ミュージカルぼーいず

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミュージカルぼーいずは、かつて活躍したボーイズバラエティ協会所属のボーイズ、兼ムード歌謡コーラス。テーマソングは『幸福を売る男』。通称「歌謡漫談グループ ミュージカルぼーいず」。

1960年5月結成。大阪の道頓堀角座によく客演していたが、1994年にリーダーの志村としおが死去し解散。及川兄弟は『中小企業楽団バラクーダ』に移籍した。

メンバー[編集]

後期メンバー
神奈川県横浜市出身。通信士に憧れ、工業高校卒業後、近所にボクシングジムがあったために興味を持ちプロボクサーに合格、試合は2勝1敗で引退、階級はフライ級であった。新劇役者を経て、1953年キングレコード専属歌手。『ホットボーイズ』『ハナハナコロンボ』『ハナハナボーイズ』で活動し初舞台は浅草スミダ劇場であった。1960年にミュージカルぼーいずを結成。
ロカビリー時代からのリーゼントに、大声、巨体の出で立ちで「カバ」「おデブ」等と弄られていた。
面倒見の良さからボーイズバラエティ協会理事長に推挙され、JRのCMに出演するなどピンでも活動し、お茶の間の人気者だった 1994年11月18日死去 64歳没。長男は音楽プロデューサー、ゲームプロデューサー、イベンター、実業家(株式会社VIVIDの代表取締役)の富士丸翔、次男は作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、ゲームクリエイター、実業家(MAGES.代表取締役会長)の志倉千代丸
  • 及川ちかし (及川知加し、1948年 - )エレキベース担当。
ジャンボの兄、北海道出身。大学でクラシック音楽を学び、1970年より『仲野彰とニューシャープス』『チャーリー石黒と東京パンチョス』等、ビッグバンドの楽団員を渡り歩く。
1989年に望月と入れ替わりで参加。リーダー没後は弟のジャンボとコンビを組んでいたが、間もなく『中小企業楽団バラクーダ』に移籍。
スタジオミュージシャンとしても活動中。
及川の弟、北海道出身。1971年より小川悠一に師事し作曲を学ぶ。1973年キングレコード専属歌手。
1979年より参加。リーダー没後は兄の及川とコンビを組んでいたが、間もなく『中小企業楽団バラクーダ』に移籍し「バラクーダ おさむ」を名乗る。
作曲家編曲家としても活動中。
初期メンバー
岩手県出身。父は地方公務員東邦音楽大学卒業後、銀座銀巴里アコーディオンなどを経て、故郷での中学の音楽教師、再び上京後漫楽ショウ『辻ひろしとザ・ハッタリーズ[1]に在籍。
芸名は小原庄助に由来。
  • 富井トシ(とみい - 、本名:平田正治、1930年4月 - ) - エレキギター担当。
神奈川県横浜市出身。平塚工業高校在学中にハワイアンバンドカワッタ・トリオ』に在籍。
芸名はトミー・ドーシーに由来。
中期メンバー
  • 望月けん一
高知県出身。ポリドール・レコード専属でファルセットの遣い手。1979年より参加、強面を売り物にした。
1989年に脱退し演歌歌手に戻ったが、2002年脳卒中で倒れ、リハビリを経て徐々に復帰中。

レコード[編集]

  • 女のきずな
  • おけら街道
  • このへんでさようなら
  • 雨の出逢い橋
  • ケイコタンのラブコール(志村・小原・富井時代、『もーれつア太郎』挿入歌)
  • これでいいのネ

[編集]

  1. ^ ひびきわたるらも在籍

外部リンク[編集]