トミー・ドーシー
トミー・ドーシー | |
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![]() 映画『ドーシー兄弟物語』より | |
基本情報 | |
出生名 | Thomas Francis "Tommy" Dorsey, Jr. |
別名 | The sentimental gentleman of swing |
生誕 | 1905年11月19日 |
出身地 |
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死没 | 1956年11月26日(51歳没) |
ジャンル | ビッグ・バンド、スウィング・ジャズ |
職業 | バンドリーダー |
担当楽器 | トロンボーン、トランペット、コルネット |
活動期間 | 1920年代 - 1956年 |
著名使用楽器 | |
トロンボーン、トランペット |
トミー・ドーシー(英語:Tommy Dorsey、1905年11月19日 - 1956年11月26日)は、アメリカのジャズトロンボーン・ジャズトランペット奏者、バンドリーダー。
来歴[編集]
ペンシルヴェニア州のマハノイ・プレーンに、バンドリーダーだったトーマス・フランシス・ドーシー・Sr.の、4人兄弟の2番目の息子として生まれる。兄は、ミュージシャンのジミーであり、トミーの下にはマリーとエドワードがいる。(エドワードは早世)
15歳の頃から、ジミーと共に活動を始める。1920年代はルディ・ヴァリー(sx)、ヴィンセント・ロペス(p)、そしてポール・ホワイトマン(vn)のバンドで活動している。
1934年にドーシー兄弟のオーケストラを結成。グレン・ミラーは1934年から1935年までこのバンドにいた。1935年からトミーは自身のバンドを持ち、活動を行う。彼のバンドの特徴はトロンボーンセクションにあり、結果、多くの記録も生まれてきた。
結成した年にヒット曲を生み、ビルボードチャートには計137回もヒットした。その中には彼のテーマソングである"I'm Getting Sentimental Over You"の他、"On the Sunny Side of the Street"、"T. D.'s Boogie Woogie"、"Well, Git 'It"、"Opus One"、"Manhattan Serenade"などがある。
合計で17回シングルで1位を獲得、"I'll Never Smile Again"は1940年に売上1位を12週連続、1943年には"In the Blue of Evening"でポップシングルチャート1位を3週連続達成した。
この背景にはこのバンドには精鋭のミュージシャンが集結していたことも挙げられる。名は以下の通り。
- Trumpet ; Bunny Berigan, Ziggy Elman, George Seaberg, Carl "Doc" Severinsen, Charlie Shavers
- Piano ; Milt Raskin, Jess Stacy
- Arranger/Composer ; Sy Oliver
- Clarinet ; Buddy DeFranco, Johnny Mince, Peanuts Hucko
- Drum ;Stan King, Buddy Rich, Louie Bellson, Dave Tough, Alvin Stoller, Gene Krupa
- Vocal ; Jack Leonard, Edythe Wright, Jo Stafford, Dick Haymes, Connie Haines, Frank Sinatra
当時新人だったフランク・シナトラはこのバンドで学んで成長し、成功している。ドーシーは後に自身のサウンドはトロンボーン奏者ジャック・ティーガーデン(Big T)に影響されたと語っている。ドラマーについはあらゆる手段を講じてでも、又どこに居ても、どれほどのギャラを要求されても誠実にバディリッチに来て欲しいと要請した。バディ リッチがだめな時はルイ ベルソン又はアルビン ストラーに要請した。リッチ、ベルソン、ストラーはドーシーの標準的選択であった。クラリネットのバディ デフランコによると「どのドラマーも1時間から1週間しか続かなかった ただ例外はトム・ウイッタコムで、彼は1950年代初めに相当期間バンドに居たという。
(ルートガーズニュウジャージー州大学 ジャズ研究協会 エドワード・ブル氏 著書より)
大戦頃まで第一線を走り続けた彼のバンドは、大戦終結と共に音楽経済変化の余波で他バンド同様解散せざるを得なくなる。
かつてドーシー兄弟はバンドのことで対立しそれぞれに分かれたが、兄のジミーは経済を捉えて成功させていた。兄弟は和解し、1953年12月26日、再び兄弟のバンドを結成。1956年までこのバンドはTVなどにも出演した。
1956年、コネチカット州グリーンウッチにある自宅で大量の睡眠薬を飲み亡くなる。51歳没。兄のジミーも翌年、癌で亡くなっている。
私生活[編集]
私生活ではトミーは3回結婚している。1922年に17歳で16歳のMildred Kraftと最初の結婚をし、2人の子供を儲けた。1943年に離婚後、映画女優Pat Daneと結婚。しかし3年で離婚している。最後の結婚は1948年3月27日、コパカバーナのダンサーJane Carl Newとしている。彼女との間には2人の子供がいる。彼女はトミーが死ぬまで彼の妻であり続けた。彼女も2003年8月24日に他界した。
出演映画[編集]
- トミー&ジミー・ドーシー物語(ドーシー兄弟物語)(1947年、監督:アルフレッド・E・グリーン)
参考文献[編集]
- 『ジャズ管楽器 : バリトン・サックス/ソプラノ・サックス/クラリネット/フルート/トロンボーン他』ジャズ批評編集部編、松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2002年、208頁。ISBN 4-915557-12-X。