藤原為憲
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『英雄百首』(歌川貞秀画) | |
| 時代 | 平安時代中期 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 不明 |
| 別名 | 工藤大夫 |
| 官位 | 従五位下・遠江権守 |
| 主君 | 朱雀天皇 |
| 氏族 | 藤原南家乙麻呂流工藤氏 |
| 父母 | 父:藤原維幾、母:高望王娘 |
| 妻 | 秦氏娘 |
| 子 | 諸説あり定まらず[1] |
藤原 為憲(ふじわら の ためのり)は、平安時代中期の貴族・武将。藤原南家乙麻呂流、常陸介・藤原維幾の子。官位は従五位下・遠江権守。工藤大夫を号し、工藤氏の祖となる。平将門・平貞盛の従兄弟にもあたる。
経歴[編集]
天慶2年(939年)、常陸国における平将門との紛争に敗れた為憲は、母方の従兄・平貞盛と共に度々の将門の探索をかわしながら潜伏する。天慶3年(940年)2月、「新皇」を僭称した将門の追討に官軍大将の一人として貞盛・藤原秀郷と協力して将門と戦い征伐に成功し、先に将門に襲撃され抑留されていた父・維幾を救援した(承平天慶の乱)。将門追討の恩賞として従五位下に叙爵、木工助(宮内省の宮殿造営職である木工寮の次官)に就任。藤原の藤と木工の工を合わせ工藤姓を興す。家紋「庵木瓜」の創始者。伊豆国・駿河国・甲斐国・遠江国の権守を歴任。
工藤氏からは、伊東氏、伊藤氏、吉川氏、鮫島氏、二階堂氏、相良氏などが派生し、また子孫に工藤茂光、工藤祐経などを輩出した。
系譜[編集]
脚注・出典[編集]
- ^ 系図によって、工藤時理の前に為時と時頼の2代を挟むもの、挟まぬものがあり、時理は為憲の子または孫または曾孫。
田代政鬴 国立国会図書館デジタルコレクション 『新訳求麻外史』 求麻外史発行所、1917年。