域では歩行者天国を廃止しており、休止となった[[秋葉原]]でも地元に廃止論がある。その一方、廃止となると街の活気がなくなったり、歩道に人があふれて危険な状態となるため、地元住民からも心配の声が上がっている。実際、先に廃止された原宿では以前のような活気がなくなっている([[スポーツニッポン]]:[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080610064.html 秋葉原ホコ天 廃止か存続か…地元二分])。秋葉原の歩行者天国は、無差別殺傷事件を契機に休止していたが、2011年1月23日に再開された。同日は10万人の人が利用た。<ref>2011年1月24日の東京新聞朝刊1面</ref>。


== 実施方法など ==
== 実施方法など ==

2011年2月17日 (木) 10:53時点における版

ビェルスコ=ビャワ
東京銀座

歩行者天国(ほこうしゃてんごく)とは、車両通行止の規制を行い、車道部分を含めた道路全体を歩行者用道路として歩行者が歩けるようにする警察署による措置の通称。曜日・時間帯を指定して実施されるもののほか、通年全日実施されるものもある。日本での略称はホコ天

歴史

自動車の急増が世界的に問題となりはじめた1960年代から1970年代にかけて、欧米をはじめとして世界各地で市内の中心道路を歩行者専用道路(カー・フリー・ゾーン)とする政策が実施された。初めて実施されたのは、1970年のニューヨーク五番街の一部。毎週土曜日に同所の道路を歩行者に開放することをジョン・リンゼイ市長が提案したことからとされる。1969年に北海道旭川市で、1970年に東京と銀座、新宿などで行われたのをきっかけにして全国に広まったとされる。

日本の歩行者天国

概要

高度経済成長時代の当時、自動車の急増による事故の急増(いわゆる交通戦争)や環境問題への配慮により、道路交通を車優先から歩行者中心の交通への転換が求められた時期であり、そのきっかけとしてスタートしたのが始まりである。歩行者天国は道路全体を歩行者用道路とすることから、交差点などによる人の流れの妨害を阻止し、近隣の商業地の発展に寄与できるであろうとされた。また、排ガスや騒音といった交通公害の一時的な防止になり、開放的なイメージにもなるため、観光客や買い物客の増加に繋がるとも考えられた。

歴史

日本での初めての開始時期と場所は諸説あるものの、「歩行者天国」という名称が一般的になる前から、裏通りを中心に何回か実施されており、1950年には新宿駅東口前通りで自動車が締め出され、1958年には神田の東紺屋町で日曜・祝日に道路を柵で仕切り子供達の遊び場として提供した「遊戯道路」というものが設けられたこともある。「遊戯道路」はその後都内に広がっている。その後、1962年には江東区で一定時間通行制限を実施した「パートタイム規制」を行われている。

大規模なものは1969年8月6日から12日間、北海道旭川市平和通で実験的に実施されたのが始まりである。東京都内では、美濃部亮吉知事(当時)の提唱で、1970年8月2日銀座新宿池袋浅草で初めて実施された。その後、1972年6月1日には、日本初の恒久的な歩行者天国として旭川市平和通買物公園が開設された。

なお、6月10日は「歩行者天国の日」とされているが、先述の歴史を見てもわかるとおり、初めて日本における歩行者天国が実施された日ではなく、銀座から上野までの5.5kmにわたる東洋一(実施当時は世界最長だった)の歩行者天国が実施された日から来ているものである。

名称の由来

正確な名称の由来は不明だが、1966年朝日新聞でこの名称が使われている。朝日新聞で使われた当時、「天国」には好感の持てるイメージがあり、様々な商品名・施設名の名称に使われたことで、それらの価値が高くなるからと、昭和レトロ研究家の串間努は分析している。

歩行者天国が与えた影響

歩行者天国が誕生したことで、これまでははしたないとされた路上で歩きながら飲食をするいわゆる買い食いが日常の中で当たり前の出来事になっていった。またマクドナルド日清食品カップヌードルといった食品、おもちゃのアメリカンクラッカーなど歩行者天国から新しいトレンドが発信された。また自動車の普及から郊外のショッピングセンターに買い物へ向かう住民が増加し、駅前などの商店街がシャッター通り化した、あるいは懸念されたことから、歩行者天国が集客力と活性化を促す効果があるとされ実施されているケースもある。

しかし、20世紀末以降は下記のような諸問題から、日時を指定して行うものについては廃止された場所や当初より規模を縮小された場所が多い。

ストリートパフォーマー

東京・原宿では「竹の子族」などの発信地となったり、ストリートパフォーマーなどの進出によって、街全体に活気を与えるなど大きな影響を与えた。「竹の子族」やストリートパフォーマーの活動はメディアで多く取り上げられ、話題となった。

