「後藤田正純」の版間の差分

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* 2007年自民党総裁選挙で[[麻生太郎]]が予想外の善戦をしたことは認めたが、その原因は「麻生太郎のパフォーマンス」であると分析をし、党員の意見を聞いてから麻生支持に変更した議員に対しては「議院内閣制を理解していない」と発言し、総裁選当日に麻生太郎の応援をするため自民党本部前に集まった支持者に対しては「[[オタク]]系が騒いでいた」「小泉・安倍に対して熱狂して失敗をしたのに、(麻生太郎に)また熱狂をするのはいかがなものか」と評した上で「麻生人気はメッキがすぐに剥がれるだろう」と結論付けた。また、麻生支持をした一年生議員を「政策理念や政治責任論というものを全く考えていない」と批判した上で、自らについては「福田さんに投票した私は、政治玄人である」と自賛した。
* 2007年自民党総裁選挙で[[麻生太郎]]が予想外の善戦をしたことは認めたが、その原因は「麻生太郎のパフォーマンス」であると分析をし、党員の意見を聞いてから麻生支持に変更した議員に対しては「議院内閣制を理解していない」と発言し、総裁選当日に麻生太郎の応援をするため自民党本部前に集まった支持者に対しては「[[オタク]]系が騒いでいた」「小泉・安倍に対して熱狂して失敗をしたのに、(麻生太郎に)また熱狂をするのはいかがなものか」と評した上で「麻生人気はメッキがすぐに剥がれるだろう」と結論付けた。また、麻生支持をした一年生議員を「政策理念や政治責任論というものを全く考えていない」と批判した上で、自らについては「福田さんに投票した私は、政治玄人である」と自賛した。
*2007年9月28日、初当選以来所属していた[[平成研究会]](津島派)に突如退会届を提出、無派閥となった。上記のように谷垣の熱烈な支持者であることを公言するなど、派内では異端の存在であったが、今後は既存派閥への再入会はせず、純粋無派閥として活動するとしている。
*2007年9月28日、初当選以来所属していた[[平成研究会]](津島派)に突如退会届を提出、無派閥となった。上記のように谷垣の熱烈な支持者であることを公言するなど、派内では異端の存在であったが、今後は既存派閥への再入会はせず、純粋無派閥として活動するとしている。
* [[朝鮮]]への経済制裁に反対している自由民主党の数少ない国会議員の1人で、日本人[[拉致問題]]や核開発問題解決のめどが立たない中、このような国民の声を無視したかのような姿勢を見せることに批判の声が多い。ただし、[[救う会]]が[[郵政選挙]]の際に行ったアンケートでは反対とは明言せず、遠まわしの反対主張をしている。
* [[朝鮮民主主義人民共和国]]への経済制裁に反対している自由民主党の数少ない国会議員の1人で、日本人[[拉致問題]]や核開発問題解決のめどが立たない中、このような国民の声を無視したかのような姿勢を見せることに批判の声が多い。ただし、[[救う会]]が[[郵政選挙]]の際に行ったアンケートでは反対とは明言せず、遠まわしの反対主張をしている。
* [[勝谷誠彦]]が[[大韓民国|韓国大使館]]からの執拗な抗議で[[テレビ朝日]]の番組を次々に降板させられた事件に関して、韓国大使館の背後で後藤田正純がテレビ朝日に政治的圧力をかけていたことを「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」([[讀賣テレビ放送|ytv]])で告白した(OA上はP音で伏せられていた)。
* [[勝谷誠彦]]が[[大韓民国|韓国大使館]]からの執拗な抗議で[[テレビ朝日]]の番組を次々に降板させられた事件に関して、韓国大使館の背後で後藤田正純がテレビ朝日に政治的圧力をかけていたことを「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」([[讀賣テレビ放送|ytv]])で告白した(OA上はP音で伏せられていた)。
* [[日中友好議連]]のメンバーであることからも[[中国]]への外交的配慮が際立っている{{要出典}}。[[石原慎太郎]]・[[東京都知事]]が何度も訪台していることに対しても批判的な発言をしている。[[台湾]]の独立にも反対している。
* [[日中友好議連]]のメンバーであることからも[[中国]]への外交的配慮が際立っている{{要出典}}。[[石原慎太郎]]・[[東京都知事]]が何度も訪台していることに対しても批判的な発言をしている。[[台湾]]の独立にも反対している。

