「石高」の版間の差分

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2007年5月11日 (金) 06:34時点における版

石高(こくだか)とは、日本の近世期において、という単位を用いて土地生産性を表していたこと。太閤検地以降、地租改正まで、石高に応じた課税が行われた。そこから転じて大名旗本の収入も示した。

概要

太閤検地以後江戸時代を通じて、田畑や、屋敷などの土地の価値に至るまで、面積に石盛という一定の計数をかけて米の生産力に換算して石単位で表示するようになった。これを石高(こくだか)といい、このような制度を石高制と呼んだ。大名はじめとする武士の所領からの収入や俸禄も、石高を用いて表された。特に領民の場合には「百姓高所持」、武士(特に大名)の場合には「石高知行制」と称されることがある。明治時代地租改正まで続いた。 一石が大人一人が一年に食べる米の量といわれ、兵士たちに与える報酬として石高=兵力と言える。 つまり石高は戦国大名の財力だけでなく兵力も同時に意味していた。

大名の石高

これらは、あくまで幕府公称の数字であり、実際の収穫高である内高とは、かなりの乖離がある藩も多い。詳細は内高を参照のこと。


幕末を基準

関連項目