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晋朝相国、丞相の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

晋朝相国・丞相・司徒の一覧は中国王朝時代(魏朝下の258年から東晋の420年)において魏朝の晋・西晋東晋の三国で百官の頂点である相国丞相の官位に就いた者達の一覧である。司徒の官位についた者達も付記する。

晋書』職官志で、「丞相・相国に就任した者は趙王倫梁王肜成都王穎南陽王保王敦王導らであり、何れも人並外れた人々であった。」と書かれている通り、王導以外は謀反・皇帝廃立を図るほどの実力者が多く、八王の乱王敦の乱を起こしたものたちや、司馬睿 のように宗室出身者で後に帝位についた人物も多かった。東晋の最後の皇帝・恭帝司馬徳文も即位前は司徒であり、即位の後、相国劉裕に禅譲後暗殺された。

特に相国の官にあった四名は全員帝位をうかがっており、うち名目的に禅譲を受けた劉裕のみ革命に成功したが、ほかの三名は敗れている。

那珂通世はこの頃の丞相は姦雄が帝位簒奪を狙うために就任する役職であり、逆に司徒は位は高くても実権は殆どなかったとしている。[1]

丞相

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『晋書』巻三・帝紀第三・世祖武帝より:「(咸熙二年)九月戊午,以魏司徒何曾為(晋国)丞相……」

序次 爵位 姓名 在位年数 在位時間 皇帝
晋王
曹魏晋国丞相(258年-265年)
1 朗陵孝公 何曾 1年 265年 元帝(魏)
武帝
晋朝丞相(265年-420年)
1 梁孝王 司馬肜 1年 300年-301年 恵帝
2 成都王 司馬穎 2年 304年-306年
3 東海孝献王 司馬越 4年 307年-311年 懐帝
4左 琅邪王[2] 司馬睿 2年 313年-315年 愍帝
4右 南陽王[3] 司馬保 2年 313年-315年
5 琅邪王[2] 司馬鄴 2年 315年-317年
6 武昌郡公 王敦 1年 322年 元帝
7 始興文献郡公 王導 1年 338年-339年 成帝
8 琅邪王[4] 司馬昱 6年 366年-372年 廃帝
南郡宣武公[5] 桓温 373年贈
9 南郡公[6] 桓玄 1年 402年 安帝

相国

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『晋書』巻四・帝紀第四・恵帝より:「(永康元年四月)甲午,倫矯詔大赦,自為相国、都督中外諸軍,如宣文輔魏故事,追復故皇太子位。」

爵位 姓名 在位年数 在位期間 皇帝
晋朝相国(265年-420年)
1 趙王 司馬倫 1年 300年 恵帝
2 南陽元王 司馬保 2年 315年-317年 愍帝
3 南郡公[6] 桓玄 1年 403年-404年 安帝
4 宋公[7] 劉裕 2年 418年-420年 安帝
恭帝

司徒

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『晋書』巻三·帝紀第三·世祖武帝には、「(泰始三年九月甲申)……司空荀顗を司徒と為す。」とある。司徒は竹林の七賢山濤などが就任したが、貴族の名誉職であり、ほぼ官邸では清談に打ち興じていたようである。司徒王衍は趙漢の石勒に捕らえられたときに「私は若い頃から仕事が嫌いで何の実権もなかった」と弁解している。実権を持つ例外的な司徒としては謝安がいるが、実権をうとまれて短期間で退職した。

序次 爵位 姓名 在位年数 在位時間 皇帝
晋朝司徒(265年-420年)
1 義陽成王 司馬望 2年 265年-267年 武帝
2 臨淮康公 荀顗 2年 267年-269年
3 樂陵武公 石苞 4年 269年-273年
4 朗陵孝公 何曾 5年 273年-278年
5 廣陸成侯 李胤 4年 278年-282年
6 新沓康伯 山濤 1年 282年-283年
7 劇陽康子 魏舒 3年 283年-286年
8 安昌元公 石鑒 4年 286年-290年
濟北成侯 荀勗 289年贈
9 京陵元公 王渾 7年 290年-297年 武帝
恵帝
10 安豐元侯 王戎 3年 297年-300年 恵帝
11 朗陵康公 何劭[8] 1年 300年-301年
12 梁孝王 司馬肜 2年 301年-303年
13 安豐元侯 王戎 2年 303年-305年
14 大陵元公 温羨 1年 306年-307年 懐帝
15 王衍 2年 307年-309年
16 東海孝獻王 司馬越 2年 309年-311年
17 靈州縣公 傅祗 1年 311年-312年
18 梁芬 3年 313年-316年 愍帝
19 臨潁元公 荀組 5年 317年-322年 元帝
20 始興文獻公 王導 15年 323年-338年 明帝
成帝
21 琅琊王 司馬岳[9] 3年 339年-342年 成帝
22 濟陽文穆男 蔡謨 8年 342年-350年 康帝
穆帝
23 會稽王 司馬昱[10] 14年 352年-366年 穆帝
哀帝
廃帝
24 廬陵文靖公 謝安 1年 377年 孝武帝
25 會稽文孝王 司馬道子 16年 383年-399年 孝武帝
安帝
東亭獻穆侯 王珣 384年贈
26 琅邪王[11] 司馬徳文 3年 399年-402年 安帝
27 武岡文恭侯[12] 王謐 5年 403年-408年
28 琅邪王[11] 司馬徳文 9年 409年-418年


脚注

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  1. ^ 那珂通世『支那通史』岩波文庫中冊、P234
  2. ^ a b 317年に晋王を称し、318年に東晋皇帝即位。
  3. ^ 後に自立して晋(元)王即位。
  4. ^ 372年、東晋皇帝に即位。
  5. ^ 404年桓玄が楚宣武帝の尊号を贈った。
  6. ^ a b 父の桓温の爵位を継承し、404年皇帝に即位。
  7. ^ 419年宋王に封じられ、420年皇帝の地位を禅譲され、南朝宋を建国。
  8. ^ 父の何曾の爵位を継いでいる。
  9. ^ 342年即位して東晋の康帝となった。
  10. ^ 372年即位して簡文帝となった。
  11. ^ a b 419年即位して東晋最後の皇帝恭帝となった。
  12. ^ 養父王協の爵位を継いでいる。

関連項目

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参考文献

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  • 晋書
  • 万斯同『歴代史表』
  • 秦錫圭『補晋執政表』
  • 許嵩『建康実録』