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伊万里市立黒川小学校

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伊万里市立黒川小学校
地図北緯33度20分11秒 東経129度51分54秒 / 北緯33.33632度 東経129.86511度 / 33.33632; 129.86511座標: 北緯33度20分11秒 東経129度51分54秒 / 北緯33.33632度 東経129.86511度 / 33.33632; 129.86511
国公私立の別 公立学校
設置者 伊万里市
併合学校 伊万里市立黒川小学校(旧)
伊万里市立黒川小学校立目分校
伊万里市立東黒川小学校
設立年月日 1986年昭和61年)4月1日
共学・別学 男女共学
学校コード B141220500050 ウィキデータを編集
所在地 848-0123
佐賀県伊万里市黒川町大黒川1335番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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伊万里市立黒川小学校(いまりしりつくろわしょうがっこう)は佐賀県伊万里市黒川町大黒川にある市立小学校。略称「黒小(くろしょう)」。

概要

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歴史
1986年昭和61年)に黒川地区にあった以下の2校1分校が統合して開校した。2021年令和3年)には創立35周年を迎えた。
  • 伊万里市立黒川小学校(旧)
  • 伊万里市立黒川小学校立目分校(立目の読みは「たちめ」)
  • 伊万里市立東黒川小学校
校章
中央に校名の「黒小」の文字(縦書き)を配している。
校歌
作詞は内山良男、作曲は冨永みさをによる。歌詞は3番まであり、各番に校名の「黒川小学校」が登場する。
通学区域
住所表記で伊万里市の後に「福田、浦潟、干潟、大黒川、奥野、塩屋、小黒川、浦分、黒塩、椿原、名村団地、清水、横野、立目、牟田、花房、畑川内、長尾、真手野」が続く地域[1]
中学校区は伊万里市立青嶺中学校

沿革

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旧・黒川小学校
旧・黒川小学校跡に残る鉄筋校舎
旧・立目分校跡
現・深山コミュニティセンター
  • 1874年(明治7年)10月7日 - 姥賀[注釈 1]村に「姥賀[注釈 1]小学校」が創立。
  • 1875年(明治8年)3月 - 立目分校[注釈 2]を設置。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常姥賀小学校」に改称。
    • 持丸小学校(東黒川小学校の前身)を統合し、畑川内分舎とする。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、黒川村立の小学校となり、「尋常黒川小学校」に改称。
  • 1891年(明治24年)- 「黒川尋常小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)- 畑川内分舎が分離の上、「前平尋常小学校」として独立。畑川内長尾寄りに校舎を新築(この時の校舎が1986年の閉校まで存続)。
  • 1906年(明治39年)
  • 1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
  • 1911年(明治44年)- 義務教育年限の延長により、収容児童数が増加し、校舎が手狭になったため、校舎を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒川第一国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1945年(昭和20年)- 立目分校校舎を改築。初等科5・6年生を収容開始。1・2年、3・4年、5・6年の複式3学級となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「黒川村立第一小学校」に改組・改称。
    • 国民学校高等科は青年学校普通科と統合され、新制中学校「黒川村立黒川中学校」に改組された。校舎完成までの間、第一小学校に併設される。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「黒川村立黒川小学校」に改称。
  • 1951年(昭和26年)- 黒川中学校の新校舎が大黒川3209番地に完成したため、小学校校舎一部の貸与を終了。
  • 1953年(昭和28年)- 講堂と管理棟舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、伊万里市が市制施行。これにより「伊万里市立黒川小学校」に改称。
  • 1957年(昭和32年)- 第二棟舎が完成。
  • 1964年(昭和39年)- 鉄筋コンクリート像2階建て新校舎(6教室)が完成。
  • 1969年(昭和44年)- 2教室を増築。
  • 1986年(昭和61年)3月31日 - 統合のため閉校。
    • 最終所在地と跡地
      • 本校 - 伊万里市黒川町小黒川279番地1[2] 木造校舎は解体されたが、鉄筋校舎は伊万里市教育委員会 文化財研究室として使用された。
      • 立目分校 - 伊万里市黒川町立目216番地3[2]  
旧・東黒川小学校(ひがしくろがわ)
旧・東黒川小学校跡に残る記念碑
  • 1873年(明治6年)3月 - 「前平小学校」が創立。
    • 南波多6地区(重橋・水留・古里・谷口・大曲・高瀬)および黒川東部4地区を校区としていた。
    • 真手野の華蔵寺を仮教場とし、間もなく重橋の神ノ原に移転。
  • 1878年(明治11年) - 南波多6地区と黒川4地区が行政区・校区を分離。これに伴い、畑川内持丸田に校舎を新築し、移転を完了。校名を「持丸小学校」とする。
  • 1887年(明治20年)- 統合により「尋常姥賀小学校 畑川内分舎」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制施行により、黒川村立の小学校となり、「尋常黒川小学校 畑川内分舎」に改称。
  • 1891年(明治24年)- 「黒川尋常小学校 畑川内分舎」に改称。
  • 1892年(明治25年)- 黒川尋常上学校から分離の上、「前平尋常小学校」として独立。
  • 1906年(明治39年)- 高等科を設置の上、「黒川第二尋常高等小学校」に改称。
  • 1907年(明治40年)- 小学校令改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「黒川第二国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制)の実施により、国民学校初等科が「黒川村立第二小学校」に改組・改称。
    • 新制中学校「黒川村立黒川中学校」の校舎が完成するまでの間、第二小学校に中学校分校が併設される。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 「黒川村立東黒川小学校」に改称。
  • 1951年(昭和26年)- 黒川中学校の校舎が完成したため、併設の中学校分校が廃止される。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 町村合併により、伊万里市が市制施行。これにより「伊万里市立東黒川小学校」に改称。
  • 1978年(昭和53年)- 2教室を改造し、伊万里市立黒川幼稚園が併設される。
  • 1986年(昭和61年)3月31日 - 統合のため閉校。
    • 最終所在地 - 伊万里市黒川町畑川内2069番地[2]。跡地は林業研修センターとして利用された。
統合後 現・黒川小学校
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 現在地に新校舎が完成し、移転・統合を完了。新しい「伊万里市立黒川小学校」(現校名)が開校。
    • 隣接地に伊万里市立黒川幼稚園が新設・開園(東黒川小学校校地から移転)。
  • 1995年(平成7年)10月 - 開校10周年を記念し、校地内に「敬愛の森」植樹を実施。
  • 2000年(平成12年)4月1日 - 黒川中学校と波多津中学校が統合され、伊万里市立青嶺中学校が中学校区となる。
  • 2023年(令和5年)3月31日 - 隣接地の伊万里市立黒川幼稚園が閉園となる。

交通

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最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

参考資料

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  • 「伊万里市史 教育・人物編」(2003年(平成15年)3月31日発行, 伊万里市)p.355 - p.358

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 読みは「うばが」。表記は「姥ガ」とも。
  2. ^ 1877年(明治10年)発行の『学務事報』には「立目小学校」(単独校)、同年発行の『各学校設立伺』では「上古小学校」(じ上古の読みは「じょうご」)(単独校)との表記がされている。

出典

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  1. ^ 小学校一覧 - 伊万里市ウェブサイト
  2. ^ a b c 「全国学校名鑑 昭和52年版」(1976年(昭和51年)10月10日, 福武書店

関連項目

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外部リンク

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