秋葉原でも無許可のパフォーマーと、それを取り囲むカメコ(カメラ小僧)が通行の妨げになっているとして問題となっていた。

運営に伴う問題

騒音問題やゴミ問題などから、地域によっては地元から歩行者天国を中止する要望が出されるようにもなった。また、休日といえども道路を迂回させられることにより、近隣道路の慢性的な渋滞原因にもなった。その結果、前述の原宿を含む一部地域では廃止されることとなった。歩行者天国で通行止めになった道路は2008年度末で541本。10年前(1998年)のほぼ半分に減っているとされ、歩行者天国の実施により周辺の道路の混雑を招き、かえって迷惑になるとする人が増えたのが理由とされる。

路線バスでは所定の経路上に歩行者天国が実施される区間がある場合は、迂回路を設定したり、実施時間帯はその区間のみ運休して前後の区間で折り返し運行を行ったりする例が見られる。またバス停留所についても迂回路上に歩行者天国実施時間帯専用の停留所を設置して対応することがある。

風紀問題

2008年4月25日に東京・秋葉原で自称アイドルが路上で下着を見せたとして警視庁に逮捕された。このとき、秋葉原のストリートパフォーマー(コスプレイヤーも含む)や、「ローアングラー」と呼ばれる人たちによる女性の下着撮影が多くのメディアで取り上げられ、その集団が街の風紀を乱しているとして問題になった。

防犯上の問題

2005年4月2日に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件、同年12月25日に発生した仙台市第二のアーケード暴走事件2008年6月8日に秋葉原で発生した通り魔事件などで、大勢の通行人が犠牲となり、防犯上や対テロの問題点が明らかになった。このため、仙台ではアーケードに車両の乗り入れが出来ないようにした。

それ以外にも、歩行者天国での恐喝行為やゲリラ的に結婚式を執り行う者が出てくるなどということもあった。

廃止問題

このような問題から、原宿など一部の地域では歩行者天国を廃止しており、休止となった秋葉原でも地元に廃止論がある。その一方、廃止となると街の活気がなくなったり、歩道に人があふれて危険な状態となるため、地元住民からも心配の声が上がっている。実際、先に廃止された原宿では以前のような活気がなくなっている(スポーツニッポン秋葉原ホコ天 廃止か存続か…地元二分)。秋葉原の歩行者天国は、無差別殺傷事件を契機に休止していたが、2011年1月23日に再開された。同日は10万人の人が利用した。[1]

実施方法など

歩行者天国を実施する理由は様々あるが、主に大学高等学校などの休み時間に学生が多く路上に溢れるためにその時間のみ行うもの、繁華街の一定の時間に実施し商業の発展を狙ったもの、祭りなどの行事のために一時的に道路を規制するもの、商店街に車を通さないことを目的としたもの、子供が路上で遊べるように道路を規制したものが挙げられる。

大規模なものは、警察署は実施と解除時にアナウンスを行い、それより前の時間には規制道路に路上駐車している車の一斉排除を行う。もし駐車違反をしていれば取り締まりを、駐車・停車している車で運転手が特定されれば、1台1台の車に対し警告を行う。もし、無視すると強制移動されて、反則切符を取られる。また、規制対象道路を走行している車があれば、道路から退避するよう促す。規制道路を走るバス路線は迂回規制を行うか、浅草三社祭の規制のように特例としてバスだけ通す場合もある。歩行者天国といえども、交差する主要道路は規制しないため、交差する道路から進入されないよう、立て看板や案内板を置き、場合によっては警察官を配備して監視を行う。解除時は警察署によるアナウンスがあるが、必ずしも全ての人間に行き渡らないため、解除時間を知らない歩行者が道路を歩いている時に自動車が通ってしまうなど危険なこともあるため注意が必要である。また、雨天など悪天候のときは中止になる場合もある。この場合所轄警察署の裁量に委ねられる。

商店街など地域に密着した小規模なものは、所轄警察署が規制を行う場合もあるが、警察官を配備しなくても道路標識によって一定時間に歩行者専用道路となるように規制をかける方式が一般的である。また多くの商店街では近隣住民や商店主によって立て看板を設置し、進入できないような対策がなされている。

大規模な実施例

恒久的なもの

日時指定によるもの

過去の実施例

  • 東京都
    • 原宿地区(代々木公園近辺)
    • 池袋駅
    • 中央通り
      かつては銀座地区から上野駅まで連接した東洋一の長さを誇る歩行者天国であったが、1999年頃オフィス街で主な集客施設も無く閑散としていた神田地区を皮切りに中止実験を経て廃止された。2003年頃まで中止区間でも歩行者専用道路の標識は残されていたが、現在は撤去されている。秋葉原地区は2011年1月23日からの試験再開時に区間が縮小され、万世橋交差点 - 須田町交差点間は対象から外された。

参考

  • それいけ昭和探偵(串間努) File NO.18 歩行者天国(2010年6月10日付中日新聞 11面(文化欄))

脚注

  1. ^ 2011年1月24日の東京新聞朝刊1面

関連項目

外部リンク