ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー
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Военная академия Генерального штаба Вооружённых сил Российской Федерации | |
校章 | |
種別 | 幕僚学校 |
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設立年 | 1936年 |
創立者 | 赤軍 |
校長 | ウラジミール・ザルドニツキー |
所在地 |
ロシア モスクワ・プロスペクト・ヴェルナツコヴォ 100 座標: 北緯55度38分59.28秒 東経37度28分26.37秒 / 北緯55.6498000度 東経37.4739917度 |
公式サイト | http://vagsh.mil.ru/ |
ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー(ロシアれんぽうぐん さんぼうほんぶ ぐんじアカデミー、ロシア語: Военная академия Генерального штаба Вооруженных Сил Российской Федерации、英語: Military Academy of the General Staff of the Armed Forces of Russia)は、ロシア連邦軍の幕僚学校。将官候補者の教育を行う。所在地はモスクワ・ホルツノヴァ通り14番地。
概要
[編集]参謀アカデミーは帝政時代の1832年から存在していた(ロシア帝国軍参謀本部アカデミー)。1918年設立のフルンゼ軍事アカデミーに設置されていた高級指揮課程を基に、1936年にソビエト連邦軍の教育機関として設立された。
佐官(大佐・中佐・少佐)の階級で当校に入学できたが、ほとんどの学生は大佐昇進直後の士官か、将官のいずれかであった。原則として30代後半で入学する。当校に選抜された将校は、まず該当する兵科または支部のアカデミーに通うことになる。まだ将官や提督でなかった卒業生は、通常、課程修了後しばらくしてこの階級に昇進した。士官学校の修業年限はわずか2年で、兵科学校やアカデミーの修業年限が3年であるのとは対照的であった。
参謀本部の教授や学生は、ロパーチン少佐のソ連末期時の赤軍再編に関する議論に関与し、大幅な兵力削減について具体的な提案を行ったとされる[1]。
2017年11月22日の時点で、ウラジミール・ザルドニツキー大将が校長を務めている。
校名の変遷
[編集]- 1832年:帝国軍事アカデミー
- 1855年:ニコライ皇帝参謀本部アカデミー
- 1909年:ニコライ皇帝軍事アカデミー
- 1910年:帝国ニコライ皇帝軍事アカデミー
- 1917年:ニコライ皇帝軍事アカデミー
- 1918年:赤軍参謀本部軍事アカデミー
- 1921年:赤軍軍事アカデミー
- 1936年:赤軍参謀本部アカデミー
- 1941年:赤軍参謀本部軍事アカデミー「K・E・ヴォロシーロフ」
- 1942年:Höhere Militärakademie der RABA „K.J. Woroschilow“
- 1958年:ソビエト連邦軍参謀本部軍事アカデミー
- 1969年:ソビエト連邦軍参謀本部軍事アカデミー「K・E・ヴォロシーロフ」
- 1992年:ロシア連邦軍参謀本部軍事アカデミー
脚注
[編集]- ^ William E Odom, The Collapse of the Soviet Military, Yale University Press, New Haven and London, 1998
参考文献
[編集]- Scott, Harriet Fast、Scott, William F.『The Armed Forces of the USSR』(2版)Arms and Armour Press、London、1981年。ISBN 0-85368-287-9。