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大麻止乃豆乃天神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大麻止乃豆乃天神社

拝殿(2009年5月)
所在地 東京都稲城市大丸847
位置 北緯35度38分46.0秒 東経139度29分30.5秒 / 北緯35.646111度 東経139.491806度 / 35.646111; 139.491806座標: 北緯35度38分46.0秒 東経139度29分30.5秒 / 北緯35.646111度 東経139.491806度 / 35.646111; 139.491806
主祭神 櫛真智命
社格 式内小社論社・旧郷社
本殿の様式 流造
例祭 10月第1土曜日の翌日曜日
地図
大麻止乃 豆乃天神社の位置(東京都内)
大麻止乃 豆乃天神社
大麻止乃
豆乃天神社
地図
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大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのてんじんしゃ、おおまとのつのあまつかみのやしろ)は、東京都稲城市大丸にある神社旧社格郷社

祭神

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主殿
天曽己多智命の父とされる神[1]。『延喜式神名帳』に記載されている大和国十市郡の天香山坐櫛眞命神社(現・天香山神社、奈良県橿原市天香久山北麓に鎮座)に「元名 大麻等乃智神」との注記があることから、当社も天香山神社と同じ祭神であろうと考えられたものである。江戸時代までは丸宮明神(まるみやみょうじん)と称していたが、これは「麻止乃宮明神」が転じたものという説がある[2]

歴史

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鳥居 (2009年5月)
狛犬。「天保十二辛丑年六月吉祥日」(1841年)と彫られている。 (2009年5月)
境内からの多摩川中流域の沖積地の眺め。多摩川にかかる稲城大橋が見える。(2009年5月)

ごく小さな社であり由緒ははっきりしないが、『式内社調査報告』では、『延喜式神名帳』に記載される武蔵国多摩郡「大麻止乃豆乃天神社」が当社であるとしている。しかし、式内・大麻止乃豆乃天神社については東京都青梅市武蔵御嶽神社論社となっており、明治初年には武蔵御嶽神社が大麻止乃豆乃天神社と称していた。

なお「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味ではないかと考えられている[3]。実際、この神社の神域に隣接する普門禅庵の前の低地の旧地名は「イリガタ」であり、天神山と城山(室町時代の砦の遺構あり)に挟まれた古多摩川潟湖であった。

この神社が立地する稲城市大丸という地名も、「大きく丸い平地」という意味であるとされるが、この地は古代から多摩川の渡河点の一つ(府中街道と川崎街道がここで合流する)であり、があったと考えるのは妥当であろう。ちなみに前出の城山も、多摩川の渡河点を押さえる目的で築かれたと考えられている。

境内社

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秋葉神社[注釈 1]

[祭神] 火之迦具土大神

津島神社

[祭神] 建速須佐之男命
[行事] 例大祭(7月海の日)

稲荷神社 × 2社

[祭神] 倉稲魂命
[行事] 初午祭(2月上旬)

白山神社

[祭神] 菊理姫命(くくりひめのみこと)
[祭神] 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
[祭神] 伊弉冊命(いざなみのみこと)

神明神社

[祭神] 天照大御神

祭事

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現地情報

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所在地
交通アクセス
周辺

多摩丘陵中部の北辺に位置し、境内からは多摩川中流域の沖積地が一望出来る。境内の裏山はかつては城山と呼ばれ、中世には大丸城という山城が築かれていたが、現在は多摩ニュータウン向陽台住区となっている。参道の両脇には円照寺、直心庵という仏教寺院があり、境内の北側にはやはり普門禅庵という仏教寺院がある。

脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿』の丸宮社の項に「末社 秋葉社」の記述がある[2]

出典

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  1. ^ 早川純三郎「度会氏系図」『系図綜覧』巻二、国書刊行会、1915年、396頁。
  2. ^ a b 新編武蔵風土記稿 大丸村.
  3. ^ 稲城市教育委員会編『稲城の地名と旧道』73頁。

参考文献

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  • 「大丸村 丸宮社」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ95多磨郡ノ7、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763989/50