壱岐市立初山小学校
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壱岐市立初山小学校 | |
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北緯33度43分8.2秒 東経129度42分11.8秒 / 北緯33.718944度 東経129.703278度座標: 北緯33度43分8.2秒 東経129度42分11.8秒 / 北緯33.718944度 東経129.703278度 | |
過去の名称 |
第五大学区第四中学区初山小学校 初山学区公立初山小学校 武生水学区公立中等初山小学校 (尋常志原小学校と統合) 石田郡初山村立初山尋常小学校 壱岐郡初山村立初山尋常小学校 壱岐郡初山尋常小学校 壱岐郡初山尋常高等小学校 初山村国民学校 初山村立初山小学校 郷ノ浦町立初山小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 壱岐市 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)10月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210002393 |
所在地 | 〒811-5143 |
長崎県壱岐市郷ノ浦町初山西触807番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
壱岐市立初山小学校(いきしりつ はつやましょうがっこう, Iki City Hatsuyama Elementary School)は長崎県壱岐市郷ノ浦町初山西触にある公立小学校。略称は「初山小」(はつやましょう)、「初小」(はつしょう)。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)に開校した「第五大学区第四中学区[1]初山小学校」を前身とする。2010年(平成22年)に創立135周年を迎えた。
- 校章
- 校歌の中にある鏡岳大権現(現・爾示八幡宮)の神体とされる「八尺(やた)の鏡」[2]を描き、その中に「小」の文字を置く。
- 校歌
- 作詞は山本文夫[3]、作曲は山口常光[4]による。歌詞は2番まであり、ともに「おお初山 初山健児」で終わる。
- 校区
- 住所表記で郷ノ浦町の後に「初山西触」、「初山東触」、「若松触」、「坪触」が続く地区[5]。中学校区は壱岐市立郷ノ浦中学校[6]。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)10月21日 - 「第五大学区第四中学区初山小学校」が初山東触に創立。
- 1879年(明治12年)- 「初山学区公立初山小学校」と改称。
- 1883年(明治16年)11月 - 若松触に移転し、「武生水学区公立中等初山小学校」と改称。
- 1886年(明治19年)8月 - 尋常志原小学校と合併。
- 1890年(明治23年)8月 - 志原尋常小学校より分離し、「初山小学校」として独立。初山西触字中小場に移転。
- 1892年(明治25年)7月 - 「石田郡初山村立初山尋常小学校」と改称。
- 1896年(明治29年)4月 - 「壱岐郡初山村立初山尋常小学校」と改称。
- 1901年(明治34年)4月 - 「壱岐郡初山尋常小学校」と改称。
- 1904年(明治37年)1月8日 - 初山西触神田に校舎を新築し、移転。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 高等科を設置し、「壱岐郡初山尋常高等小学校」と改称。
- 1911年(明治44年)4月 - 校舎(7教室)を増築。
- 1911年(大正2年)4月1日 - 5学級となる。
- 1912年(大正3年)9月 - 運動場を拡張。
- 1913年(大正4年)11月 - 堆肥舎が完成。
- 1914年(大正5年)7月 - 浴場を新設。
- 1928年(昭和3年)11月 - 医務室を新設。
- 1935年(昭和10年)- 在籍児童数が最大の418名(8学級)を記録する。
- 1938年(昭和13年)8月 - 理髪室を建築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「初山村国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。
- 1942年(昭和17年)10月 - 奉安殿が完成。(戦後すぐに廃棄)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 1948年(昭和23年)4月 - 中学校4学級、小学校9学級。
- 1950年(昭和25年)8月 - 西校舎を南向きに移転。中学校2教室を新築。
