フリードリヒ (バイエルン公)
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フリードリヒ Friedrich | |
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下バイエルン=ランツフート公 | |
在位 | 1375年 - 1393年 |
出生 |
1339年 |
死去 |
1393年12月4日 ボヘミア王国、ブトヴァイス |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 下バイエルン公領、ランツフート、ゼリゲンタール修道院 |
配偶者 | アンナ・フォン・ノイフェン |
マッダレーナ・ヴィスコンティ | |
子女 |
エリーザベト マルガレータ ハインリヒ16世 マグダレーナ ヨハン |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | 下バイエルン=ランツフート公シュテファン2世 |
母親 | イザベッラ・ディ・シチリア |
フリードリヒ(Friedrich, 1339年 - 1393年12月4日)は、14世紀のバイエルン公。シュテファン2世とシチリア王フェデリーコ2世の娘イザベッラの次男。シュテファン3世の弟、ヨハン2世の兄。下バイエルン=ランツフート公。賢公(der Weise)といわれる[1]。
生涯
[編集]1375年、父の遺領を兄のシュテファン3世、弟のヨハン2世と共に相続したが、1392年には領土を3分割し、シュテファン3世はインゴルシュタット、フリードリヒはランツフートを、ヨハン2世はミュンヘンを治める事になった。1387年のザルツブルク大司教とシュヴァーベン都市同盟の対立に介入している。
1393年、ブトヴァイスで急死し、子のハインリヒ16世が後を継いだ。
家族
[編集]1360年にアンナ・フォン・ノイフェンと結婚した。
- エリーザベト(1361年 - 1382年) - パルマ領主マルコ・ヴィスコンティと結婚。
1381年にベルナボ・ヴィスコンティの娘マッダレーナ(1366年 - 1404年)と再婚した。
- エリーザベト(1383年 - 1444年) - ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世と結婚。
- マルガレータ(1384年)
- ハインリヒ16世(1386年 - 1450年)
- マグダレーナ(1388年 - 1410年) - ゲルツ伯ヨハン・マインハルト7世と結婚。
- ヨハン(1390年)
脚注
[編集]- ^ 岡地稔 『あだ名で読む中世史』 八坂書房、2018年、付録p. 55
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