「山口節生」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kunkai (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
27行目: 27行目:
== 政治活動 ==
== 政治活動 ==
*改革保守[[無党派]]系無所属(自民・新進系、自民党系中立的無所属・新党結成・参加予定)→[[自由連合 (政党)|自由連合]]→「ニューディールの会」代表→「公募型競争入札を促進する会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」[[党首]]→'''「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」(略称)代表'''
*改革保守[[無党派]]系無所属(自民・新進系、自民党系中立的無所属・新党結成・参加予定)→[[自由連合 (政党)|自由連合]]→「ニューディールの会」代表→「公募型競争入札を促進する会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」[[党首]]→'''「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」(略称)代表'''
*[[1991年]]以来各種[[選挙]]に立候補している。1991年1月の[[小城郡]][[牛津町]]長選挙への立候補を皮切りに、同年2月の[[佐賀市]]長選挙、4月の[[統一地方選挙]][[佐賀県]]知事選挙、[[1993年]]の[[第40回衆議院議員総選挙]](佐賀全県区)と次々に立候補しいずれも落選。なお、その際に同氏は「長男選民論(長男はあらゆる面に優れており、次男は全てに於いて卑屈で無能で人間として欠落しているといった旨のもの)」を主張し、対立候補を「卑しい次男坊」とマニフェストで書くなどして多くの人の反感を買った。その後活動の場を首都圏に移す。[[1995年]]4月の[[統一地方選挙]][[東京都知事選挙]]に立候補し落選。以後、[[東京都]]と自宅のある[[埼玉県]]において[[国政選挙]]・[[地方選挙]]を問わずたびたび[[選挙]]に出馬、[[補欠選挙]]にも名乗りを上げるもすべて落選。[[自由民主党 (日本)|自民党]]系無所属を名乗る事が多い。何度か自民党候補の公募に出願しているが、合格したことは1度もなく、常に無所属か諸派での出馬となっている。細かい文字でびっしり埋め尽くされた[[選挙公報]]や、[[政見放送]]で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
*[[1991年]]以来各種[[選挙]]に立候補している。1991年1月の[[小城郡]][[牛津町]]長選挙への立候補を皮切りに、同年2月の[[佐賀市]]長選挙、4月の[[統一地方選挙]][[佐賀県]]知事選挙、[[1993年]]の[[第40回衆議院議員総選挙]](佐賀全県区)と次々に立候補しいずれも落選。なお、その際に同氏は「長男選民論(長男はあらゆる面に優れており、次男は全てに於いて卑屈で無能で人間として欠落しているといった旨のもの)」を主張し、対立候補を「卑しい次男坊」とマニフェストで書くなどして多くの人の反感を買った。佐賀県知事選立候補時の選挙公報には、実名で賄賂の汚職の暴露をし、関係者を怒らせた。このような行動から、マスコミにはいわゆる[[泡沫候補]]的な扱いを受けたが、与野党相乗り現職VS共産党公認候補という地方知事選の典型的無風選挙の構図に割り込んだ成果か、あと一歩で供託金返還となる9.9%の得票率を叩き出す。その後活動の場を首都圏に移[[1995年]]4月の[[統一地方選挙]][[東京都知事選挙]]に立候補し落選。以後、[[東京都]]と自宅のある[[埼玉県]]において[[国政選挙]]・[[地方選挙]]を問わずたびたび[[選挙]]に出馬、[[補欠選挙]]にも名乗りを上げるもすべて落選。[[自由民主党 (日本)|自民党]]系無所属を名乗る事が多い。何度か自民党候補の公募に出願しているが、合格したことは1度もなく、常に無所属か諸派での出馬となっている。細かい文字でびっしり埋め尽くされた[[選挙公報]]や、[[政見放送]]で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
*マスコミでは、[[大川興業]][[大川豊]][[総裁]](当時)が著書『誰が[[新井将敬]]を殺したか』や連載『金なら返せん!』でも「インディーズ候補」の代表としてたびたび取り上げている。
*マスコミでは、[[大川興業]][[大川豊]][[総裁]](当時)が著書『誰が[[新井将敬]]を殺したか』や連載『金なら返せん!』でも「インディーズ候補」の代表としてたびたび取り上げている。
*[[2000年]][[第42回衆議院議員総選挙]]では[[自由連合 (政党)|自由連合]]から出馬。自由連合は、現職国会議員を擁し、新人候補者の中にも、自民党や新進党公認で選挙に出馬した候補も多い為、公認候補は全て「主要候補」として扱われた。その為、山口も「主要候補」として報道がなされた。
*[[2000年]][[第42回衆議院議員総選挙]]では[[自由連合 (政党)|自由連合]]から出馬。自由連合は、現職国会議員を擁し、新人候補者の中にも、自民党や新進党公認で選挙に出馬した候補も多い為、公認候補は全て「主要候補」として扱われた。その為、山口も「主要候補」として報道がなされた。

