パンキーのジレンマ
表示
「パンキーのジレンマ」 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
サイモン&ガーファンクルの楽曲 | |||||||||||||
収録アルバム | 『ブックエンド』 | ||||||||||||
リリース | 1968年4月3日 | ||||||||||||
録音 | ニューヨーク、コロムビア・スタジオA(1967年10月) | ||||||||||||
ジャンル | フォークロック | ||||||||||||
時間 | 2分10秒 | ||||||||||||
レーベル | コロムビア・レコード | ||||||||||||
作詞者 | ポール・サイモン | ||||||||||||
作曲者 | ポール・サイモン | ||||||||||||
プロデュース | ポール・サイモン アート・ガーファンクル ジョン・サイモン(アシスタント・プロデューサー)[1] | ||||||||||||
|
「パンキーのジレンマ」(Punky's Dilemma)は、サイモン&ガーファンクルが1968年に発表した楽曲。
概要
[編集]ポール・サイモンは映画『卒業』(1967年12月21日公開)のための曲をマイク・ニコルズ監督から依頼されて、本作品と「Overs」を書いた。しかしどちらもニコルズの満足のいくものではなかったため、これが結果として「ミセス・ロビンソン」を生むきっかけとなった。
1967年6月16日、サイモン&ガーファンクルはモントレー・ポップ・フェスティバルに出演。コンサートの最後で「あと2分だけ下さい」と言って本作品を披露した。ある種「奇天烈」とも言える歌詞[2]に観衆は反応し、二人が一節一節歌うたびに笑い声を上げた(フェスティバルを収録した各ブートレッグで確認できる[3])。
その年の中頃、サイモンはスランプに陥っており[4]、レコーディングのプロデューサーとしてジョン・サイモンが雇われた[5]。ジョン・サイモンのプロデュースの下、「フェイキン・イット」を同年6月に制作。そして10月、本作品のレコーディングにとりかかった。完成させるまでサイモン、ガーファンクル、ジョン・サイモンらは50時間以上スタジオにこもっていたと、レコーディング現場に入ることのできた雑誌『High Fidelity』のライター、モーガン・エイムズは証言している[6]。
1968年4月3日発売のアルバム『ブックエンド』に収録された。
脚注
[編集]- ^ Simon & Garfunkel - Bookends (1968, Santa Maria Press, Vinyl) | Discogs
- ^ Punky's Dilemma | The Paul Simon Official Site
- ^ Monterey Pop Festival 67 (1989, Vinyl) | Discogs
- ^ Fornatale, Pete (2007). Simon and Garfunkel's Bookends. Rodale. p. 62. ISBN 978-1-59486-427-8
- ^ Fornatale, Pete (2007). Simon and Garfunkel's Bookends. Rodale. p. 66. ISBN 978-1-59486-427-8
- ^ Simon & Garfunkelへのインタビュー - ポップ・クロニクルズ(1969年)