徳川正子
表示
徳川 正子(とくがわ なおこ、1885年〈明治18年〉9月21日 - 1963年〈昭和38年〉8月17日)は、徳川家正の夫人。
生涯
[編集]旧薩摩藩主の公爵・島津忠義とその側室・山崎寿満子の九女として誕生した。父の死後、1898年(明治31年)4月12日、木曽川丸で姉・邦彦王妃俔子、弟・島津忠重と神戸へ、汽車にて同年4月18日、旧新橋駅に着く[1]。1906年(明治39年)3月、華族女学校を卒業[2]。その後、徳川家正と結婚し、1男3女をもうける。
家族
[編集]夫は徳川宗家第17代当主の徳川家正で、その結婚は2人が誕生する前に、13代将軍徳川家定の正室であった天璋院の遺言によって既に決められていた[3]。
家督については、長男の家英(いえひで)が先立って死去したため、夫・家正は徳川宗家の断絶を恐れて長女の豊子と会津松平家の松平一郎との間に生まれた次男の恒孝を養子とし、家正死後に恒孝が徳川宗家第18代当主となった。なお、恒孝の父方の祖父である松平恆雄は第1回参議院議員通常選挙に当選し、第1回国会の議長選挙で初代参議院議長に選出されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ しらゆき. 島津出版会刊
- ^ “女子学習院一覧. 昭和2年 乙”. 2020年1月7日閲覧。
- ^ 『花葵』ISBN 4620312347
- ^ 『読売新聞』1936年9月29日付夕刊。
- ^ 著書に『花葵 徳川邸おもいで話』(保科順子、毎日新聞社、1998年)がある。