ペリリュー (強襲揚陸艦)
ペリリュー | |
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基本情報 | |
建造所 | インガルス造船所 |
運用者 | アメリカ海軍 |
艦種 | 強襲揚陸艦 |
級名 | タラワ級強襲揚陸艦 |
モットー | Pax Per Potens (英語: Peace Through Power) |
母港 | カリフォルニア州 サンディエゴ |
艦歴 | |
起工 | 1976年11月22日 |
進水 | 1978年11月25日 |
就役 | 1980年5月3日 |
退役 | 2015年3月31日 |
要目 | |
排水量 | 39,200 トン |
全長 | 254 m |
最大幅 |
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吃水 | 8.0 m |
主機 | 蒸気タービン 2機、2軸 |
出力 | 70,000 hp |
最大速力 | 24 ノット |
乗員 |
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兵装 |
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搭載艇 |
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搭載機 |
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ペリリュー (USS Peleliu、LHA-5) は、アメリカ海軍の揚陸艦。タラワ級強襲揚陸艦の5番艦。艦名は第二次世界大戦中にペリリュー島(現パラオ・ペリリュー州)で行われたペリリューの戦いに因む。
艦歴
[編集]当初はケサン (Khe Sanh) 、続いてダナン (Da Nang) と命名される予定であったペリリューは1976年11月12日、ミシシッピ州パスカグーラのインガルス造船で起工した。1978年11月25日にアメリカ海軍作戦部長トーマス・B・ヘイワードの妻、ペギー・ヘイワードによって命名、進水し、1980年3月3日、T・P・スコット艦長の下で就役した。
就役後、ペリリューは直ちに南へ舵を取ってパナマ運河を抜け、5月27日に赤道を通過した後、カリフォルニア州のロングビーチに配備された。なお、このペリリューは就役してから赤道を通過するまでの期間がアメリカ海軍艦艇の中でもっとも短い[1]。
1991年6月、砂漠の嵐作戦の後ペルシャ湾からの帰還途中にペリリューはフィリピンのピナトゥボ山の噴火から避難するスービック湾海軍基地の人員救助に参加した。この噴火は過去100年間で最大のものであり、広範な地域に火山灰が降り注ぎ、海軍基地の施設の多くが破壊された。避難者の中には産婦人科の患者が数名含まれていたため、多くの赤ん坊が艦内で誕生した。
1999年10月26日から11月27日まで、オーストラリア軍が主導する東ティモール国際軍の一部として、東ティモールの平和維持活動に配備された[2]。
2001年11月は不朽の自由作戦の一環として最初の海兵隊部隊をアフガニスタンに送り届けた。
2004年1月1日、ペリリューは北アラビア海で一隻のダウ船を停船させ、翌2日に拿捕、15名の身柄を確保した。船からは2,800ポンド (1,300 kg) の大麻樹脂(末端価格およそ1,100万ドル)が押収された[3]。
2015年3月31日、退役。
脚注
[編集]- ^ http://www.peleliu.navy.mil/history.asp (英文)
- ^ Stevens, David (2007). Strength Through Diversity: The combined naval role in Operation Stabilise. Working Papers. 20. Canberra: Sea Power Centre - Australia. p. 14. ISBN 9780642296764. ISSN 1834-7231. オリジナルの2011年3月12日時点におけるアーカイブ。 2010年9月6日閲覧。
- ^ “Interrogation of Suspected al Qaeda Affiliates Lead U.S., Australian Navies to Seize More Drugs”. U.S. 5th Fleet Public Affairs (January 2, 2004). 2011年1月20日閲覧。