源勝
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 仁和2年7月4日(886年8月7日) |
改名 | 勝→由蓮(法名) |
別名 | 竹田禅師 |
官位 | 従四位上 |
主君 | 仁明天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 |
父:嵯峨天皇 母:惟良氏または大原氏娘 |
兄弟 |
有智子内親王、潔姫、正良親王、 正子内親王、信、貞姫、弘、常、全姫、寛、明、善姫、定、秀良親王、 忠良親王、生、安、融、鎮、勤、啓、 業良親王、基良親王、業子内親王、 秀子内親王、俊子内親王、芳子内親王、繁子内親王、基子内親王、仁子内親王、宗子内親王、純子内親王、斉子内親王、淳王、清、澄、勝、賢、継、若姫、 密姫、端姫、盈姫、更姫、神姫、容姫、吾姫、声姫、年姫、良姫 |
子 | 良 |
源 勝(みなもと の まさる)は、平安時代前期の貴族・僧侶。法名は由蓮。嵯峨天皇の皇子。位階は従四位上。竹田禅師と称された。
経歴
[編集]天長10年(833年)摂津国百済郡の荒廃田27町を与えられる[1]。嘉祥2年(849年)仁明天皇の皇子・源多らと共に無位から従四位上に直叙される[2]。若くして出家し、由蓮を名乗った。
人物
[編集]聡明な性格で、多くの仏典に通じる一方、老荘も好んだ。巧みに考えることに非常に優れ、その所作は妙を極めたという[3]。