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[[平安時代]]後期に、[[入江維清]](藤原為憲の曾孫)が[[駿河国]][[有渡郡]][[入江町|入江]](現在の[[静岡県]][[静岡市]][[清水区]])を[[本貫]]として入江氏を称したのを始祖とす。 |
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2010年7月14日 (水) 13:39時点における版
入江氏 | |
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三つ輪の上の輪の内甃 | |
本姓 | 藤原南家為憲流 |
家祖 | 入江維清 |
種別 | 武家 |
出身地 | 駿河国有渡郡入江 |
主な根拠地 |
摂津国嶋上郡高槻(高槻城) 肥後熊本藩 |
支流、分家 | 岡部氏(武家) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
系譜
藤原南家工藤氏の藤原為憲(工藤為憲)から始まる。
平安時代
平安時代後期に、入江維清(藤原為憲の曾孫)が駿河国有渡郡入江(現在の静岡県静岡市清水区)を本貫として入江氏を称したのを始祖とす。
鎌倉時代
鎌倉時代末期「太平記」によると、元弘元年(1331年)後醍醐天皇の笠置山挙兵の際に駿河国入江荘の地頭、入江春倫(入江治倫と同一の可能性あり)が、千二百余騎で討幕軍に参加している。その時の功により駿河国入江荘の地頭職を保っている。
南北朝時代
建武2年(1334年)の「中先代の乱」で、敗れて鎌倉から逃れて来た足利直義と成良親王を北条氏の軍勢から守り、手越宿まで退かせ、東下して来た足利尊氏が乱を鎮圧、その後 足利氏に属した。
その後、天平7年(1352年)足利氏の内紛(観応の擾乱)では、尊氏方に属し武蔵野合戦において春倫が戦死し息子(甥の可能性あり)の入江資義(入江春則と同一の可能性あり)が高槻城を築城、居城とした。
戦国時代
戦国時代には、細川氏の被官になる。しかし両細川の乱で細川氏が弱体すると勢力を強めた三好氏と行動を共にするようになり、永禄12年(1569年)1月「本圀寺の変」で入江春継(入江元秀と同一の可能性あり)は三好三人衆と共に足利義昭の屋敷を攻め、誅死、以後は高槻城へは和田惟政が入った。
江戸時代
江戸時代に入り、春継の子入江景秀と入江景光は、肥後熊本藩細川氏の家臣になって近世に至っている。
関連リンク