- 1952年(昭和27年)1月 - 旧医務室を改装。
- 1953年(昭和28年)2月 - 創立80周年を記念し、学校図書館を設立。また第1回植林(3,000本)を実施。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)2月
- 1956年(昭和31年)2月 - スギ・ヒノキ1,400本を植林。(第3回)
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)10月 - 運動場石垣土手が完成。
- 1963年(昭和38年)
- 8月 - 校門を新設。
- 11月 - ミルク給食を開始。
- 1964年(昭和39年)12月 - 放送施設を寄付設置。
- 1965年(昭和40年)4月 - つき井戸が完成。
- 1968年(昭和43年)4月22日 - 完全給食を開始。
- 1969年(昭和44年)
- 7月20日 - 宿直を廃止。
- 9月10日 - 郷ノ浦町立盈科小学校で皇太子・皇太子妃を歓迎。
- 1970年(昭和45年)
- 4月1日 - 特殊学級を新設。
- 9月1日 - 郷ノ浦町簡易水道給水を開始。
- 1971年(昭和46年)5月16日 - ジャングルジムと懸垂シーソーを設置。
- 1972年(昭和47年)11月22日 - 鉄棒を設置。
- 1973年(昭和48年)
- 4月1日 - 初山中学校との併設を解消。
- 7月19日 - 旧中学校舎に移転。
- 1974年(昭和49年)3月2日 - 校旗を新調。
- 1975年(昭和50年)3月10日 - 卒業生の寄付により、創立百周年記念碑を建立。
- 1977年(昭和52年)8月25日 - 新校舎が完成。
- 1978年(昭和53年)12月23日 - 体育館が完成。
- 1979年(昭和54年)9月12日 - 米飯給食を開始。
- 1980年(昭和55年)
- 6月 - 運動場を拡張、前庭を舗装。
- 9月10日 - 国旗掲揚台を設置。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)3月20日 - 藤棚が完成。
- 1985年(昭和60年)11月12日 - 校門を新設。
- 1993年(平成5年)8月10日 - 郷ノ浦町と野洲町(滋賀県)の交流が始まり、野洲町訪問団に児童を派遣。
- 1995年(平成7年)9月10日 - 運動場ナイター設備。
- 2000年(平成12年)
- 2002年(平成14年)1月11日 - 初山小学校ホームページを開設。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 4町合併による壱岐市誕生に伴い、「壱岐市立初山小学校」(現在名)に改称。
- 2006年(平成18年)
- 3月9日 - 午前中5時間制時間割を試行。
- 4月1日 - 2年・3年の複式学級を開始。午前中5時間制を本格的に開始。
- 2009年(平成21年)1月27日 - V・ファーレン長崎の3選手が来校し、サッカー交流を行う。
アクセス
[編集]- 最寄りの港
- 最寄りのバス停
- 壱岐交通 「南明寺」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
[編集]- 初山郵便局
- 壱岐市立初山保育所
- 初山地区民センター
- 旧・壱岐市立初山中学校校舎
脚注
[編集]- ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二中学区、旧島原藩が第三中学区、旧平戸藩が第四中学区、旧福江藩が第五学区。なお壱岐は旧平戸藩の領地であったことから第四中学区に属した。対馬も第四中学区に属した。
- ^ 瑞花双鳳八稜鏡(ずいかそうほうはちりょうきょう) - 文化庁文化遺産ウェブサイト
- ^ 壱岐市立石田中学校、壱岐市立石田小学校、壱岐市立筒城小学校などの校歌の作曲も行っている。
- ^ 長崎県立壱岐高等学校、長崎県立壱岐商業高等学校、壱岐市立霞翠小学校、壱岐市立鯨伏小学校などの校歌の作曲も行っている。
- ^ 壱岐市立小学校・中学校 校区 - 壱岐市ウェブサイト
- ^ 2011年(平成23年)4月1日、壱岐市郷ノ浦地区の中学校4校(武生水・渡良・初山・沼津)が規模適正化のために統合され、壱岐市立郷ノ浦中学校が開校した。郷ノ浦中学校の校舎は武生中学校の校舎がそのまま継承されている。統合前は小学校に隣接していた初山中学校に通っていたが、統合後はスクールバスで郷ノ浦中学校へ通っている。
参考文献
[編集]- 「郷ノ浦町史」(1998年(平成10年)6月発行、編集・郷ノ浦町史編纂委員会、出版・郷ノ浦町教育委員会)
- 壱岐の歴史情報 1800年代 - 壱岐市立一支国博物館ウェブサイト