2009年2月4日 (水) 16:16時点における版

山口 節生(やまぐち せつお、1949年9月26日 - )は、政治活動家不動産鑑定士、株式会社日本経済研究所代表取締役。

政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会)」代表

経歴

政治活動

  • 改革保守無党派系無所属(自民・新進系、自民党系中立的無所属・新党結成・参加予定)→自由連合→「ニューディールの会」代表→「公募型競争入札を促進する会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」党首「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」(略称)代表
  • 1991年以来各種選挙に立候補している。1991年1月の小城郡牛津町長選挙への立候補を皮切りに、同年2月の佐賀市長選挙、4月の統一地方選挙佐賀県知事選挙、1993年第40回衆議院議員総選挙(佐賀全県区)と次々に立候補しいずれも落選。なお、その際に同氏は「長男選民論(長男はあらゆる面に優れており、次男は全てに於いて卑屈で無能で人間として欠落しているといった旨のもの)」を主張し、対立候補を「卑しい次男坊」とマニフェストで書くなどして多くの人の反感を買った。佐賀県知事選立候補時の選挙公報には、実名で賄賂の汚職の暴露をし、関係者を怒らせた。このような行動から、マスコミにはいわゆる泡沫候補的な扱いを受けたが、与野党相乗り現職VS共産党公認候補という地方知事選の典型的無風選挙の構図に割り込んだ成果か、あと一歩で供託金返還となる9.9%の得票率を叩き出す。その後活動の場を首都圏に移し1995年4月の統一地方選挙東京都知事選挙に立候補し落選。以後、東京都と自宅のある埼玉県において国政選挙地方選挙を問わずたびたび選挙に出馬、補欠選挙にも名乗りを上げるもすべて落選。自民党系無所属を名乗る事が多い。何度か自民党候補の公募に出願しているが、合格したことは1度もなく、常に無所属か諸派での出馬となっている。細かい文字でびっしり埋め尽くされた選挙公報や、政見放送で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
  • マスコミでは、大川興業大川豊総裁(当時)が著書『誰が新井将敬を殺したか』や連載『金なら返せん!』でも「インディーズ候補」の代表としてたびたび取り上げている。
  • 2000年第42回衆議院議員総選挙では自由連合から出馬。自由連合は、現職国会議員を擁し、新人候補者の中にも、自民党や新進党公認で選挙に出馬した候補も多い為、公認候補は全て「主要候補」として扱われた。その為、山口も「主要候補」として報道がなされた。
  • 2003年第43回衆議院議員総選挙では、ニューディールの会を名乗り、「当選後は自民党亀井派に入会します」を公約とし、選挙ポスターに自身のではなく、亀井静香のポスターを掲示したことが一部で知られている。この選挙区では、県議選や市議選で出馬経験があるため、比較的得票し、社民党公認候補に肉薄する善戦ぶりだった。埼玉新聞等一部マスコミなどで公平に報道がされたからではないかと推測される。
  • 2005年第44回衆議院議員総選挙では、当初埼玉5区からの出馬を表明した。「私は筋金入りの郵政民営化論者。自民党の候補者公募にも応募しているが、返答がないのでとりあえず無所属で出る」としていたが、候補者公募に漏れ、直前になって埼玉5区での出馬を取りやめ、埼玉15区(さいたま市桜・南区、蕨市、戸田市)から出馬したが落選。3,957票。選挙結果が自民党の圧勝という結果に終わり、選挙前に立ち上げた政治団体「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」の行方が注目されたが、都知事選出馬に当たって新たな団体が結成された。
  • 2007年4月に投開票が行われた、統一地方選挙の目玉とも言える東京都知事選挙に、現職の石原慎太郎・元足立区長で共産党推薦候補吉田万三よりも早く7月に出馬を表明(石原知事は12月、吉田は10月)して立候補。最近は埼玉県内で各種選挙に出馬を繰り返していた山口にとって、東京での政治活動は久々で、出馬に当たって新団体を結成したが、家庭用インクジェットプリンタで普通紙に印刷したA4版の選挙ポスターが数枚確認されたのみで、政見放送ではカンペの棒読みで、しかも民放向けの政見放送では途中で時間切れになる失態で、3589票で落選し供託金も没収された。
  • 「選挙バカ」等と誹謗されているが、出馬を重ねるにつれ知名度も高まってきており、埼玉県議会選挙やさいたま市議会選挙に於いては、法定得票を上回る票を得るなど、健闘している。
  • 選挙公報も出馬を追う毎に、デザイン的に見やすくなり、政見内容も具体的になるなど進歩している。
    • 大川豊は2007年4月の都知事選挙を取材し、『日本インディーズ候補列伝』(DVD付)(扶桑社 2007年 ISBN 9784594053970)には都知事選に臨んだ山口の動静が記されている。

著書

  • 『平和のための新しい自由民主主義 田園都市政策宣言』(山口節生と田園都市政策研究協会のメンバー/編著 金華堂 1985年
  • 『政治と自由 自由と平等の調和を目指して』(日本経済研究所 1997年
  • 『現代の自由と民主 現代自由論と現代立憲民主政治の課題』第1巻(共同刊行/日本経済研究所 世界ワープロ出版 1998年
  • 「政治と法における自由及び正義の概念 ヘッフェの政治的正義論」(『日本大学大学院法学研究年報』第29号所収 日本大学大学院法学研究科 1999年

親族

外部リンク