2007年10月1日 (月) 04:51時点における版

日本の旗衆議院議員 後藤田正純
生年月日 (1969-08-05) 1969年8月5日(54歳)
出身地 出生地:東京都
本籍地:徳島県吉野川市
出身校 慶應義塾大学
学位・資格 商学士
前職 衆議院議員秘書(後藤田正晴)
三菱商事
所属委員会 衆: 内閣委員会 委員
世襲 二世
大叔父・後藤田正晴
(遠縁・井上晋方)
選出選挙区 徳島県第3区
当選回数 3回
所属党派 自由民主党(無派閥)
党役職 青年局次長
会館部屋番号 衆・第一議員会館315号室
ウェブサイト 後藤田正純ホームページ
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後藤田 正純(ごとうだ まさずみ、1969年8月5日 - )は、日本政治家衆議院議員

大叔父の後藤田正晴は、警察庁長官内閣官房長官副総理を務めた人物。

年譜

主な所属議員連盟等

政治姿勢

  • 落選中の山崎拓前副総裁が2005年4月の衆議院福岡2区補欠選挙の候補者となったことについて、反発、批判をしている。
  • 多重債務者が増加を続ける中で、「利息制限法は必要ない」と発言し、最高裁で否定されていた出資法に一本化しようとして物議をかもしていたが、その後は貸金業規制の先頭に立った。その後、9年に及ぶ「グレーゾーン金利」の温存案を提出した金融庁案に抗議し政務官を辞職。
  • 利息制限法の金利区分の引き上げに伴い、一部で実質的に上限金利が上がる貸付金額帯が生じる点を問題視、上限金利の引き下げに例外を認める特例措置を疑問視し超党派で政府、自民党案を修正していくと表明した。
  • 週刊新潮によると、郵政民営化にはギリギリまで反対だったものの、非公認では選挙は戦えないことから最終的に執行部の説得に応じる。同記事では、直前で同じように意見を翻した政治家で井上信治御法川信英の名を挙げている。
  • 小泉的政治手法に批判的であり、参院選に惨敗した安倍政権に対しても「美しい国であるなら美しい責任の取り方があるのではないか?」と批判的立場をとった。
  • 安倍路線の対抗馬としては谷垣禎一を推しており、8月16日のテレビ放送で、町村派の福田康夫が後継者候補として取り上げられたときも「後継者は谷垣さんしかいない。福田さんが出たら自殺行為」と一笑した。
  • 2007年自由民主党総裁選挙では、安倍内閣で自民党幹事長を務めた麻生太郎の政治責任を批判し、「国民主義の福田さんと国家主義の麻生さん」という切り口を用いて麻生包囲網陣営の論客として活躍した。
  • 2007年自民党総裁選挙で麻生太郎が予想外の善戦をしたことは認めたが、その原因は「麻生太郎のパフォーマンス」であると分析をし、党員の意見を聞いてから麻生支持に変更した議員に対しては「議院内閣制を理解していない」と発言し、総裁選当日に麻生太郎の応援をするため自民党本部前に集まった支持者に対しては「オタク系が騒いでいた」「小泉・安倍に対して熱狂して失敗をしたのに、(麻生太郎に)また熱狂をするのはいかがなものか」と評した上で「麻生人気はメッキがすぐに剥がれるだろう」と結論付けた。また、麻生支持をした一年生議員を「政策理念や政治責任論というものを全く考えていない」と批判した上で、自らについては「福田さんに投票した私は、政治玄人である」と自賛した。
  • 2007年9月28日、初当選以来所属していた平成研究会(津島派)に突如退会届を提出、無派閥となった。上記のように谷垣の熱烈な支持者であることを公言するなど、派内では異端の存在であったが、今後は既存派閥への再入会はせず、純粋無派閥として活動するとしている。
  • 朝鮮民主主義人民共和国への経済制裁に反対している自由民主党の数少ない国会議員の1人で、日本人拉致問題や核開発問題解決のめどが立たない中、このような国民の声を無視したかのような姿勢を見せることに批判の声が多い。ただし、救う会郵政選挙の際に行ったアンケートでは反対とは明言せず、遠まわしの反対主張をしている。
  • 勝谷誠彦韓国大使館からの執拗な抗議でテレビ朝日の番組を次々に降板させられた事件に関して、韓国大使館の背後で後藤田正純がテレビ朝日に政治的圧力をかけていたことを「たかじんのそこまで言って委員会」(ytv)で告白した(OA上はP音で伏せられていた)。
  • 日中友好議連のメンバーであることからも中国への外交的配慮が際立っている[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。石原慎太郎東京都知事が何度も訪台していることに対しても批判的な発言をしている。台湾の独立にも反対している。

著作

  • 「特集1 Interview プライス(金利)とクォンティティ(貸付総量)、これが大きな論点」『クレジットエイジ』27(4)(通号 316)、2006年4月。
  • 「なにがあろうとも軸足がブレない生き方、逃げない生き方を学びました」『 国会ニュース』64(4)(通号 2860)2004年5月。
  • 「超多忙でもストレスなし(全公開 国会議員の24時間)」『 論座』(通号89)、2002年10月。


家族親族

関連


外部リンク