ソテジワアイドゥル
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ソテジワアイドゥル(서태지와 아이들) | |
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基本情報 | |
別名 | 文化大統領 (The Culture President)[1] |
出身地 | 韓国 |
ジャンル | K-POP、ヒップホップ |
活動期間 | 1992年-1996年6月 |
レーベル | イェダン企画(バナナカルチャー) |
メンバー |
ソ・テジ ヤン・ヒョンソク イ・ジュノ |
ソテジワアイドゥル(朝鮮語: 서태지와 아이들)は、韓国で1991年に結成され、1992年-1996年6月まで活動した男性ヒップホップグループである。「ソテジ」はリーダーの人名であり、「ワ」は「と」、「アイドゥル」は「子どもたち」の意である。従って日本語としては「ソテジと仲間たち」程度の意味である。
アルバム全作でミリオンセラーを達成し[2]、当時の韓国音楽界の流れを変え、現在のK-POPへ繋がる重要な役割を果たしたグループである。ヒップホップとR&Bを絶妙に融合させたダンスポップで人気を博した。それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった韓国音楽界に革命を起こしたとされ[3]、今なお伝説のグループとして韓国内の同業者からの支持が厚い。
経歴
[編集]韓国での活動
[編集]- 1991年9月 - ソテジワアイドゥル結成。
- 1992年3月14日- ソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソクの3名でデビュー。デビューアルバムである1集『Yo!Taiji!』は収録曲「僕は知っている(ナン・アラヨ、난 알아요)」のヒットもあり、150万枚以上の販売を記録。その年最高のスターとして頭角を現した。このアルバムは韓国音楽界において初めてラップ音楽を商業的に成功させたという評価がされている[4]。このラップブームは相次いでデビュー、ヒットしたDEUX、DJ DOC、キム・ゴンモ、Roo'Raといったミュージシャンに引き継がれた[5][6]。
- 1992年12月 - ミニアルバム『LIVE & TECHNO MIX』を発売。
- 1993年6月 - 2集『何如歌(ハヨガ、하여가)』を発表し、このアルバムも200万枚以上の販売を記録した。伝統音楽とラップ、ヘヴィメタルを融合した作風の表題曲『ハヨガ』が大ヒットした。このアルバムの発売後、一時期日本において活動。フジテレビ系の音楽番組アジアNビートでも紹介された。
- 1994年1月 - 前年12月のクリスマスコンサートを収録した『最後の祝祭』を発売。
- 1994年8月 - 3集『渤海を夢見て(パレルル・クムクミョ、발해를 꿈꾸며)』を発表し、これ以降ダンスミュージックからロックへとスタイルを変えた。かつて新羅の北に位置した渤海国を現在の朝鮮民主主義人民共和国になぞらえ、南北統一問題を韓国社会に喚起。当時統一問題に無関心であった韓国の若年層に強烈なメッセージを残した。このアルバムは予約だけで100万枚を超えたといわれる。
- 1995年3月 - ライブアルバム『'95 TAIJIBOYS CONCERT -別の空が開いて-』を発売。
- 1995年10月 - 反体制を歌う「ギャングスタ・ラップ」というジャンルを韓国で初めて紹介した4集『come back home』を発表した。このアルバムに収録された『時代遺憾(シデユガム、시대유감)』が歌詞検閲制度より不適当と判断されると、アルバムから歌詞を一切削除し発売するという波乱があった。これを機に同制度は撤廃に向かったと言われる。
- 1996年1月 - すでにカリスマ的地位を確立し人気絶頂であったが、突然グループの解散と引退を宣言した。
- 1996年2月 - ベストアルバム『"THE &" GOOD BYE BEST ALBUM』を発売。一部の曲では不適切な歌詞の部分に修正(ピー音)が施された。
- 1996年6月 - 出版物検閲制度が廃止され、記念としてミニアルバム『時代遺憾』を発売。前述の「時代遺憾」はインストにてリリースされることとなったが、このアルバムの発売では歌入りとなった。
- ソ・テジは引退状態の後1998年7月にソロアーティストとして復帰(以降の経歴はソ・テジの項を参照)、ヤン・ヒョンソクとイ・ジュノはそれぞれ音楽プロデューサー業へ転向し、ヤン・ヒョンソクはYGエンターテインメントの代表、イ・ジュノは1996年から2012年まで活動した男女混成ダンスグループYoung Turks Club(영턱스클럽)のプロデューサーとして知られる。
日本での活動
[編集]- 1994年10月 - アンティノスレコードから日本でのファーストアルバム『ソテジワアイドゥル』(1集と2集を組み合わせたもの)を発売[7]。来日しテレビ番組にも出演。
- 1995年1月 - 3集『渤海を夢見て』が日本でも発売される。日本ではセカンドアルバムの位置付けである。
ディスコグラフィー
[編集]正規アルバム
[編集]- 「ソテジと子供たち1集」(発売:1992年 3月23日)販売枚数約180万枚
- 「ソテジと子供たち2集」(発売:1993年 6月21日)販売枚数約220万枚
- 「ソテジと子供たち3集」(発売:1994年 8月10日)販売枚数約160万枚
- 「ソテジと子供たち4集」(発売:1995年 10月5日)
ライブアルバム
[編集]- 「'92明日は遅れよう」(発売:1992年11月1日)
- 「Live&Techno Mix」(発売:1992年11月20日)
- 「'93最後の祭り」(発売:1994年1月15日)
- 「'95別の空が開いて」(発売:1995年3月27日)
ベストアルバム
[編集]- 「Goodbye Best Album」(発売:1996年2月10日)
シングルアルバム
[編集]- 「時代遺憾」(発売:1996年 7月10日):事前審議制度の廃止を記念して発売されたシングルアルバム。「ソテジと子供たち」として発売された最後のアルバム。
受賞歴
[編集]年度 | 受賞内容 |
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1992年 |
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1993年 |
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1994年 |
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1995年 |
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1996年 |
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歌謡プログラム1位
[編集]年度 | 受賞歴 |
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1992年 |
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1993年 |
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1995年 |
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脚注
[編集]- ^ https://www.koreaherald.com/view.php?ud=20170903000283
- ^ “EXOのベクヒョン、グループとソロのアルバムがすべてミリオン達成…ソ・テジ以来20年ぶりの快挙”. (2020年7月1日) 2023年4月29日閲覧。
- ^ 金成玟(2024) p.109
- ^ ソテジワアイドゥルのデビュー以前は韓国語でラップをすること自体が無理であると言われていた。
- ^ http://world.kbs.co.kr/service/contents_view.htm?lang=j&menu_cate=history&id=&board_seq=3794&page=1&board_code=kpanorama
- ^ https://www.billboard.com/music/music-news/k-pop-legend-south-korea-seo-taiji-25th-anniversary-concert-bts-7950056/
- ^ 金成玟(2024) p.109
※本文は韓国語版2004年8月22日版より一部訳、訂正、加筆
参考文献
[編集]- 金成玟「日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで」慶應義塾大学出版会 2024年