天満町停留場
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天満町停留場* | |
---|---|
西広島方面ホーム | |
てんまちょう Temma-cho | |
◄M14 小網町 (0.3 km) (0.2 km) 観音町 M16► | |
所在地 | 広島市西区天満町 |
駅番号 | ●M15 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■本線 |
キロ程 | 4.0 km(広島駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,718[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1917年(大正6年)頃 |
天満町停留場(てんまちょうていりゅうじょう、天満町電停)は、広島県広島市西区天満町にある広島電鉄本線の路面電車停留場である。駅番号はM15。
歴史
[編集]当停留場付近は隣の観音町停留場と合わせて改廃が多く、資料によって時期に異同があるが、ここでは主に『日本鉄道旅行地図帳』を参考にした。
当停留場のある本線の紙屋町 - 己斐間は1912年(大正元年)12月8日に開業[2]。この時天満町停留場も開業したが、現在の停留場とは異なる位置にあった別の停留場である。当停留場は1917年頃に開業した[3]。
年表
[編集]- 1912年(大正元年)12月8日:天満町停留場(初代)が開業[3]。
- 1917年(大正6年)頃:初代停留場が廃止[3]。当停留場の前身となる2代目の天満町停留場が開業[3]。
- 1922年(大正11年)頃:西天満町停留場(にしてんままちていりゅうじょう)に改称[3]。初代停留場の位置に天満橋停留場(てんまばしていりゅうじょう)が開業[3]。
- 1929年(昭和4年)頃:観音町停留場(かんおんまちていりゅうじょう)に改称[3]。天満橋停留場は天満町停留場(3代目)に改称[3]。
- 1936年(昭和11年)7月11日:西天満町停留場に再改称[3]。
- 1942年(昭和17年)5月:3代目の天満町停留場が廃止[3]。
- 1945年(昭和20年)
停留場構造
[編集]本線はほぼすべての区間で軌道が道路上に敷かれている併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。
ホームは低床式で2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置されている[4][5](相対式ホーム)。線路の北側に紙屋町方面の上りホーム、南側に広電西広島駅方面の下りホームがある[4]。周辺の道路の幅が狭く、ホームは路面より少し高いぐらいの簡素な造りである[4]。
運行系統
[編集]→「広島電鉄 § 運行系統」も参照
本線には広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れるが、このうち当停留場には2号線、3号線、それに0号線が乗り入れている。
上りホーム | 広島駅ゆき | |
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日赤病院前ゆき | ||
広電本社前ゆき | ||
下りホーム | 広電宮島口ゆき | |
広電西広島ゆき |
停留場周辺
[編集]付近は古くからの住宅街である。北東方向に徒歩5分の距離には広島天満宮がある[4]。少し東へ歩いたところには天満川が流れる。
- 広島市立天満小学校
- 天満公園
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月14日閲覧。
- ^ a b c 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、150-157頁。ISBN 4-533-05986-4。
- ^ a b c d e f g h i j k 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c d 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、13・77頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103-104頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 天満町 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