コンテンツにスキップ

井上茂兵衛 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井上 茂兵衛(いのうえ もへえ、1853年8月21日嘉永6年7月17日[1] - 1927年昭和2年)2月18日[2])は、日本商人扇子商)[1][3]実業家政治家名古屋市会議長[4][5]。族籍は愛知県平民[1][3][6][7]

経歴

[編集]

愛知県出身。富田幸吉の二男[1][6]1878年、井上佐吉の養子となり、家督を相続する[1][6]。扇子商を営む[3][6][7]

名古屋瓦斯[4]尾州電気各社長、名古屋瓦斯常務取締役[3][6]、豊橋瓦斯、浜松瓦斯、尾州瓦斯電気、中央鉄工所各取締役、北海炭業監査役などをつとめる[1][7]

人物

[編集]

漢詩の素養が深い[4]。趣味が広く、詩や和歌も作る[5]。住所は愛知県名古屋市西区押切町1丁目[1]

家族・親族

[編集]
井上家
  • 父・佐吉[1][7]
  • 妻・かま1863年 - ?、愛知、水野孫十郎の妹[1][3]、水野孫八の三女[7]
  • 養子・茂兵衛1875年 - 1932年[8]、前名・鉦次郎、愛知県商品陳列所出品協会副会長[8]、扇子商[9]) - 愛知県の富田伊兵衛の二男で、井上茂兵衛の養子となり1927年に家督を相続する[9]。『商工資産信用録 第32回』には「井上茂兵衛、調査年月・1930年2月、職業・内外向 扇子、正味身代・M、信用程度・A」とある[10]。1932年10月15日に丹毒症のため逝去し、同月18日に押切町の養照寺(真宗大谷派)において盛大な告別式が行われた[8]
    • 同二男・茂兵衛1909年 - ?、前名・光三、扇子商)[9][11] - 1932年、家督を相続する[11]
  • [3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第5版』い22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。
  2. ^ 『官報』第101号、1927年5月4日。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』い20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。
  4. ^ a b c 『名古屋百紳士』41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。
  5. ^ a b 『名古屋百人物評論』59 - 66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月31日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録 第3版』い25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月31日閲覧。
  7. ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』い23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。
  8. ^ a b c 『愛知商工(183)』110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月3日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第9版』イ34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。
  10. ^ 『商工資産信用録 第32回』愛知県い6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年4月26日閲覧。
  11. ^ a b 『人事興信録 第13版 上』イ32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月28日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 手島益雄『名古屋百人物評論』日本電報通信社名古屋支局、1915年。
  • 馬場籍生『名古屋百紳士』名古屋百紳士発行所、1917年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第32回』商業興信所、1931年。
  • 『愛知商工(183)』愛知県商工館、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1934年。